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Heraldic. |
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一人の。 子供が、いた。
「藍染副隊長、近隣の虚の霊圧を探りましたが、全て消失しています。おそらくあの子供が倒したものかと」 流魂街で虚の大群が感知され、駆けつけたその場所に、件の虚の姿はなく、代わりにいたのは一人の子供。血だまりの中、一人立つ子供の姿は幾多もの戦場を見てきた藍染の目にも異様で、その異様さが、とかく他者に対して興味を示すことのなかった藍染の心に触れた。 「凄いな、これは全部君がやったのかい」 返り血を一心に浴びて、茫洋とした双眸をのぞかせた子供が、ゆっくりと藍染を見上げる。色を取り戻していく双眸を細め、かすかに、子供は息を吐くように笑った、ように藍染には見えた。地に這う瓦礫のような残骸は、虚。その全てが既に絶命している。 「君の名前は?」 「…市丸ギン」 「そうか、僕は藍染惣右介。護廷十三隊五番隊副隊長をしている。後ろにいるのは、その三席」 子供と藍染の間には僅かばかりの距離があった。二人の間をじわりと広がりを見せる血が遮る。ゆっくりと、藍染が手を伸ばすと、光のまぶしさに目を晦まされたように、子供が数度、瞬く。 「おいで」 誘うように、右手を揺らす。
君が立つその場所は暗く、冷たく身を凍えさせるだろう。 だから。
「藍染副隊長…!いけません!まだ子供です」 「黙れ、お前の意見は聞いていない」 藍染は、子供を見据え再び告げる。 「こちらへ」 藍染は、笑う。
「私と共に」 より高みへ。
伸ばされた手に、小さな手を重ねる。それは、修羅か仏か子供にはわからないけれども。それは確かに、暖かかった。
「気にいられたな」 沢に降り立ったのは、血に濡れる市丸と、漆黒の死覇装を身にまとう男の二人だった。川のせせらぎに耳をそばだてながら、託された子供の身を清め、三席は、呟く。赤黒く固まった髪を川の水に浸しながら解いていくと、光を弾く綺麗な金糸がさらりと指先から零れた。 「そうなん?僕、あの人に、気に入られたん?」 気にいられた、というのは好かれた、ということだ。孤独に。孤独と言うことにも気付かずに。生きてきた子供にとって、それはひどく心地のいい言葉だった。男が、子供の言葉に優しく血に濡れた髪を解き、くしゃりとなでるような仕草一つ。 「何、するん」 先ほどまでの鋭利な気配を和らげて、年相応に顔を歪ませて咎める市丸に、男は笑った。笑って、そしてまるで名を聞く時のような気軽さで、なんでもないように告げる。
「逃がしてやろうか」
男の問いの意味は、子供には分からない。 「逃がす?」 「今ここに藍染副隊長はいない。俺が目を離した隙に、お前がいなくなっていた、と報告すればいい。俺は咎めを受けるだろうがお前が知ることじゃない。今ならまだ間に合う。このまま真っ直ぐ山を降りて近隣の村に逃げ込めばいい。そうすれば、お前は、これまでと変わらずにろくでもないこの場所で生きていける。この場所で、ろくでもないまま、餓えて死ぬかもしれないが、少なくとも自分のままで、死ねる」 「なんで?僕が逃げなあかんのん?」 「お前、すんなり藍染副隊長に付いてきたけど、戻る場所はないのか」 自分の問いに答えずに話を擦り返る男に、市丸は刹那、眉を寄せたが、答を待つように沈黙する男に、思考する。 「ない」 正確には、こんな血だらけの姿で『戻れない』だ。きっとこんな姿を見られては同居人を悲しませるだけだ。それにいつだって、自分の存在は彼女を傷つける。 「…そうか」 男の指先が市丸の血に固まる髪の最後の一房に触れる。 「お前は、可哀想なやつだな」 あまりに優しく告げるので、それが、憐れみなのだと、市丸には分らなかった。ただ、優しく笑うので。
それから数日後。瀞霊廷で再会した藍染惣右介に市丸は彼の人の計画の全てを聞く。その一端を、 自分を逃がそうとしたあの男が担っていることも。
