カラリ、と扉を引くとむわっと生暖かい空気が押し寄せてきて、思わず一歩後退してしまった。うわぁ。胸の奥でそう呟かれた声は、決してこの場で紡がれてはならない。俺は口を硬く引き結んで、その努力は報われないだろうと分かっていても呼吸を止めてみる。
 かつては自分もこの場所にいたというのに、離れてみて改めてみる十一番隊はなんと言うか本当に男の集団なのだ。何かが臭うというわけではないのに、執務室の扉が開かれた途端、そこはもう男くさい何かがたゆたっていた。空気にむせ返りそうになる。呼吸を止めたくなっても仕方がない心理だ。
 しばし、その空気に意識をとられていた時、入り口に立ち尽くしていた俺を見つけて執務室の奥にいた一人が立ち上がった。
―よぅ、恋次。どうした。
 軽く右手を上げて、挨拶をする男の声に執務室にいた隊員達が一斉に振り返る。ただ声に振り返っただけだというのにこの圧迫感。相変わらずだ、ここも。思いを噛み殺して、俺は睨まれているとしか思えない男達に挨拶をした。
―ちわ。
 短い声に重なるように男達のがなり声が響く。恋次、おい、恋次が来たぞ。おめーどうした。最近見ねー間にいい面構えになってきたじゃねぇか。六番隊嫌になって戻ってきたか?おい、誰か茶ァ入れろ!おめーが入れろや。んだと、コラァ。あん、やんのか、コラァ!そのまま抜刀しそうになったのを見てオオオオ俺が入れます!入れさせてもらいます!喜んで!思わず叫んだ。

(・・・俺は何しに来たんだ。)

 逃げるように給湯室に走った俺の目の前には汚れた湯飲み、何かの食べかす。ゴミの山。それらが連なる給湯室。シンクの底は物物に失われ何かすっぱい匂いが立ち込める。う、と胸の奥から何かが一瞬で上り詰めて、おおおおお落ち着け、俺!とそれを無理やり押しやった。はふぅと息を溢しこの場所から逃げ去りたい衝動を必死で抑える。自らがお茶係を名乗り出た以上とてもじゃないがこの集団が俺を逃すはずがない。しばし現実逃避をするかのように、俺は虚空を眺め本来のここにきた理由を思い浮かべてまた溜息が零れる。疲れた。何をしたわけでもないのに疲れた。ふるふると、首をふり、ひとつ溜息を噛み殺して、汚部屋と化した狭い給湯室をまずは片付けるべくゴミの山に手を伸ばす。

 賞味期限の切れた菓子を捨て、ゴミを片付け、湯飲みを洗い、湯を沸かし、ちょ、茶葉ねーッすよ。あん?じゃあお湯でいい。何言ってんすか、買ってきますよ。それがなぁ予算がなぁ。ちょ、茶っ葉一つ買えない予算ってなんすか!なんに使ったんすか!あんたら!酒か!酒だろ!酒だ!そう言って湯を入れた湯飲みを配っていた所で、

「恋次ィィィィィィィィ!!!!!!」

突然どこからか名前を叫ばれ、後ろからものすごい勢いで何かが俺の首を絞めた。

「ちょちょちょちょちょ、締まってる。締まってる。締まってるゥ!!!」

 危うく湯飲みを取りこぼしそうになって、俺は慌てて湯飲みを握り締める。後ろで俺の首を絞めている誰かは当然そんな事気にしちゃいない。俺の首をガクガクと揺すりながら苛立った声を紡ぐ。

「お前、『王印』が盗まれたってどーいうことだ!それと一緒に、日番谷が姿を消したってどーいうことだ!十番隊拘禁っていってぇなんだ!処刑命令って一体どーいうことだぁあああ説明しろぃ、説明ぃ!!!」

 たった今その全てを知ったらしい一角さんが疑問の全てをぶちまけ、説明だ説明!と尚も俺の首を絞め続けている。俺はせき止められる呼吸に三途の川を渡りかけ、今あんたが締めているこの首からその両手を離してくれれば今すぐにでも答えます!!!と必死で空いた片手で手の甲を叩いているところで、追い討ちをかけるようにガン、と頭に衝撃が走った。なんだ?となみだ目で見下ろした視線の先にピンク色の髪が揺れて、この場所に不釣合いな鮮やかな髪をした少女の姿が見えた。伸ばした手の中に俺の赤い髪がある。すぐに髪を引っ張られたことを理解した俺に、軽やかに肩でピンク色の髪を揺らした少女は、にこりと笑った。

