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莫逆の友
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第一章 出会い (2) |
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西修練場に続く道に、桜が連なる。その道を歩いていくのは、試験を受けている新入生達だ。その新入生達の間に、明らかに、異質を思わせる男の姿が二人、あった。吹きぬける風に煽られ、満開の薄紅の花びらを散らす桜の木のあまりの綺麗さに、ゆっくりと歩をとめ眦を下げ、ほっと息をついた男の一人を振り返り、呼ぶ声が響く。 「浮竹隊長っ! 早く、その子供見つけて隊舎帰りますよ!仕事山積みなんですから」 「待てよ、海燕」 男二人、桜散る校舎脇を、新入生達の間を掻き分け、足早に過ぎ去って行く。 死神の代名詞である死覇装をまとったその二人が通り過ぎていったその場所に連なる桜の中でも一際その存在を際立たせる薄紅の桜の大木がある。真央霊術院創設以来、千年。枯れることなく咲き誇るその桜の大木の上、雪の白さを思わせる髪を持つ一人の少年の姿があった。大振りの枝の上、絶妙なバランスで眠りを貪る少年の肩は規則正しく上下している。そよぐ風にさらされ、散る桜のひとひらが少年の頬をかすめた瞬間、少年の閉じていた瞼が、ゆっくりと数度瞬いた。それは、澄んだ玉の色を思わせる蒼。少年の双眸に、深い空の青が映りこんでいた。 目が覚めてすぐ、飛び込んできた薄紅の桜と、空の蒼に、少年はここは何処だろう、と咄嗟に思考した。 高く、こんなに遠い、突き抜けるような空を、生まれた国では見た事がない。少年の知る空はもっと深く、押し寄せてくるような群青だった。咲き誇る桜はもっと雪のように、白かった。 (こんな、青じゃない…) 空は、もっと圧倒的で、一人野に立てば、視界に広がる世界の半分以上を占める青に飲み込まれてしまいそうになる。それが、怖く、けれど、あれほど美しいものは他に知らない。 記憶の中で蘇る青と重なり合う色鮮やかな空に、少年の意識はゆっくりと形を成していった。 ――いい?シロちゃん、明日は大事な試験だからぜぇったいに遅れちゃ駄目だからね。 不意に、昨夜、この世界にきてからというものの何かと自分の世話を焼きたがる姉のような存在に、何度も何度も繰り返された言葉が蘇る。その瞬間、少年は、まどろみから一気に意識を浮上させると共に、この場所がどこかを悟り、桜の木の上で跳ね起きた。 「やべっ! 寝過ごした!」 気付いた時には。ゆらり。反動で揺れた枝から少年の体はバランスを崩して、傾いでいく。 「あ、」 視界に広がる逆さまの世界に、少年は自分が木の上から落ちていることを、知った。
――
「僕達の試験は後は西修練場で受ける霊力だけだね」 「よし、早くいって終わらせるぞ、小蘭(しょうらん)。試験が終わったら早速女性(にょしょう)を茶屋に誘わねばならん」 「…幸也(ゆきや)。君、何しに学院に来たの?」 「嫁を探しに来たに決まっておるだろう。この学院に入学すれば、必ず俺の嫁になりたいと申してくれる優しい女性が降ってくるはずだ」 「……降ってはこないと思うよ」 南修練場から、剣術の試験を終え、桜道を歩いてくる二人の青年の姿があった。旧知を思わせる二人は、およそ大半の新入生がある種の覚悟を持って望む試験をそっちのけで(そのほとんどが幸也と呼ばれた青年であったが)、さっき受けた剣術の試験会場にいた、あのおなごは可愛かった、だの、あの娘はなかなかだった、だのと試験会場に集った女性達に意識を奪われていた。半ば、諦めと共に、その声を聞いていた小蘭と呼ばれた青年は不意に、友人の幸也の声が途切れ、立ち止まっていることに気付いて振り返った。 「…幸也?」 幸也の視線は、名を呼んだ小蘭ではなく、その上で花びらを散らす桜の方へ向いた。その瞬間、幸也でも、小蘭でもない。まだ子供を思わせる少年の声が二人の頭上から突如割って入った。
