|
霜天 |
||
|
壱 魂魄消失事件の起こりから、既に四十年以上がたつ。 半数以上の隊長、副隊長を失い、一時は傾きを見せた護廷十三隊も、三ヵ月後には当時の上位席官から出た卍解習得者が、新たに隊長の座に着くことで、一応の安定を見せた。けれど、十三、揃いの隊長羽織に、胸を撫で下ろしたのも束の間、就任して僅か八ヶ月、十番隊隊長その人が、日の沈まぬ北国の、つまらぬ小競り合いに巻き込まれて命を落とす。
「また一人、見送ったな。」
自らの口から出た言葉に、護廷十三隊十三番隊隊長――浮竹、は苦笑する。それは自分の耳にも、自嘲めいたもののように響いた。心にある空虚をこの時ばかりは自覚せずにはいられない。極まった先、満ちたものは必ず綻ぶ。隊長職に着いて既に百五十年余。見送った同僚達はいつも全盛の先に散った。それは護廷の頂点だけに限ったものではきっとない。 (俺が生き延びたのは、) 永の患いから隊勤を離れることの多い浮竹が率いる十三番隊は、そういう意味では不足があった。女遊びに明け暮れ仕事から離れる京楽のそれにも偏りがある。あの男の場合はどうもそれを故意にしている節であったが、同様にそこに完全円満の極みの到達はなかった。僅か0.1%の綻びが常にそこにはみえる。在位百年にして、皮肉にも結果それが自らを生かしていることを浮竹は知った。
あれから数十年。 卍解習得に到ったものは誰もいなかった。十番隊の空いた席次は埋まらないまま、今では一人分欠けた護廷の戴に皆が慣れきり、傾きのあるままそこで奇妙に安定した。それでも世は泰平とは名ばかりに、昨今では特殊能力を持つ虚の出現に戦が絶えぬ。魂魄消失事件以前より先には記録にも上がらなかった変異体が次々と人を襲うようになった。元々魂の変質を重ねたものが虚だ。更にそこからの進化を辿ったのか。衰退か。どちらにせよ、予測不可能な虚の能力の前に、死神達もまた乱世に続く更なる能力の行使と向上を求められたのは確かな話だった。 これまで、通常出没していた虚の出現率に加えて、特殊能力を持つ虚達である。まだまだ生態が明らかになっていない変異体に、郛外区に住む人の被害は年々増すばかり。それは戦闘に特化した護廷十三隊の死神も同じであった。ここ数十年で技術開発局が作り出した数々の包囲網を潜り抜ける敵に、遂には警戒態勢が張られ、各地の郛外区を護廷十三隊の死神が常に巡回することとなったのが数ヶ月前の話。
雨乾堂、隊首室。 その日、十三番隊副隊長――海燕は、定期巡回の確認の為訪れたその一室で、いつもは床に伏した隊首が、嬉々として死覇装を身に纏った姿を見て軽く眩暈を覚えた。昨夜、床の中で血の気の失った顔で、明日の巡回は俺がいくからな!と、子供のように駄々をこねたこの男の口ぶりが一瞬で脳裏に蘇る。
「あー、もうッ…!隊長、俺が行きますって言ったでしょう!病人は大人しく寝ててください!」 「なあにを言ってるんだ、海燕。お前は今日大事な結婚記念日だろう。家でのんびりしていろ。」 「そんな事言ってあんたまた無理して…、」 「卯ノ花も問題ないと言っていたし、定期巡回など問題ないさ。今日のために、非番にしておいてやったのに、のこのこ仕事しにくる馬鹿がいるか。都が泣くぞ。」 「…!」 「海燕、お前去年も一昨年も結婚記念日忘れて仕事して都を怒らせた事を忘れていないだろうな。」
病床に就くことの多い隊首に変わって隊を仕切るこの男も、愛妻――都の名を出されては言葉が継げぬ。浮竹の、大丈夫だから、と続ける声を疑いながらも、結局説得される形でその好意に頷いたはもののまだ納得のいかぬ顔の海燕の背後で、浮竹の巡回のお供の役目を競って命をとらんばかりの気迫で、壮絶なジャンケンを繰り広げる小椿と清音の声が蒼穹の彼方に吸い込まれる。燦燦と降り注ぐ夏の日差しは暑い。 その日、護廷十三隊の十三番隊隊長浮竹が、西流魂街潤林安に訪れたのは、そんな経緯であった。