「レンレン、私のお茶は?」

 何処からかおーい、お茶のおかわり頼むぜー恋次と誰かの声がする。あ、こっちもヨロシクなーと誰かが便乗する。ツン、と引っ張られた髪は解かれない。首は絞められたままだ。カサカサと書類の音が聞こえ、カリカリと書き留める音を聞き、ずずっと誰かが湯をすすり、そしてあれ?君何しに十一番隊に来たの?と何処からか弓親さんの声がした。俺は一体何から答えていいか分からずにとにかく今すぐ首から両手を離してくれ、一角さん!と懇願するように視線を彷徨わせた。その夜、声を殺して枕を濡らした俺の姿は誰も知らない。

「護衛中に何者かに襲撃された?」

 やけに神妙に俺の言葉を繰り返した一角さんに王印が盗まれるまでの経緯を話したのは、日が沈む少し前の事だった。十一番隊の隊首室で、当然のように居座っている一角、弓親、やちるの前で俺は本来ここに来た目的を果たす為に十番隊が王印の警護に当たっていた際に受けた襲撃事件の詳細を話した。明らかにそれを狙った賊。運ばれるルートを事前に知っていたとしか思えない迅速な動き。直ぐに応戦した十番隊隊士の前で王印はやすやすと奪われた。その全てがたった三名で行われたという事実。そして、日番谷は襲撃者に襲われた際に受けた傷を抱え、姿を消したということ。総隊長は躊躇いもせず日番谷に反逆者の印を押した。僅か三名に手も足も出なかった護廷十三隊の失態を日番谷の反逆という形で全てを片付けるつもりらしい。襲撃者の一人を日番谷が逃がした場面を見ていた者がいたのがそれを助長させた。
 十番隊が受けた罰則は手厳しいと言葉で簡単に片付けられるものではなかった。聞いていた他隊の人間である自分でさえその理不尽さに戦慄いた程だ。当の十番隊の隊士達の怒りはその比ではないだろう。奪還の機会も反論の余地さえも与えられないのは、盗まれたものが王族に連なるものだからだと、頭で理解していても、命を張って王印を守った十番隊隊士達に下されたものは、心の何処かが冷やりと凍るあんまりな仕打ちだった。
 日番谷の霊圧は既に瀞霊廷内にはない。すぐに隠密機動がその行方を辿ったようだったが、砕蜂隊長の様子を見るにそれも芳しくないようだった。日番谷を捕縛する為に、改めて護廷十三隊に追って命令が下される、とそこまで話したところで、再び首を絞めそうな勢いで一角さんが身を乗り出してきたから、俺はじりじりとあとずさった。
もう勘弁してくれ。


「何ぃ?捕縛命令だと?」
「くだらないね。」
「シロちゃん捕まえるの?鬼ごっこだね!」


 それぞれが思い思いに口にした全ての言葉が重なり合う。
その反応に俺の中にあった溜飲がしばし下がった。

「おい!恋次!まさか、あのジジイ、んな命令を十一番隊に回すつもりじゃねぇだろうな。阻止しろ。阻止してこい。俺は行かねぇぞ。んなめんどくせーもの。」

 今や藍染に滅ぼされた四十六室に代わってその責を担う総隊長をよりにもよってジジイ呼ばわりした挙句に、日番谷捕縛命令をメンドクサイの一言で片付ける一角さんに面食らった後で、思わず笑いそうになる。
 笑いを噛み殺して彷徨わせた視線に、あれ?そういえば更木隊長はどうしたんすか?この場にいない主が今更ながら気になって、話を遮った俺に、一角さんはあの人はなぁ、とぼりぼりと頭をかいた。

