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青霞 その子供と京楽が出会ったのは、ある晴れた日の最前線。その場所であった。
真央霊術院の実習の最中、大虚襲撃。救援要請でかけつけたその場所に子供は一人剣を取って戦っていた。生徒は誰もいなかった。散り散りになって逃げたのだと後に知った。逃げた仲間の全員が生還した。その全てが、その場所で戦い続けた子供の指示だった。
子供は強かった。他を凌ぐ力を持っていた。それはある種孤高で、一つの芸術作品のようにある段階の完成度を持っていた。 在位百年、不動の戴に立ち続けた京楽の目にも、子供が類まれな才を持つ者として映ったのは確かだ。 子供は強かった。確かに強かった。 けれど、それ以上の感慨を、京楽は子供には抱かなかった。 再会はそれからゆうに数十年は立つ。最強の名と共に、血を覆い隠す漆黒の死覇装の上に、同じましろの羽織を重ね、その子供は京楽の目の前に現れた。 「今日から十番隊の隊長に就任した。日番谷冬獅郎だ。よろしく頼む」 二度目の出会いは、同じ戴の上。あの日の蒼穹が子供の背と重なった。
「京楽」 随分とふてぶてしいその声に呼ばれ、京楽は回廊で振り返った。 「…やあ、日番谷隊長。なんだい?」 本当は随分と前から、日番谷が自分の背を追っていたことを知っていたけれど、そんな事には気付いてもいなかった、というかのように京楽は笑って目の前に立つ子供に告げた。その笑顔に、いぶかしむように眉を寄せた後、何かを諦めたかのように日番谷が溜息をつく。子供らしくない彼のその仕草に、京楽はほんの少し、息をこぼすように笑ってしまう。それは出会いの印象そのものに、記憶の中の子供と重なった。 「お前と同期で浮竹ってのがいるだろう」 子供の口から出た友の名に、京楽は驚いた。同時に、子供が言わんとしていることをすぐに察して、苦笑する。彼の友人がここの所会うたびに、話題に上らせるのは決まって、神童の名を持つ、日番谷。この子供であったのを思い出す。 「あいつにお前からも言ってくれ。会うたび菓子持ってくるのはいい加減やめろ、ってな。俺が言っても聞きやしねえ」 生来子供好きの性質を持つ浮竹らしい行動だ。この子供の背を追う浮竹の姿を想像するのは永の時友として傍らに立つ京楽には息を吸うよりも容易いことであった。その心情も。 「浮竹は新しい隊長の就任が、嬉しいんだよ」 だから、これは彼の好意の表れで、君は素直に甘えていればいい、浮竹も喜ぶ、と告げれば京楽の目の前で日番谷は溜息をつく。それはこの子供の性質であるのだろう。きっと日番谷は他に甘えるのを良しとしないゆえに浮竹の行動に戸惑っているのだ。 永の空位であった十番隊の隊長の就任が嬉しい。 それに起因する浮竹の行動。それは本当だった。けれどそれが全てではなかった。京楽は、友人が、求め望み得た彼の副官を失ってから、見せた笑顔は全て日番谷と出会ってからだと知っている。友と言う名で、隣に立つ京楽には埋められない浮竹の心の空虚を、この子供は容易く埋めた。それが、この子供の知るところではなくとも。いや、むしろ、それは知らなくてもいいのだろう、と京楽は一人思う。 「それでも、限度ってもんがあるだろう。血吐きながら、隊舎まで来られちゃ迷惑だ。子供じゃねえんだから」 続いた日番谷の言葉に京楽は苦笑する。これでは、どちらが大人で、どちらが子供か分かったものではない。正直、あの友人が己の言葉を聞くとは思わなかったがそれでも、告げた。 「言っておくよ」 その言葉に日番谷が頷く。その仕草は言葉とは裏腹に年相応な姿に見える。言いたいことは言った、とでも言うように、日番谷は己も諦め半分のように呼気を挟んで、頼んだ、と踵を返した。 子供の背に光るましろの羽織はまだ真新しく、そして、陽光の中くっきりと十の字を浮かび上がらせていた。あの日の蒼穹から、数十年。今や千人以上を抱える隊の頂点に子供は立っている。 「日番谷隊長」 呼び止めれば、ゆっくりとその子供は振り返った。