「――…よけろっ!」
「えっ?!」 がさりと、頭上の桜が揺れ動いた音を耳で拾った小蘭が、驚きと共にその音がした上へ視線を上げた瞬間。伸ばされた幸也の右手に、体を突き飛ばされて、小蘭は数歩よろめいた。 「わっ!」 見上げた視線の先。ましろの髪を持つ少年が、今まさに小蘭がいた場所に向かって落ちてくる。 「子供?!」 かろうじてその存在を視線の先で認めた小蘭は、続いて友人の幸也がその両手を広げ子供を受け止めようとしている姿を見た。どさり、と激しく何かがぶつかり合う音がして、舞う土煙の中を、尻餅をついた姿で重なり合う少年と、友人の幸也の姿を目の前に見た小蘭は、咄嗟に自分が友人に庇われた事を理解して、青ざめた顔色で友人の元に駆け寄る。 「幸也っ! 大丈夫か?」 いてて、と、さほど、痛くもなさそうに目の前で呟いた幸也は、心配げに駆け寄ってきた小蘭を見上げ、続いて両手でしっかりと抱きかかえた少年の姿を見下ろして、一呼吸後、驚いたように再び小蘭を見上げて告げた。
「見ろ、小蘭。女ではなかったが、子供が降ってきたぞ」 「……幸也、」
子供が玩具を与えられた時のようにそう瞳を輝かせる友人に、小蘭は傷む頭を抑えその名を呼んだ。
―――
冬獅郎が、木の上から傾いでいく己の体に、それでも焦りを覚えなかったのは、自分が落下していくその場所に、人影が見えるまでの話だった。落ちていく体が、そこに歩いている二人の青年にぶつかるだろう、と予期した瞬間、冬獅郎は二人に向かって叫んだ。 「――よけろっ!」 空中で、二人をかわすのは無理だった。願いのように告げたその声に、二人、それぞれが驚いたように冬獅郎を見上げる。そして、いよいよ接触すると悟ったその刹那、よけるどころか自分を受け止めようとしている青年の姿に、冬獅郎は、何でよけないんだ、と咄嗟に思った。体にくるであろう、と予想した硬い衝撃は、いつまでたってもこなかった。代わりに、人の肌の弾力。その腕にしっかりと支えられた鈍い衝撃。自分の体の下に、下敷きになっている青年の姿に冬獅郎は自分がこの身で受け止められた事を理解した。 「っ」 軽い痛みと共に、跳ね起きるように、青年の上から退こうとした冬獅郎は青年の腕がしっかりと自分の体を支えていることに気付いて、咄嗟にその顔を歪め、焦りと共に、立ち上がった。 「悪いっ、大丈夫か?!」 引き剥がすような激しさで手を振り払うと、一瞬青年が驚いたように自分を見上げる。その姿に冬獅郎は自分の失敗を悟ったが、時はすでに遅かった。冬獅郎の横から友人らしい青年が、「幸也!大丈夫か!」と、二人の元に駆け寄ってくる。 「悪いっ」 冬獅郎は、幸也と呼ばれた青年を見下ろし、もう一度その言葉を告げた。冬獅郎が気遣った青年の安否は決して自分の体を受け止めた衝撃で負った怪我ではなかった。それを知ってから知らずか、幸也が、たった今まで冬獅郎を支えていた自分の両の手の平を、何かを思うようにじっと見下ろす。その姿に、ぎり、と歯を噛み締めた冬獅郎は、続いて告げようとした謝罪を、幸也の表情を見て、飲み込んだ。 「ああ」 呟くと共に、幸也が顔をあげ、何でもないように、笑う。 「心配はいらぬよ」 「でも、」 「それより、あの木の枝に引っかかっている懐刀は、おぬしのじゃないのか?」 「え?」 幸也に指を指されて見上げた桜の木の上。小さな小枝に下げ紐を引っかからせて宙吊りとなった懐刀があった。その姿に、あっ、と声を上げた冬獅郎の横で、幸也の友人であった小蘭がゆっくりと告げる。 