「また、ここにいたのか」 高台の丘の上に座ると、そこは広い瀞霊廷を一望できた。死神になって、半年。そこは市丸の気に入りの場所のひとつとなりつつある。彼方の地平線は、こ こから真っ直ぐ西に下れば、故郷とは名ばかりの記憶の中の場所と連なる。 「市丸」 声に振り返れば日差しを背にして立つ男の姿があった。その姿は今ではもう馴染みとなりつつある、上司と仰ぐ男だ。市丸が死神となり、五番隊で席位を担うようになってからもかわらずこの男は三席の座に居続けている。 「何してるんだ、市丸」 「見てわからん?干柿作うとるんよ」 「お前ほんと干柿好きな」 一つ、頷く。正確には自分の好きな子が好きだった食べ物だ。 「三席はんは、干柿嫌いなん?」 「俺はそんな甘いものはよう食わん」 「なら、これ食べてみて」 「なんだ、それ」 「甘くないやつ」 手渡されるまま受け取った柿を、男はそのまま口の中に入れる。 「…渋っ…!なんだコレっ」 「あはは、渋柿やもん。それ」 「お、前っ」 「三席はんが干柿嫌いゆうからや」 悪態をつきながらも、男は市丸の横に立ち、眼下の風景を見下ろした。まるで在りし日の出会いの場所を探すように目を細め、ゆっくりと市丸を振り返る。 「市丸。お前、藍染様が好きか」 「好きや」 不意の質問にも、間をおかず答えた市丸に、男が穏やかに一つ頷く。 「俺も好きだ、あの方が」 ころり、と。二人の目の前で風に煽られた柿が傾斜を転がった。 「あ、」 追いすがるように市丸が手を伸ばしたのと同時に不自然に風が舞う。その風は耳の奥で低く大気を震わせ、ふわりと、転がった柿を拾い上げ、ゆるりと市丸の手の中に柿を運んだ。 「…おおきに。三席はん」 圧風。風の回転速度によって圧力を変える、三席の斬魄刀の能力だった。手の中に戻された柿に、市丸は笑みを深め礼を述べる。男は懐かしいものを見るような目で市丸を見下ろし、そして、ついさっき藍染が好きかと問うたのと同じ穏やかな声で告げた。 「魂魄消失案件にうちの隊長も出陣されることになった」 それは、同時に、藍染の計画の始まりを告げる市丸と三席だけが知る言葉でもあった。 「そう、いよいよ始まるんやね。でも、ちょっとだけ残念やなあ」 「残念?」 「僕、平子隊長も好きなんや」 「…お前は、食い物くれる奴はみんな好きなんだろ?」 「せや。だから三席はんも好きやで?干柿やるゆうて干芋食べさせられた日には、殺してまおうか、思うたけど」 おそらく本音半分の言葉であっただろうその市丸の言葉に、男はふ、と息をこぼして笑った。 「三席はん?」 「市丸」 「……」 「時がきたら」 それは、何の時だ、と、聞くよりも前、さらりと風が流れ、男の指が優しく市丸の髪を浚った。 「…あ、葉っぱ?」 細い市丸の髪に絡みついた小さな葉を、すくいあげる。三席の指先の上で揺れる小さな葉に、双眸を細めた市丸は、途切れた三席の言葉の続きを静かに待った。
「俺を、殺せ」
男の指先から、小さな葉が一枚、ひらりと風に舞って離れる。耳に届いたその声は、一瞬、聞き間違いかと思った。それほど穏やかに男は、その言葉を告げたからだ。 「なんで、僕が三席はんを殺さんといかんの?」 「俺がいずれ、藍染様に殺されるからだ」 さらり。また風が流れる。 それは、予感よりも確信。 「まさか、そんな事あるわけないわ」 「俺にあの方はもう、お止めできん」 遮るように男が告げた。 魂魄消失案件。半数以上の護廷十三隊の隊長副隊長が出陣する始末部隊を永の時企てた計画の実験対象に藍染は選んだ。己が隊首を手にかけられようか、と、藍染と意見が分かれた三席を、市丸は知っていた。袂が静かに分かたれようとしている。慕う思いは同じであるのに。 「あの方は、俺を殺すよ」 ふ、と息を詰めるように身を引いた市丸に、三席は笑った。 「お前、」 「え?」 「なんて、顔してる」 「…三席はんが、変なこと言うからや」 「だが、事実だ」 戯れだと、笑い飛ばして欲しかった言葉こそ、男は笑わない。 「いずれ、誰かにその命が下される。俺が何年藍染様の傍にいたと思っている。あの方の考えは、俺が一番知っている」 「なら、なんで藍染さんに歯向かうような事ばかり言うんや」 分っているならば、黙って頷いていればいいものを。
「忘れてほしくないからだ」
思わず苛立つように告げた声に、返された男の言葉を一瞬思考し、けれど、何を、とは聞けなかった。あまりに、寂しげに男が笑うので。 「市丸。お前に、そんなつもりはないだろうが、俺を慕うお前に、藍染様は僅かにも疑いを持っている」 「そんなん僕の勝手や」 「そう勝手だ。だが、あの人を怒らせて結果、刃は何処へ向く?お前じゃない。お前の大切な者に向く。お前はもうそれを知っているだろう。怒らせた相手がお前なら、それは、お前を追って流魂街から来た女の子に向けられる」 「乱菊に、…会うたん?」 「お前、あん時、帰る場所なんてないなんて言って、嘘だったんだな」 「……」 「あるじゃないか、帰る場所」 押し黙った市丸を、まるで子供をあやすような仕草で男は一つその頭をなでた。それはある日の男との出会いを市丸に思い出させる。あの日、男は市丸に、可哀想なやつだ、と、やはりこんな風にただ優しく笑った。 「だから、市丸。その時が来たら」 胸が詰まった。そんな日が来るわけがない、と言いたいのだと市丸は気付いた。けれど、心の奥、その日が来る事を市丸もまた知っていた。この男がいうならば、それは必ず訪れるいつかなのだ。 「お前は迷わずに俺を殺せよ?」 俺の身でもって疑いを晴らせ。男はそう告げたつもりだった。そう告げた事を市丸もまた理解した。 「それは命令なん?」 躊躇いを含んだ市丸の問いに刹那、瞑目し、男は笑う。 「馬鹿。俺の願い、だよ」