「隊長就任おめでとう」
一ヶ月前、流魂街東地区、「円」に駐在型の虚の調査に赴いた死神が大虚に襲撃され、北は断崖、三方を燃え盛る炎に囲まれ逃げ場を失った。もはや援軍が入りこむ事もできないほどに燃え広がったその戦地で、一人、炎に飛び込んでいったのが、日番谷。この子供だったと聞く。結果調査隊の全員が生還。 帰還後、栄誉と共に、日番谷は、十番隊の隊長に就任した。
「…どうも」 京楽の言葉に驚いたかのように、少しの間をおいて日番谷はそう告げ元来た道を引き返した。その背を見ながら京楽は思う。 「全員生還か」 果たして、要請に応えたのが自分であったのなら、あの戦地から全ての隊士を生きて救い出す事ができただろうか。京楽は考える。 「……凄まじいねえ」 子供は強かった。 確かに強かった。
それから後、京楽の予想通りに浮竹が京楽の言葉を聞き入れることはなく、会うたび、浮竹は日番谷を可愛がり、日番谷はうんざりしながら、それに文句を言う日々が続く。浮竹から、嬉しそうに今日は菓子を受け取ってくれた、今日は会えなかったと、日番谷の話を聞き、そして日番谷からあの男をなんとかしろ、と浮竹の不平を聞くそうした日常が過ぎ去ったある日、五番隊隊長、藍染が離反した。
空気が震えたその時、少なからず京楽は自分が動揺した事を自覚した。全てを灰と化す脅威の炎を前に一瞬の気の散らしもできぬはずの恩師との戦いの最中。自分を驚かせたのは、既に死人となったはずの藍染が生きていたことでも、ましてや誰もが温厚と評したその男が他二名の隊長を引き連れ、叛旗を翻した事でもなかった。
(負けたのか、)
大気の震えは見知った四番隊の副官の声音で、日番谷が藍染に敗れた事を伝えた。
子供は強かった。けれど、それは長い時を軍事機構の頂点に立ち続けた京楽達に並ぶにはまだ長い時が必要だった。それは知っていた。藍染の底の力を知らねども、その結果は采配を見るより明らかであったのは仕方のないことだった。日番谷は強かった。それでも、力と幼さの危うい均衡の上に立たされた子供であったのだ。時。それはもはや覆せない子供の弱味であった。例えもし自分が彼の人と、刀を交えても安々と黒星を取らせることはない。けれど京楽の動揺の原因はただ一つ、日番谷、その子供の敗北。 それは京楽の中の子供の印象と、ひどくそぐわないものだった。
けれど、謀反人藍染によって大打撃を蒙った護廷十三隊の何処の隊よりも早く戦線に復帰したのもまた、子供だった。先遣隊の長に名乗り出て、体の傷も癒えきらぬ内に、選りすぐりの隊士を引き連れて子供は現世に向かった。 その目に、此れまで宿ることのなかった憎悪が潜んでいたことを京楽は知っていた。
「冬獅郎は、大丈夫だろうか」 夜半、友の部屋で杯を舐める京楽に、浮竹を独り言のように問う。 「ん〜そうだねえ」 日番谷が現世へ向かって以来、浮竹は何度となくその言葉を繰り返している。それに少しだけ苦笑する。友の心配は日番谷本人だけのことではなく、彼の人が姉妹と同然で育った五番隊副隊長雛森のことも言っているのだろう。けれど、子供の心の奥に芽生えた憎悪に気付いているものは果たして何人いるのか。 京楽は浮竹の言葉に曖昧に答えながら、空を見上げる。霜天のように冷たい月だけが黙して座している。それは孤独で、同時に美しかった。
そして、決戦前夜。 京楽は日番谷と会った。夜の更けた隊舎からの帰り、回廊で、偶然の出会いだった。思えば子供が藍染に敗れたあの日からまともに顔を合わせるのは此れが初めてだということに気付く。子供は相変わらず、感情を顔に表すことはなく、けれど、京楽の目には、もはや子供が持つ藍染への憎しみは隠し切れないほどの大きさに変わりつつあった。 「やあ、日番谷隊長。こんばんは。今日はいい月夜だねえ」 「…京楽か」 日番谷が一瞬見せた逡巡を京楽は見逃さなかった。まるでお前にだけは会いたくなかった、とでもいうかのように、子供は京楽の前で溜息をつく。 「こんな遅くまで仕事かい?」 「…浮竹に捕まった」 「それはそれは、」 かねてから、浮竹は日番谷の参戦を反対していた。どうやら、決戦を控えて幼馴染の側にいるべきだと諭されたらしい、友らしいことだと京楽は笑う。 「浮竹は君が心配なんだよ」 「怪我は治ってる、戦いに支障はねえ。あいつは過保護すぎるんだ」 「心配させてあげればいいじゃないの。浮竹はたんにもう少し君に甘えてほしいだけだよ」 「必要ねえな」 その言葉に苦笑する。敗北を知ってもそれを自分に許す気がないのは変わらないらしい。けれど。