ほどなくして勝利を収めた小椿と共に、浮竹は白門道を下った。 一番地区である潤林安は治安も良く、霊力の素養のある魂魄が比較的多く集い、そしてこれまで多くの死神を輩出した街でもある。先に巡回についていた九番隊檜佐木の「異常ありませんでした!」という言葉に労いを重ねその背を見送って巡回を始めてすぐ、物珍しい白銀の長髪を持つ浮竹の前に、街の子供達がこぞってその姿を取り囲んだ。平素死神を嫌う街の人間も、滲み溢れる浮竹の人柄のよさに結局のところ警戒心を解き、近年虚が出現した事件や襲われた村などの話を言って聞かせたりもした。住人達の話は無機質な書面に綴られた報告書よりもよほど生生しく、昨今の虚増加の裏づけともなった。ここ数ヶ月前から虚の数が増えたとされているのは現世が戦渦に入ったからでもある。対極に位置する尸魂界もその影響を受け、流魂街に運ばれてくる魂魄も、そして虚の数も僅か一ヶ月前に比べて増していた。平時は長閑なこの街も虚の襲撃に怯え暮らさねばならない世になりつつある。ここよりも数を重ねた街ではきっと、それ以上に無残なものを見る羽目になるかもしれないと、笑みに隠した心の奥、いつの世も安寧を願ってきた浮竹は一人、悪い流れに乗りつつある世を憂いていた。
遠く西方に落日が訪れた。 二刻ほど街を巡って巡回は交代となる。 このまま何事もなく終わると思った矢先、突如、日の沈む山間から身の毛もよだつ獣の咆哮に似た声が上がった。音は天を劈き、地を揺らし、大気を律動する。
「隊長ッ!」
心得たように小椿がその名を呼ぶと浮竹は柔和であった顔に険しさを浮かべ鋭く振り返った。
「皆、家に入れ!」
まさに鶴の一声。戸外に出ていた人々は弾かれるように、短い悲鳴と共に駆けた。獣に似ている、けれど獣ではない。この咆哮の主を住人たちはその目で見て、耳で聞いて、知っている。大人達はこぞってその顔を恐怖に引きつらせながら広場に散っていた子供達を次々と近くの家屋に押し込み、そしてその戸を硬く閉めた。全ての住人が家に為りを潜めた事を確認し、再び山岳に目を向けた浮竹の前で、二度目の咆哮が、天を貫く。
啼いている。 まさしく、虚の産声だった。
咆哮。そして霊圧。その方角に山間を一瞥し、浮竹と小椿、二人駆け出そうとしたその時、不意に後ろから、く、と袖を引く力を感じ浮竹は振り返った。
「こ、これ!桃!戻りなさい!」
戸口の真横、橘の木が聳え立つ家屋の開いた戸から慌てた様子で出てくる老婆と、そして浮竹の死覇装に重ねたましろの羽織の裾を引く、黒髪の少女を足元に見た。巡回に街を訪れた際、物珍しげに白髪に触れた子供の一人であったことを浮竹はその時思い出した。
「君は、」 「…死神さ、ん、」
老婆に桃と呼ばれた少女は何やら切羽詰った潤んだ瞳で浮竹を見上げ、羽織を握る手にぎゅっと力を込め告げる。
「シロちゃんと栄太が戻らないの…!お願い!二人を探して!」
聞けば村の子供が二人、山に入って戻らぬという。咄嗟に表情の曇ったそれをひた隠しにし、どの山に入ったと問えば、今まさに浮竹と小椿が二人、その地に向かおうとした低い尾根が連なる山であった。流石の浮竹もこれには焦りを隠しきれない。それでも不安に見上げる桃という少女に浮竹は微笑み頷いた。
「分かった。君の友達は必ず探し出してくるから。だから君も早くおばあちゃんと避難するんだ。わかったね?」
約束だ、と小指を握らすとようやく安堵したように少女は頷いた。
「小椿、行こう、」 「はい!隊長!」
いつ虚が山腹の子供に気付き屠るか分からぬ。最早、事は一刻を争った。後ろに控えていた部下を見ることもなく地を蹴ると、二人の姿は、風にかき消えるようにその場から消えた。ひらり。舞い上がった、落葉が虚空に揺れる。 近年、死神ですら難しいといわれる霊圧を絶つ能力を持った虚の出現率も多いと聞く。ここに現れた虚が特殊能力を持つ変異体であるかは定かでないが、少なくとも山岳に現れた虚は霊圧を持っていた。不幸中の幸いかそれを辿ることは容易く、そして辿ったその霊圧は驚くような速さで山を下山している。迎え撃つような形で、最早山道とも呼べぬ獣道を駆け上がり、まさに一匹(いちひき)の虚と二人の死神、相容れぬ二つの存在が対峙しようその瞬間、迷わず双剣の柄に手をかけた浮竹の前に、がさり、目前の新緑が音を立てて激しく揺れた。そして、浮竹は目を見張る。 てっきり虚が現れると思った眼下の茂み、息せき切ってそこから現れたのは、少年だった。瞬きもせぬ刹那、少年の魅惑するほどの輝きを持つ翡翠の双眸と浮竹の視線が交差する。 (――白銀の髪…、)
「…君は、」
いずれ、尸魂界一の軍事力を誇る護廷十三隊の、0.1%の綻びを埋める少年、――のちの護廷十三隊十番隊隊長、冬獅郎と、浮竹のまだ誰も知らぬ初見であった。
|