「あれは、もう一度木に登らないと取れそうにないね、僕が取ってきてあげるよ」 そう名乗り出た小蘭に、冬獅郎は首を横に振った。 「いい、大丈夫だ。ここからでも、取れる」 「え、でも、」 そう続けた小蘭と、幸也の前で、振り上げるような動作一つで、冬獅郎が手を上げる。その瞬間、はらり、と懐刀の周囲の桜が散り、枝にひっかかっていた懐刀が、すっ、と音もなくおちてきた。それを片手で受け止めた冬獅郎は、驚く小蘭をよそに、先ほど自分を受け止め倒れた幸也を振り返り、告げた。 「……本当に、大丈夫なんだな?」 ついさっきまで懐刀が引っかかっていた木の枝を見上げていた幸也は冬獅郎の声に、その視線を目の前の少年に向けた。真摯に問われた声に、幸也は頷く。 「ああ」 「……」 気遣うというよりも。己の言葉を疑うような冬獅郎の眼差しに幸也は笑う。 「本当だ」 その声に、今度こそ冬獅郎は頷くと、じゃあ俺は行く、と少しの逡巡を見せながらもその場から去った。 走り去っていく冬獅郎の後姿に小蘭が、小さく呟いた。 「なんていうか、変わった子だったね、……幸也?どうかしたのか?」 振り返った友人が一心に桜の木を見上げている姿を見て、小蘭はいぶかしむようにその名を呼んだ。 「小蘭、さっきの見たか?」 「え?」 「あの子供が手を上げた時、」 「ああ、運がよかったね。風に揺れて懐刀が落ちてくるなんて、」 「…風ではない」 ぽそり、と呟いた幸也の声は小蘭には届かなかった。まるで先ほどの冬獅郎と、同じような動作で幸也が右手を上げる。その指先に霊力が込められているのに気付いて小蘭は咎めるように幸也の名を呼んだ。 「幸也っ」 指先にこめられた霊力が放たれる。その瞬間、衝撃を受けた桜の木の枝が、パァンと弾け飛ぶように粉砕する。ぱらぱらと木の枝が頭上に降りかかり咄嗟に小蘭はそれを右手で払った。 「何やってるんだよ?! 幸也っ!」 驚く小蘭をよそに、幸也はいたって平静なまま、考え事をする素振りで、ふむ、と呟いた。 「…俺にはできんな」 「はあっ? 一体何が?!」 ついさっき、目の前で少年がたった一振り腕を振り上げるような動作一つで、懐刀の下げ紐が引っかかった細い枝を一本、霊力で切ったのを確かに幸也は自分の目で見た。少年が放ったその霊力は、きらりと、陽光と弾いて枝を切った瞬間に霧散した。鋭利な。凍てつく氷の鋭さを思わせるような霊力だった。 あれほど鋭く細く硬い霊力。しかも、たった一本の小枝だけを切り落とすその技巧。小蘭の目には映らなかったらしい、その所業に幸也は感嘆と共に、あの少年を抱きとめた両の手を見下ろして笑った。 少年が気遣ったあの言葉。決して体を抱きとめた時の衝撃に倒れた体にではない。 (肌に触れるだけで、霊力で人を傷つけるか…。大きく、それでいて厄介な霊力だな) 幸也の手の平。 きらりと光を散らす氷の残滓がさらり、と流れる。その冷たく氷のような霊力に、ぴりりと肌を焼かれる痛みを感じながらも、幸也はもう一度笑うと、突然のわけの分らぬ行動をする幸也にいまだ文句を言い続けている小蘭の頬に、その右手をぺたりと貼り付けた。 「冷たっ…!」 「小蘭、俺達も西修練場に急ぐぞ」 「えっ、」 さっきまで女性を茶屋に誘う話ししかしていなかった幸也が、突然やる気を見せた姿に驚くと共に、凍傷を負ったような冷たさの幸也の右手に小蘭は、息を飲んだ。 「あれだけの力の持ち主がいるとは…。俺も、負けてはおれん」 「幸也っそれより君、その手…」 小蘭の問いをよそに、楽しげに駆けていく幸也の背を、追いすがるように小蘭は走った。 「あ、待てよ。…幸也!」
二人。西修練場に向かって走り去っていくその背に重なるようにひらり、と薄紅桜が散った。
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