命は、下された。
市丸はゆっくりと神鎗を引いた。痛みは与えなかった。背中から一刺し。痛みが脳に伝達される0.9秒よりも早く、男の心の臓を破壊した。ゆっくりと地に沈み行こうとする男の視線が刹那、市丸を振り返った、かのように見えた。どさり、と自らの血だまりに横たわる男の傍らに立ち、既に絶命した男を見下ろす。 「これでいいんよね?」 声を出した途端、胸の奥、込み上げる熱に、ああ、今自分は泣きたいのだ、と市丸は思った。それは自分の感情どころか、存在にさえ希薄さを感じる市丸にとって、かつてないほどの強さで胸の中に生まれた思いだった。
泣きたい。 でも、それは許されない気がした。
「これで、いい」 答える声などないはずの市丸の声に、ひゅうひゅうと風鳴のような音と共に、囁く声が届く。それは。足元から。慣れ親しんだ男の声で、自分の名を呼んだ。 「市、丸」 「三席はん…!」 痛みを与える間もなく、生を奪ったはずの男が瞬きを数度、ゆっくりと市丸を見上げた。 「なんで、ッ僕ちゃんと、」 「…反射神経でな、切っ先が体に届いた瞬間に、急所を避けちまうんだよ」 お前も、まだまだだなぁ。 何でもないように、子供をあやしつけるような仕草で男は市丸に向かって笑った。それでも、男が既に致命傷であるのに変わりはない。自分がしたことといったら、無駄に目の前の男を苦しめただけだ。男は苦しげに息を吐き出し、市丸の腕の中で、その双眸を覗き込むように、見上げる。 「…約束、」 「…」 「ちゃん、と守ったな?」 よくできました、と褒めるように、男の双眸が優しげに緩められた。 その声に、これまで生きてきて流したことのない涙を、市丸はとうとうその眦からこぼした。
「三席はん、ひとつだけ聞かせて。僕と初めて会うた時、僕のこと可哀想やっていうたんは、あれは僕を憐れんだんやなくて、自分の事をゆうたん?」 かつて。それは市丸がこの世界にくるよりも遥かに以前の話だ。血だまりに沈むこの男もまた、幼い頃地平の流魂街で藍染に視止められ、共に上洛した、と聞く。 市丸の言葉に三席は答えなかった。ただ、ふ、と気配を和らげ悲しげに呼気を振るわせた市丸に手を伸ばした。霞んでいく視界の中。その指は市丸の頬を掠め、空をさまよい、落ちていった。
かつて虚からこの命を救った恩人は、母の亡骸の前で泣く子供を抱き上げ、泣いてはいけないよ、泣いてはいけない、と代わりに優しく笑った。あの日の光景が胸の奥、焼きついて離れない。例えそれが虚言や紛いであったと言われても、あの日己を救った手が、自分にだけは優しかったことだけは確かだ。そのぬくもりを本人が忘れさっても。助けられた子供はそれを忘れない。
終生。
突如、蘇る記憶に三席は、瞑目する。瞬きを数度。もはや手も届かぬ目の前の子共に告げた。こんな最後をかつての恩人は愚かと言うだろうが。 「泣、くな、」 吐息のような声で。そんな顔をされては別れが悲しくなる、と。 「笑え、よ、市丸」 三席は、笑った。
あの日、子供に告げた言葉は、決して自分を、ましてやこの子供が辿る修羅の道に、憐憫を擁いたのではなかった。己の今まで生きてきた全てをかなぐり捨ててでも。それでも、あの手を選ばずにはいられなかったあの日の”子供”が憐れで。同時に、愛しかっただけだ。あの優しさに似た暖かさに触れて、満たされた子供が。
「俺は、これでも、結構、幸せ、だったんだ」
「市丸」 ほどなくして、背後に佇む人の気配。振り返れば、闇を背負った藍染の姿が、かつては共に同志となり、同じ天を仰いだはずの男を冷たい眼差しで見下ろし、市丸に問う。 「どうだった、うちの三席は」 遠く、視界の片隅で、始末特務部隊が出陣する姿が見えた。隊旗がはためき、右耳で、鬨の声を聞いた。 涙は乾いていた。ただ最後に男の指先が触れた頬が、疼くように、熱い。 「たいしたこと、あらへん」 市丸は、笑う。それは男の願いでもある。 男の最後の声をさらった風が、ただ静かに凪いだ。
(完)
いたたたた、な話でしたが、最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました! |