囚人の。

 そう言いかけて。いくら何でもそれはないだろう。口を閉ざした。先日まではそれで罷り通った名も、今ではそれで通じない。

 

 

小さき

 の生まれ

 

 

 会いたいそうですよ。

 告げられた言葉に、いぶかしむ様に山積みの書類から顔を上げたら、少し呆れたような副官の溜息。これではいつもと逆だ。それでも本当に分からなかったのだからこういうより他に無い。

「なんで」

「なんでって、お礼に来たんじゃないですか」

「改めて礼を言われるようなことはしてないぜ」

 さらり。なんでもないように言ってのける。これには彼の副官も少しばかり驚く。分かってないのねえ。思った言葉は心の中だけで呟く。

「そう思ってるのは隊長だけですよ」

 そもそも初めから有無を問う気など無くてただの報告だったのだろう。通しますよー。副官の言葉と共にからりと扉は開いた。そこに現れた人が日番谷を見つけてぺこりと頭を下げる。まるで地に額をつけんばかりの勢いだ。その姿に、日番谷はようやく、筆を持つ手を緩めた。

 

 朽木ぃ、何飲む?今なら、なんでも揃ってるわよー。

 客人が入ってきたなり給湯室に消えた副官は湯を沸かしながらふんふんと鼻歌交じりに告げる。あ、隊長はいつものでいいですよね、もう入れちゃいましたから変更は聞きませんけど。その声に、なら、聞くな。咽喉まで出たかった言葉は、すぐに副官が茶と菓子を持って現れた姿を見て、飲み込む。

「あの! すぐにお暇しますので、おかまいなく」

「いいじゃない、ゆっくりしていきなさいよ」

「しかし……、」

「飲んでけ」

 遮るように告げれば遠慮がちな黒目が驚くように揺れて、そしてゆっくりと細められた。安堵に。

 

 そもそも面識はない。改めて本人を前にして、こんな姿だったか、と思ったほどだ。

(確か血は繋がってないと聞いていたけどな)

 告げられた大貴族の名に、彼の人の義兄を思い出したが、何処となくその面差しが似ている、と日番谷は思った。血の繋がりはない、と聞いているから、似ている、と形容するには少しばかりおかしいのかもしれない。似ているのは纏う空気か。その人がかもし出す雰囲気。

「隊長、そんなにじっと見てたら朽木が萎縮して、言い出せないでしょう。ただでさえ、隊長は表情に乏しいんですから」

「あ?」

「怒ってるように見えますって話です」

 それには苦笑する。目の前で朽木が戸惑うように口ごもったからだ。

「いえ、私は、」

「悪かったな」

 不貞腐れたというよりは、宥めるように。副官ではなく、朽木に告げた。ふ、と息を吐くように気配を緩ませれば、驚くように朽木の双眸が揺れる。他意はない。見ていたのは、事実で、探る気持ちが無かったといったら嘘になる。

 ちょうど日が南天に差し掛かる頃だった。差し込む日差しはきつい。茹だるような。とはよく言ったものだが、まだ夏も迎えていないこの時分、今からこの暑さではこの先が思いやられる。昼間の慌しい喧騒が、執務室に届いては消え、消えては届いた。いつもと変わらぬ昼下がり。

「浮竹隊長から、日番谷隊長が処刑を止めるために四十六室に直訴に向かったと聞いて……」

 そう、切り出された声は心なしか強張っていた。朽木にしてみれば、平の隊員である身で、こうして隊首にお目通りを願う事自体、緊張を強いられるのかもしれなかった。

 一介の死神に極刑が下ったのはほんの一ヶ月ほど前だ。今では一年も二年も遠い日に思える。双極を使った刑の執行。重い、と一言では済ましきれない理不尽さは、それぞれの隊首を閉口させた。日番谷もしかり。

「あの、それで一言お礼を、」

 ありがとうございました。と、続いた声と同時にまた深々と頭を下げられた。朽木のその言葉には流石に眉間のシワを深める。日番谷にしてみれば、純粋に個人を救うために命に背いた浮竹や京楽たちと違って、そこに何かしらの思惑を感じ取っての行動だったのだ。礼を言われるような事ではない。結果として、その行動が、彼の人を救ったかといわれれば、これも否で、受けるべき感謝は自分ではないように思われる。組織の中で生きてきた朽木も、少し考えればそれは分かる筈で、それでも、どんな理由であれ、自分を救う為に動いたのなら、礼を言わねば収まりがつかないのだろう。隣にいる副官を見れば、余計な事言わずに感謝されてればいいんですよ、とでも言うように視線が揺れた。それに溜息をこぼす。

「……そもそも、」

 告げた声に、朽木が顔を上げる。その双眸に、拭い去れない暗さがある。探るように見ていたのはそのためだ。命を脅かされる心配のなくなった今でさえ、朽木の双眸には囚われの身であった頃と変わらない自分を戒める気配がある。

