霜天

 

 

 少年は困り果てた浮竹の前で友人を助け出すまでは街には絶対に戻らぬと言い張った。浮竹が虚の討伐に向かうと告げれば、なら俺は栄太を探しに山に戻ると言って聞かない。再び怒り出す小椿の前でしまいには一人、茂みをかき分け山に入る始末。小椿が無理やり連れていこうものなら、これも見事な手刀が上半身素っ裸となった彼の腹を打ち、幾度となく彼の死神としての矜持をへし折っている。これでは埒があかぬと、少年の友人の救出に先に向かうことになった。少年は友人の栄太を救出できれば戦う事に特に固執した様子はなく、栄太が見つかれば大人しく村に帰るといい、結局は浮竹たちが折れる形で、三人再び山に入ったのだ。

 けれど。

 少年の指し示した山の中腹。木のうろに潜んでいるはずの栄太の姿はそこにはなく、散々その名を呼び、しまいには喚き、探し探し探し続け、ようやっと山道の端、八十bの崖下からその姿を見つけた時には、栄太は虫の息。少年の眦には、涙がたまった。

「栄太!!!!!」

 栄太を見つけたのは小椿だった。すぐに崖下に落り、その姿を身、少年は絶句した。閉じた瞼に、嫌な予感がよぎる。

 ああ、それだけは。それだけは。あってはならない。お願いだ。目を開けて。目を開けて。なんでもしてやるから。目を――。

 血だらけの腕は奇妙な角度にむき、いたるところが裂傷。たまらず縋りつきそうになるのを寸での所で男の手が制するも、その声は少年には届かない。必死で友の名を呼ぶだけだ。やがてその声が届いたのかぴくりと瞼を震わせ、

「…し、ろ、にぃ…?」

 しゃがれた声で栄太に名を呼ばれた時には、これまでどんな神の名も呼んだことはなかった少年が、はじめて天を振り仰いだ。

「…ごめ、…さ、…俺、し、ろ兄ぃ…い、いつけ守、らな…とりで…動…」

 必死に謝罪を述べる彼は流魂街に身を寄せてから初めて自分を兄と呼んでくれた、子供だ。この世界に来て兄と慕われる喜びは、栄太が与えてくれたものである。栄太を抱えて二人、きっと虚からは逃げられなかった。虚は何故か栄太にではなく己に執着し、それに気付いたら、しめたとばかりに自らを囮にする事を厭わなかった。後で必ず迎えに行くと約束し、一人虚を誘い込むように栄太と離れ逃げた。きっと、二人助かると信じて、だ。けれど、考えれなければいけなかった。幼い栄太が一人同じどころで身を隠す恐怖に耐えられるわけがなかった。それを知ってやらねばならなかった。一人、耐え切れず、少年の後を追おうとした栄太は、わずかばかりに下った山道で、それから間もなく、戻ってきた虚と対峙し、激しく体を叩かれ反動で崖から落ちてしまったという。木々が邪魔をしてとても子供の下には辿り着けぬと思った虚はそのまま興味もなさそうに栄太を見向きもせず、消えた。

「…違う、栄太、お前のせいじゃない。」

 栄太は両頬に兄と慕う少年の手のぬくもりを感じて、少年の、もう置いていかないから、という言葉に安堵に小さく笑って、目を閉じた。気絶した栄太をその背に背負い小椿が下山するのを見送って、まだそこに残る栄太の血痕に、口の中で小さく呟く。その声は浮竹には聞こえなんだが、すらりと、立ち上がった少年が、ゆっくりと浮竹を振り返った時に向けた眼差しの、その光はなんと強いことか。

 

 苛烈にして静寂。

 相反する二つの共存。

 

 あまりに純粋な、怒り。

 

「お前なら、あの化け物を追えるのか。」

 静かな問いかけに、

「俺を、連れていけ。」

 けれど、有無は言わさぬ。

 

 

「殺してやる。」

 

 この威厳。

 説き伏せることも、捻じ伏せることもできた。

 少年を戦わせてはならない理由。それは、数え切れないほどある。

 

 それなのに、己がしたことといったら、その全てを廃し、――ただ頷くのみ。

 

 

 

 少年をその背に背負い、山を駆ける。ほどなくして、あの巨躯の虚を見つけた。浮竹の姿に気付いたか。勝機はないと知って、逃げ惑う。ゆるり、速度を僅かばかりに緩めたその瞬間、再び浮竹は驚かされた。背に背負ったこの子供、体温が僅かばかりに離れたと気付いて振り返ったそのとき、常人では紡げぬスピードの中、あろうことかその背に立ち上がり、

「な、――」

 絶句。

 背を蹴って、逃げ惑う虚の眼前に転がり落ちた。高さ三丈。子供が飛び降り、無傷ですむはずがない。二回転、突如降って沸いた子供の姿に巨躯の虚が驚愕するその眼前、ゴロゴロと土の上を転がり、二回転半目、その左腕を支えに、既に立ち上がる。たいした怪我もない様子で、一つ、虚に視線を送る子供の背に、ゆらり、白い炎が立ち上るのを確かにこの目で、見た。

