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歓酒 |
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「…終わった、な」 その呟きは小さく息のように消え入りそうなはかないものだったけれど、誰の耳にも重々しく深く、穿つように響いた。 一番隊隊首室。淡く光の差し込むその場所で、十三の字を背に負った浮竹が、誰に告げるでもなかったであろうその言葉を紡ぎ、呼気を吐く。あるべき13の存在は欠落したまま、それは焦燥と諦念の入り混じった語らぬ胸の奥も共に同じであった。各々がそれぞれに視界を歪め、ある日の戦線に思いを馳せる。どれだけ自責を重ねても、覆らぬ敗戦をしっかりと刻み付けられ、もはや全ての道は断たれたかのように思われた。 「何も終わってはおらぬッ。謀反人藍染は我らの手を逃れ、現世に身を潜めた。奴が再び力を備える前に、今ここで再び攻め入るべきだッ!」 憎い仇を前にしたときのような気迫さで、躍り出るように一歩前へ出た砕蜂が忌々しげに隻腕を振り上げ、告げる。ここにありながら、戦う意思を示した隠密機動総司令官、砕蜂の言葉に、狛村と浮竹、そしてあの戦線に立ち会わなかった更木と朽木がそれぞれ僅かながらに反応を示した。 体勢を立て直させるだけの隙を与えてはならぬ、というその言葉は至極最もで、けれど、あの戦線で奇跡的にも一人軽症で、戦う力を損なうことなく生き延びた京楽はその言葉に是と唱えることはできなかった。まるで己の言葉を代弁するかのように、胸の奥を浚う言葉が見知らぬ男の声で紡がれる。
「いいえ。貴方達の戦いは終わりました」
ふわり、と風が頬に押し寄せると共に、空席であった一番隊隊長山本が座するはずの椅子の前に一人の男が姿を現す。死覇装にましろの羽織を重ね、けれどそれは護廷十三隊の隊長のそれとは違った。純白。覆面で口元を覆った男は、気配もなく、京楽たちの前に降り立つ。 「何奴っ」 「誰だ、お前…」
突然の侵入者に、砕蜂と更木の声が重なる。朽木が静かに戦闘態勢をとり、その横で涅が、感心したようにほぅ、と溜息を吐いた。 その純白の羽織に浮竹と京楽は見覚えがあった。そして、それは見間違えようもなかった。かつての同志が隊長羽織を脱ぎ捨て、新たにまとった白を、まるで昨日のことのように二人は覚えていた。 「…王族特務…」 呟くように、浮竹が告げた。 「何?!」 「王族特務だと…?」 「何故ここに王族特務がっ」 隊長それぞれの言葉に答える声はなく、代わりに、血の紅のような男の双眸が、ここに集った隊長それぞれをさまよい、一巡するとまるで君臨する王の如く、男は、厳かに告げる。
「本日零時を持って、此度の戦線の指揮官は護廷十三隊総隊長山本元柳斎重国から、王族特務隊長、不知火の手に渡りました。大逆の罪人、藍染惣右介及び市丸ギン両二名は、王族特務隊の討伐対象となります」
一瞬の絶句。 よどまぬ男の双眸だけが京楽たちに向けられている。 「…つまり」 その沈黙を破るように、これまで言を挟むことのなかった京楽が、場にそぐわぬ鷹揚とした声で言った。 「僕らに手を引けと?」 刹那向けられた男の視線が、にこり、と笑った、かのように見えた。京楽の言葉に真意を知った砕蜂達がそれぞれ顔色を変える。 「勝手は事を…!」 「やれやれ、面白くない話もあったものダネ」 「俺はまだあの男と戦ってすらねえっこのまま引けるか」 異論を唱える更木達の前で突如、空気が凪いだ。息を吐くのすら躊躇われるような、静謐。明らかに男の霊圧を思わせた重い静けさのある空気に、更木達の声が途切れる。 「いいえ、引いていただきます」 告げる男の声は春の日差しのように穏やかで。 「王はこれ以上、たった二人の反逆者に手を煩わされているのを良しとしてはおりません」 けれど、否を唱えるだけの隙を与えなかった。 そして男は告げる。全ての終着地点をここに与えるかのごとく。
「貴方達は、負けたのです」
男がその場から去ると、砕蜂が苦しげにど、と片膝を地に付けた。あまりに重く深い霊圧に当てられ、まだ癒えきらぬ傷を抱えた砕蜂の体が軋むように悲鳴を上げたのだ。その横で静かに卯ノ花が手を伸ばしその体を支える。 「本当に、」 京楽は男の消えた場所を見据える。その場所は何時でも変わらず不動の戴に立ち続けたかつての恩師が、玉座の如く座り続けた場所だった。いるはずの存在は今ここになく、空の玉座に呟いた声に、返される声もない。 「僕らの戦いは終わったのかねえ」
その答えは、此処にいる誰も、きっと知らなかった。
三月後。 王族特務隊の手によって市丸ギンが捕縛。大逆の罪人、藍染惣右介は特務隊隊長不知火の手によって討ち取られたと報じられた。
京楽は安寧を取り戻した瀞霊廷を眺め一人杯を傾ける。瀞霊廷を震撼させた藍染の、崩御の一報に、街は歓喜で溢れていた。 あの男との戦いで、決して取り戻せない命が、散った。それは許される事では決してなく、等しく同じ思いが京楽の中にもあるはずだった。けれど、京楽は何の感情も浮かばぬ双眸で街並みを見下ろす。 結局最後まで、あの男が自分を取り巻く世界の全てを壊してまで何を成したかったのか、京楽が理解することはなかった。それでよかったのだろう、と心のどこかで知っている。 「ずるいよ、惣右介君」 それでも、藍染崩御に喜ぶ街を見下ろし、京楽は告げずにはいられない。
「僕らの手で討たせてもくれずに、逝ってしまうなんて、ね」
振り返った空は、青く、蒼く。 手向けの杯を交わすには些か不釣合いな陽気さで、何処までも、澄んでいる。
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