(処刑されそうになった直後じゃ仕方ねえか)

「人間への死神の力の譲渡は法度を犯してる」

 ちょっと、隊長何言い出すんですか、と、ぎょっ、としたのは副官だ。その副官の視線を痛いほどに浴びて、いいから黙ってろ、とこれまた視線で返す日番谷の前で、朽木が神妙に頷く。

「……はい」

 法を犯した罪を朽木はその心に背負っている。結果として、放免を言い渡された今でさえ、それは変わらない。罪人。その意識がぬぐいされないのだ。朽木の瞳がそれを雄弁に語っている。

「それでも、戦場で優先されるべき事は、”生き抜く事”だと、俺は考える。お前の行動はそれに準じた結果に過ぎねえ」

「……日番谷隊長」

「お前がした事が罪だと本当に皆が思ってんなら、浮竹も、京楽も、――お前の兄貴も、」

 敢えて自分の名は告げなかった。兄の名に、朽木の双眸が感情を表して揺れる。

「誰もお前を助けようと剣を取らなかったぜ、きっと」

 あの旅禍達も。

 真っ直ぐに見返してきた朽木の双眸が、少しだけ人間らしさを取り戻したのに、日番谷は気付いた。それに微笑む。

 

「生きていて良かったな」

「はい、……はいっ」

 

 風が出てきましたね、と副官が立ち上がったのを見て、日番谷は振り返った。視線の先には窓枠に切り取られた蒼穹。背中で鼻を啜る音を聞いたが、二人はそれには気付かない。きっと気付いていないのだろう。何もない空を二人、ただ見上げる。流れ込む風に双眸を細め、そうだな、副官の声に柔らかく日番谷は返した。

 

 

 朽木が再び口を開いたのは、落ち着けるように何度も呼気を吐いて、差し出された茶を飲み干した後だった。あのそれで、一護が、そう切り出された声は、普段の快活さを思わせるには充分な強さを取り戻していた。

「旅禍の、黒崎一護が十番隊で預かられたとお聞きしました」

 直後。冬獅郎ーっ、乱菊さーん、と、呼ぶ声。やれやれと溜息を吐けば、橙の髪がひょこりと窓から現れ、ひらり、と、窓から男が姿を現す。つい先日朽木ルキア救出に尸魂界に進入した旅禍の一人だ。

「一護! 貴様なんという場所からっ」

「ルキア?! お前、なんで此処に、…って!俺今それどころじゃねえんだよ! 冬獅郎! 匿ってくれ!」

「なっ、?!」

 叱り付けようと立ち上がった朽木の体を軽々と押しやって、黒崎一護を名乗る死神代行はそのまま日番谷の使う執務机の下にごそごそと入っていく。

「おい……、黒崎、何の真似だそれは」

「しっ! ちょっと、黙っててくれよ、冬獅郎」

「お前な」

 身を潜めた直度、今まさに一護が来た道からだだだ、と幾人の足音を聞く。なるほど、そう言うことだったか、と日番谷が溜息を吐いた後、窓の向こうから現れたのは、自他共に認める戦好きの更木剣八だった。その背中でやっほーシロちゃん、とピンクの髪を揺らした少女が手を振っている。草鹿だ。

「おう、日番谷。ここいらで黒崎見なかったか」

「一護なら、十三番隊の方に行きましたよ」

 しれっと、答えたのは乱菊だ。ナイス! 乱菊さん! 息のように告げられた一護の声はきっと日番谷にしか聞こえていない。

「ちっ。今日はあっちか。今日こそは逃がしゃしねえぞ」

 そのまま、だだだ、と再び走り出した更木の後を、彼の忠臣である一角と弓親が続く。

「日番谷隊長、怪我の具合もう良さそうっすね、なんなら一戦どうっすか」

「乱菊サン、最近ちょっと太ったんじゃない?」

 それぞれ言葉を言い残して去っていく二人。そのまま十三番隊の回廊に消える背中に、ちょっと! 弓親! あんたねえっ!乱菊の声が投げられる。

 朽木の告げた通り、黒崎一護は護廷十三隊の十番隊のお預かりの元、現世に戻るまでの数日間をここ瀞霊廷で過ごす事になっている。それは一護と共に朽木を救うために尸魂界に進入した他の旅禍達も同じで、織姫と名乗った女は十一番隊に、茶度という名の男は八番隊に、雨竜という男に到っては、何故其処が名乗り出たといっそ本人を憐れむ十二番隊にそれぞれ預かられている。日番谷が一護を十番隊に預かったのは、特にこれといった理由はなかった。六番隊は交戦した相手だと聞くし、彼の副官を髣髴とさせるとあっては十三番隊では何かと居心地も悪かろうと、名乗り出ただけにすぎない。生来物怖じしない性格なのか、死神を相手にも臆することのない男はその、屈託のなさで、今では死神たちに受け入れられつつある。十一番隊に到ってはその傾向が著しい。彼らは戦う事でしか己を示す方法を知らないからだ。