「日番谷隊長の処刑命令を聞いて、これで遠慮なく奴と正面切って殺しあえるぜって喜び勇んで修練場で準備運動してるよ。」

 弾んだ声で答えた弓親さんに、絶対十一番隊には捕縛命令はまわってこねぇっすよ。阻止するまでもねぇっすよ。
そう心の中だけで呟いた。

 日番谷の処刑命令にそれぞれの隊の隊長は何処か冷ややかな反応を見せた。皆が何処か乗り気ではないのが見ているだけで分かる。捕縛命令がどの隊に下されるか定かではないが、そこに小さな波乱が生じるのが想像できた。もしかしたら、今や隊の長をなくした三番隊と九番隊にそれは押し付けられるんじゃないだろうか、とそんな気がしている。

「で、お前はそれを話した上で俺たちに何の用があったんだ?」

 改めて問われる一角さんの声に俺は顔を上げる。真剣な目が向けられた。俺はその質問に答える前に質問を質問で返した。

「一角さん、今回の事どう思います?」
「あん?」
「本当に日番谷隊長が謀反起こしたと思いますか?」
「本当も何も襲撃者を目前で逃がした上に王印も奪われて、自分から姿消して、総隊長が謀反だっつったんだろ?俺たちがなんて言おうが、あの人が黒って言えばそれは黒だぜ。」

そう、あの人が黒といえば白でも黒なのだ。
痛みを覚えるほどに、知っている。でも、

「俺は一角さん達の気持ちが聞きたいんすよ。」

 挑むように向けた双眸に一角さんの目が揺れる。真意を推し量ろうとする俺にしばし面食らった一角さんは日番谷か、とぽつりとその名を呟いて顔を伏せてがりがりと頭をかいた。

「シロちゃんはそんな事しないよ!」

 その時、この場の空気に不釣合いな明るい声が沈黙を破った。振り返れば、やちるが身軽な動作でタン、と地を蹴って一角さんの肩に飛び乗る。あまりにも慣れた仕草で、一角さんの頭をつかんだやちるは覗き込むように体を傾いだ後で、ね、つるりんもそう思うでしょ、と明るい声を弾ませた。ぴきりと身を強張らせた一角さんの体の音を聞いた気がした。頭をつかむな、あ・た・まを!そう振りほどく手につまらなさそうにやちるは肩から飛び降りる。再びがりがりと頭をかいた一角はあぁああああ、と呻いた後で声を紡ぐ。

「短い間とは言え日番谷は先遣隊で俺達の指揮を取った上司だ。それなりに性格も理解してる。謀反なんて起こす奴じゃねぇだろ、あいつは。」

これでいいか!口早に告げた一角さんから視線を揺らすと隣で弓親さんもこくりと頷き同意を示した。

「で?俺にそれを言わせて何がしてぇんだ。お前はよ。」

一角さんの声に今度こそ俺は真剣に頷いて言葉を返す。

「俺、ルキアと一緒に現世に降りようと思います。」

 日番谷の霊圧は既に瀞霊廷にはない。そのうち調査は流魂街にも及ぶだろうけれど、俺は何故か日番谷は現世にいるようなそんな気がしているのだ。

「日番谷を探すつもりなのか?」

同じ答えに至ったらしい一角さんの言葉に頷く。

「朽木隊長と浮竹隊長には自由に動いていいと許可を頂いてます。」
「んだ、あいつらも日番谷の反逆なんて信じてねぇんじゃねぇか。」
「信じてるやつなんて少ねぇっすよ。みんな言わないだけで。」

苦笑をこぼして一角さんに視線を向けると、長い沈黙の後で溜息と共に、だな、と短い肯定が返ってきた。

「それでお前は、朽木と一緒に現世に下りて日番谷を見つけたら、どうする。」
「説得して連れ戻します。だから一角さん達に時間かせいで欲しいんすよ。日番谷隊長の捕縛命令が何処かの隊に下る前に連れ戻したいんです。」

冤罪を訴えるならそれしかなかった。
そういう事か、と一言呟いて、お前それ余計めんどくせぇじゃねぇかと一角さんが俺の首に手を伸ばす。思わず全力でかわすと隠しもしない舌打ちが聞こえた。しぶしぶという気配を漂わせそれでも一角さんは俺の願いに答えた。まぁ、手を貸してやってもいい。めんどくさそうに呟いた一角さんはそれでも、最後まで日番谷の反逆はありえねぇだろと言った。

「それにしても解せねぇな。日番谷の性格から反逆は考えられねぇにしてもあいつは自分で瀞霊廷を去ったんだろ。潔白の証拠もねぇのに何でお前らがそこまでする必要がある。」