「でも、君僕には結構甘えてるでしょう」
さらり、と何でもないように告げたその言葉に日番谷がゆっくりと京楽を見上げた。真っ直ぐに向けられるその視線に京楽は苦笑する。 それは例えば日番谷の告げる言葉の端々に、京楽が感じていたことだ。浮竹の言葉を厭うようなそぶりを見せながら日番谷は決して浮竹に強くそれをやめろとは告げない。代わりに京楽の元に訪れては、あの男をなんとかしろ、ともはや諦観した表情で言葉をこぼす。そんなやり取りをもうずっと繰り返している。本当は、日番谷自身、其れを変える気はないのだと言うことを京楽は知っている。日番谷は浮竹の好意を甘んじて受ける。その理由は知らねども、そうさせる何かが日番谷の中にあるのだろう。もしかしたら日番谷は、浮竹の中の失ったものに気付いているのかもしれない。それが自分の存在で埋められていることに気付いているのかもしれない。だから、甘んじて友の声を聞いているのかもしれない。そうしていながら、まるで迷惑だという素振りで京楽に不平を告げるのだから、笑ってしまう。 感情を表に表すことのないこの子供は、本当はきっと誰よりも情が深い。 だからこそ、だ。だからこそ、この子供は。
(あの男が、憎いんだろう)
てっきり、怒り出すかと思ったその言葉に、けれど日番谷は感情を表さなかった。代わりに視線をそらす。僅かな沈黙の後、諦めたように呼気を吐いた。その言葉に日番谷自身、思うところがあったらしい。 「お前は、」 そう言葉を途切れさせ、日番谷はもう一度京楽を見上げた。翡翠の双眸に、弦月が映りこんでいた。 「何があっても、”絶対”に俺に情を移したりしないだろう。だから愚痴が言いやすい」 「嫌だなあ。僕はそんな冷たい人間に見えるかい?」 「お前の性格がどうのと言ってるわけじゃねえ。それに俺は何にでも情けをかける事が優しさだとは思ってない。お前は、例え何かを切り捨てても最良の道で目的を果たせる男だ、違うか?」 随分と信用されたものだと京楽は苦笑する。人の性質を推し量るのに長けているのは子供も同じであったらしい。どうやら、この場所で、出会うべきでなかったのは日番谷ではなく自分であった、と京楽は自嘲した。 「まいったねえ、どうも」 「京楽」 ゆっくりと名を呼んで一呼吸後、日番谷が告げる。
「お前に頼みがある」
―――――
瞬きを数回。 日番谷はゆっくりと瞼を上げた。視界の端に弾け飛ぶ赤い血が見えていた。ゆっくりと下降していく体に、切り裂かれた痛みはなかった。その体は自分のものではないように、重くそして熱かった。 視界の中に藍染の姿があった。なす術もなくそれを見上げた日番谷は、自分の後を追うように平子が、砕蜂が、そして、京楽が、藍染の手にかかるのを見た。動揺と言う隙を作らせたのは明らかに自分で、その事実に日番谷はもはや思考も定まらぬ胸の奥でそれでも思う。 失墜する京楽を見上げ、日番谷は唇を振るわせた。
――京楽、お前に頼みがある。もし明日戦いの最中俺が足でまといになるような事があったら、俺を切り捨ててでも、藍染を討つと約束してくれ。俺に何があっても、お前だけは絶対にあいつを討つって。
(京楽。なんで、お前、あの時…)
蒼穹を仰いだ。 呼んだ名が、届くはずはない。ましてや思いなど。
「…ょう、らく…」
青が、霞む。 こんなに晴れた空なのに。
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