 

 深紅に染まる西空の前、少年が醸し出す白い炎が重なる。途端に満ちる。真夏に在り得ぬ凍てつく大気。硬質な、冷たい、凛とした、澄んだ、真冬の、厳しい、赤く、赤く、焼けた、

 

 

嗚呼、これは―――霜天だ。

 

 

「刀を。」

 

 唸る虚の前で、己に向けてたった一言、視線も向けぬ、静かな少年の声。

 

 倒せるか。

 問おうとしてそれを飲み込む。

 倒せる。

 この子供ならば。

 

 キン、と鯉口を切り、カチリと鎖をはずし、少年のその右手、一本の太刀を預ける。少年は無言のまま、ズシリと重いそれをしっかりと握り、視線は虚に向けたまま、構えは八双。虚を見据えたその目に、先刻にはなかった殺意に深まる戦意を宿し、そして、

 

 地を、蹴った。

 

 

 

――

 

 

「で。」

 浮竹は今、雨乾堂の真新しい畳の上に敷かれた布団の中、笑顔でありながらその実、目は全く笑っていない副官海燕に見下ろされながら、苦い薬を口内に押し込まれていた。

「結局血ぃ、吐いて倒れたんですか。」

 子供と二人村に戻ってすぐ、浮竹は血を吐いて気を失い、すぐに小椿によってここに運ばれた。目覚めたのは翌日、目の前には副官の姿。既に部下の報告を聞き、その詳細を知っていた海燕は、これは長い説教が必要だ、とあまり己の体を慮らない隊首に口を開きかけた。そのとき、しこたま血を吐いた後で、疲労もあろうはずのその男が蒼白な顔にやけに子供じみた輝きをした目をして海燕を見た。その時、己の心配をよそに、男が嬉々とした声で、紡いだ言葉と言ったら。

「海燕、俺は凄い子供にあったぞ。」

 起き抜け、第一声。あまりに嬉しそうなその声に、虚をつかれ、思わず溜飲も下がるというものだ。

 それから一刻。海燕は愛妻共に結婚記念日に休みを与えてくれたこの上司に礼も含めて、巡回中出会ったというその子供が、いかに強く、果敢に戦ったかを、どれだけ鮮やかに虚を討ち取ったかを、時折相槌を挟みながら、聞いたのだ。

 浮竹は海燕にまだ記憶に新しい鮮やかなその光景を、語りながらあの子供の名を、聞いていないことに気付いた。

「それにしてもまた嫌ながきが出てきましたねえ、」

「嫌な?」

 不意に告げた海燕の声に浮竹は顔を上げる。そこには何かを思い出して、しかめた海燕の顔。

「そいつ。」

そいつ、というのは話の中心の子供だろう。

「そんだけ強いなら、いずれ遠からず此処にくるでしょう。」

 その言葉に、驚く。けれど、次の瞬間には笑いが込み上げる。

 海燕の指す此処とは、何処か。そんなのは、決まっている。

 此処、護廷十三隊だ。

 海燕は、何処か眩しそうな顔でゆっくりと目を細め、そして、何か大切な秘密を打ち明けるようにやけに愛しさを滲ませた声で、告げた。

「この座、奪われねえように死守しておかねえと。」

 その言葉に驚き、けれど浮竹は微笑む。

「あれだけ嫌がってた副隊長なのに、そう言ってもらえて嬉しいよ、海燕。」

「まあ、一度手にしちまえば、もう誰にも渡す気はねえんで。」

「お前にそれだけの事を言わせたんだ。俺も奪われないように気をつけないとなあ。」

そういうと、途端に海燕は顔を歪める。

「そいつ、そんなに強いんすか?」

「ああ、まあ、今すぐ負けるようなことはないだろうが、百年後にはどうなってるか、」

記憶の中の鮮やかな戦闘を思い浮かべながらそう告げたそのとき、あーくそ、そんなんばっかかよ、とガリガリと頭をかく海燕視界に入った。

「なあ、海燕。他にもいるのか?その、お前が嫌な、っていう、」

 また、嫌ながきが、と海燕は言った。また、ということは先にそれを思わせた誰かがいたのだろう。

「あー…、」

 浮竹の遠慮したような問いかけに、海燕は俯いていた顔を上げ、その眉間にシワを寄せたまま告げた。

「市丸ですよ。市丸。」

 市丸ギン。

 予想外に飛び出してきたその名に、かの少年もまた類まれな才を持ち、まるで彗星の如く表れ驚くような速さで栄進し、この護廷でその名を広めた事を思い出した。

 

 浮竹は思い出す。それは市丸の姿から、ゆるりと昨日出会った白銀の髪の子供に変わる。

 

 (…ああ、そうだ。)

 名を聞く必要などない。

 あの子供が身のうちの強さを宿したあの瞳の輝きを失わない限り。

 いずれそれを知るときがこよう。ただ、待っていればいい。ここ、護廷の頂で。

 

 

 浮竹がその少年の名を知るのは、

 それからまた幾数 もの時を重ねた春のことだ。

 

 

 

(完)

ありがとうございました。

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