ふと、思い立ったかのように一角さんが問うた。
西日が緩やかに執務室に差し、長い影が伸びていた。

「あの人には助けられた記憶しかねぇんすよ。」

間を空けずに答えた俺に、束の間視線が集った。俺は窓を見やりながら、逃れるように視線を外す。いつかの日俺は胸に抱いた小さな思いがあった。それはそれほど遠い日ではないのに、不思議と随分と昔のような気がしている。

「一角さん、さっき言いましたよね、俺達が何を言おうが、総隊長が黒って言えばそれは黒だって。」
「・・・あぁ。」
「それは何をしても覆らないって皆が知ってます。」
「お前、それが分かってるのに、日番谷の冤罪を請うのか。下手したらお前の行動も謀反と見なされるかもしれないんだぞ。」
「だから、行くんですよ。俺は。」

あぁ、
やけに焼け付く赤い夕空だ。

俺は見据える。
窓の向こうに広がる風景。
双極の丘。


抱いた思いは、あの日。


「覆らない命令に逆らってルキアの処刑を全力で止めようとしてくれたのは、日番谷隊長と十番隊の隊士でしたから。」

それは、思い出せば未だ痛みを覚える記憶。
四十六室にルキアの免罪を働きかけようとした唯一の死神。その名を聞いた時、俺はいつかあの人の為に、剣をとろうと思った。
 自分が死ぬことよりも、俺はルキアを失う事を恐れる。それに気付くのに随分と時間がかかった。あの時、あの人が立ち上がらなければ、俺は大切なものを失っていたかもしれない。

「ルキアを助けに走ってくれたあの人の役に立ちてぇんすよ。処刑なんてさせません。」


俺の命の要と言ってもいい存在を助けに走ってくれたあの人ために、
いつか俺は力も命も注いで、剣を取ろう。


 俺の言葉に沈黙を深めた一角さんはやがて一つ息を吐き、俺の前まで歩を進めるとバシリと力強く俺の背中を叩いた。一角さんの強い双眸が窓の向こうの双極の丘を見ていた。  


「行ってこい、こっちは俺たちで何とかしてやる。」
「はい!」

 

+++

 

穿界門の前に立つ俺の前で、
黒揚羽がひらりと舞った。


「恋次!」
「よう、ルキア。」
「準備はできておるようだな。」
「ああ、いつでも行けるぜ。そっちの守備は?」
「うむ。浮竹隊長が今、十番隊士の釈放を嘆願する為に総隊長の元へ行かれた。京楽隊長と伊勢副隊長も動かれている。朽木隊長は刑軍の動きを留めおいて下さっているようだ。でも、あまり時間はないぞ。先ほど十番隊士達の様子を見てきたが、此度の処刑命令に皆、熱り立っている。松本副隊長が隔離されているのも拍車をかけているようだ。卯の花隊長が宥め下さっているがこのまま日番谷隊長の処刑命令が覆されないのなら、十番隊士は皆剣を取る覚悟でいる。」


「…そうか。」

 

俺は一つ頷いて穿界門に向き直った。

 

++

 

なぁ、日番谷隊長。


俺はあんたの思いを知らねぇし、
きっとあんたの事だからこれから先も思いを語ることはねぇんだろう。


それでも今、これだけの人間があんたを信じて動いてる。


一人で抱え込んで、一人で思いつめて、
一人で何やろうとしてるのか知らねぇが。


これは、あんたの力になりはしないか。


あんたが大切に守ってきたもの全部ここに置いて、
もう帰ってくるつもりがねぇなんて言わないよな。


頼むから、
連れ戻せねぇような遠くへ行っちまわないでくれよ。


ここであんたの帰りを待ってる人達がいるんだ。

 

日番谷隊長。

 

++


眦を決したルキアをしばし見やって
今ここにこいつがいる奇跡を思う。


その奇跡の一粒を救いとることに、
迷いは見せなかったあの人に。


俺は。
俺たちは。


「行こう!恋次。あの人は死なせない!」
「ああ!行くぜ。ルキア!」

 

開錠。
ひらりと、
黒揚羽が視界に舞う。


声と共に眼前に広がった風景に、
俺たちは迷いなく駆け出した。思いを胸にして。
 

 

(終)
―――――――――――――――――

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