追憶

  長く横たえていた布団から這い出すとそれだけで凛とした面持ちになった。清音に頼んで用意した手桶は枕もとに。咲き誇ったカサブランカが一輪差し込まれた姿を見下ろして満足げに微笑んだ浮竹は、脱ぎ捨てた死覇装を足元に、新しい着物に袖を通す。年に一度訪れるこの日に掻き立てられる想いはいつからか優しい思い出だけとなったが、寂しさだけは消え去ることがない。後悔はしないと決めた。それを抱いて生きていてはあいつに叱られるだろう。彼の墓前に立つとき、曇った心でいたくなかった。それは意地だっただろうか。


「隊長。行かれるのですか?」
「あぁ、行ってくるよ。」


閉められた障子扉の向こう側で人影が頷く。


「夕立がくるようですよ。傘をお持ちになった方がいいでしょう。」


すぅ、と押し開かれた扉の奥に新緑と青空が広がった。湿った風が何処からか流れてくる。日はまだ高かったが、雨の気配は近く訪れていた。


(まるであいつの存在を忘れないようにと言っているかのようだな。)


今はいない彼の名を心の中で呼んだ。昔呼びかけたように。

海燕、と。

待機していた隊員に差し出された赤い傘を手にとって浮竹はそれじゃあ行ってくるよ、と歩き出す。見送られた背中に今は十三の文字はない。ひとりの男として彼の前に立ちたかった。対等なひとりの人として。


細いあぜ道を歩き続ける。先を行く人は誰もいない。寂しい道だと思いながらも脇道に咲いた夏の花に心を綻ばせた。この地が生きていることを単純に喜ぶ。共同墓地の入り口はすぐにたどり着いた。潜り抜けたその先に広がった風景を浮竹は声もなく見渡す。並べられた墓石は果てしなく、そしてそれは今も広がり続けている。海燕の墓前に立った浮竹は手に持った手桶の中から一輪百合の花を手に取った。広がる芳香が鼻先をくすぐる。


「お前には綺麗すぎる花かもしれんが、」


年に一度訪れるこの場所はいつだって花に溢れていることを浮竹は知っている。あれから何年もの月日が流れたというのに変わらずに餞られた花の数はそのまま彼への信頼の多さだ。沢山の花を見下ろして浮竹は静かに手を合わせた。ただ、安らかであれ、と。


ふ、と浮竹は伏せていた顔を上げた。知っている霊圧が近くをよぎった気がして視線をさまよわせる。その先に見慣れた姿を見つけると名を呼ぶよりも先に視線の先にいた人物がこちらに気づいて歩いてくるのが見えた。


「冬獅郎!」


意外なところで意外な人物に会うものなのだな。心の中で思いながら浮竹は目の前の子供がいたずらが見つかったときのような笑いで肩をすくめる姿を見おろした。


「墓参りか。」


浮竹の前まで歩み寄った日番谷は挨拶よりも先にそう言葉をかける。そして浮竹を見るよりも先に、その墓前に視線を映した。古びた墓石に彫られた名に、何かを思い出すように目を細め、そして、一言、


あぁ。


と。


あぁ、あれからもう何年もたったんだよな。


と。そう呟いた。


「ああ。月命日は来れないからな。今日くらいは足を運んでやるのさ。」
「きっとうるさい隊長が来たってうんざりしてると思うぜ。」
「なんだと。」
「はは、」


新緑が風にさらされて葉音を響かせた。人の気配は二人以外いない。沢山の墓石に囲まれて、立ち上る花の芳香に少し酔いながら浮竹は見下ろした子供の手に自分と同じような手桶が握られているのを見て、口をつぐむ。小さな桶に紫の桔梗の花。
海燕の墓でない、と。咄嗟に思った。彼は自分とは違う誰かに花を手向けにきたのだと。それが誰、とは何故か聞けなかった。


「ついでで、悪いな。」


日番谷は手桶の中から一輪紫に縁取られた桔梗の花を海燕の墓前に置いた。静かに手を合わせる。ほんの短いとき。けれどそれは彼だけのために捧げた祈り。浮竹はそれだけで何処か救われる気持ちになった。ほんの数秒、心を傾けた。それだけの行為に。


「浮竹。」


瞼を開いた日番谷の目に色鮮やかな花が飛び込む。日番谷の声は風に紛れて浮竹の鼓膜に届いた。


「もし生きていてくれたら、そう思うことはないか。」
「え?」


碧眼がまっすぐに浮竹に向けられる。その真摯なまなざしに一瞬何を言われたのかもわからなくなるほど。痛ましいくらいにひたむきな。


今はもう会うこともかなわない人が、
もし生きていてくれたら。


「俺は思う。」


降り注ぐ初夏の日差しに日番谷は目を細める。その瞬間、日番谷の脳裏によぎった男の姿を浮竹は知る術がない。困惑したままたたずんだ浮竹を見て日番谷は、小さく笑った。


「…なんてな。本気にすんなよ。」


からかう様に手を振って、邪魔したな、と日番谷は歩きだした。その背に言葉をかけることもできず浮竹は歩いていく日番谷をただ見つめる。日番谷の姿は共同墓地の果てに、楓の木の奥へと消えていった。


例えば、その存在を思い眠れぬ夜を幾千も迎えた自分のように。たったひとつ、その名を呼ぶだけで懐かしさで心が押しつぶされそうになるようなそんな人が、日番谷にもいるのだろうか。浮竹は知らない。見上げた空からポツリと、冷たい雫が頬をかすめた。


思いなど知ることもなく、雨が降り始めようとしていた。

 

 

(完)

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<NOVEL>