 

「……殺されるかと思った」

 げっそりとそう呟いて、一護が執務机から顔を出したのは、足音が確実に去ったのを確かめた後だった。冬獅郎、サンキュー、助かった。疲れ切った様子で、ひらひらと手を振って告げる一護に、冬獅郎じゃなく、日番谷隊長と呼べ。そう出かかった言葉は朽木の声で遮られる。

「一護っ! 貴様っ挨拶もなく…! しかも、日番谷隊長に対して、なんだその呼び方は!」

「なっルキア?!」

 耳をきりきりと引っ張り、机の下から一護を引きずり出そうとする朽木に先ほどまでの暗さはない。礼を告げに来た朽木が、本当に告げたかったのは、自分の為に尸魂界を敵に回そうとしたこの男を預かっていることへの礼ではないだろうかと、言いかけた言葉で、日番谷は察したが今更確かめる気もない。これが本来の朽木なんだな、と場にそぐわず思った日番谷は、それを容易く引き出した一護に関心している。何処かの漫才のように二人の言葉は止まらず、そのくだらなさに。くだらない事を真剣に張り合うくだらなさに、思わず込み上げ、くっ、と息をこぼして日番谷は笑った。そのまま、く、く、と笑い始めた日番谷にこんな十番隊隊長の姿を始めてみた一護と朽木、そして副官の乱菊ですら驚いたように振りかえる。

 

 

「隊長?」

「冬獅郎?」

「日番谷隊長?」

 

 

 隊長各三人の出奔。

 朽木の極刑の裏で謀られた此度の戦線。

 

 尸魂界が受けた大打撃はいまだ傷跡生生しく。それは渦中にいた二人だけでなく、戦いに関わった全ての人がきっと等しい傷を追った。

 抜けた隊長が率いた隊の立ち直りは遅く。語らなくとも、幼馴染の裏切りに気付かなかった己が副官の自責も止まず、檜佐木と吉良には深い悔恨を残し、雛森はいまだ目覚めない。

 それでも、檜佐木と吉良は他隊に支えられながらも意地を見せたし、蟠りのあった六番隊の主従はより結束を深めただけだ。副官は自責をくだらない、と笑い飛ばすくらいには強く、雛森も回復を見せている。 

 変わらないものはなく。それでもくだらなさに笑い怒る日々は目の前にある。

 

「いや、悪い。元気で何よりだと思ってよ」

 

 こんな風に容易く日常は同じ図太さで手の中に落ちてくる。

 この逞しさに。この鬱陶しさに。この強引さに。理不尽に救われている。皆がみな。

 こんなにも胸の奥、掻き毟りたいほど哀しいというのに。

 

 

 

 

 呼気を吐けば、遠ざかっていったはずの霊圧が肌をかすめた。それに再び苦笑する。どいつもこいつも、相変わらずだな。一人心で呟く。意地悪く一護を見上げ、日番谷は告げる。

「おい、黒崎。更木が戻ってきたぞ」

「マジで?!」

「あら、今日は鼻が効くのねえ、探査能力皆無なのに」

「乱菊さん、その言い方では更木隊長が気の毒です」

 

 

 日番谷は呼んだ。胸奥で。

 それは今、少しばかり苦しさを伴う。

 

 裏切りを語るには。

 癒えぬ傷を抱くには。

 もう決して戻らぬ人達に思いを馳せるには。

 

(東仙、市丸、―――…藍染、お前ら馬鹿だぜ)

 

 日常(この場所)は、暖かい。

 日常(此処にいる人達)は、暖かすぎる。

 日番谷はそれを知っている。

 痛いほど、知っている。

 

 だからこそ。

 

「黒崎、お前一度相手をしてやったらどうだ。あいつらも満足して、追いかけてこなくなるだろ。お前には気の毒だが、このまま現世に帰るまで逃げ続けるなんて不可能だぜ」

「それは名案ですね。そうすれば、これ以上日番谷隊長にも迷惑をかける事もない。おい、一護。更木隊長の相手をして差し上げろ」

「冗談じゃねえよ!」

「安心しろ、黒崎。死ぬ前には助けてやる」

「なんなら四番隊の上級救護班を呼んでおいてあげるわよ」

「冬獅郎、乱菊サン、勘弁してくれよぉ!」

 

 

 手を取り合い助け合う事を良しとするのだ。護る事を憚らないのだ。解り合う事をやめないのだ。解かれたものを繋いでいく事を諦めないのだ。それは何度も繰り返されるのだ。

 だからこそ。

 憤りや憎しみを忘れ、――笑っていようか――と、思わずにはいられないのだ。

 

 今はまだ。

 

 

(完)

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました!