陽だまりに似ている 3

 私室を出てからの道筋を思考の中で辿りながら日番谷は、腕の中の書簡に視線を向けて息を落とした。何度掃除をさせても消えることのないかすかなかび臭い匂いが鼻先をかすめる。歩くたびにキシリと鳴る板張りの床は一体いつから張り替えていなかったのか。少なくとも自分が隊長職につくずっと以前からこの場所はずっとこのままだったような気がする。不意に席官時代の記憶を想う。多忙さを極めたあの頃の日々で何度も足を運んだこの場所は、不思議と心が安らぐ場所だった。柔らかく耳を塞がれたように、人の声も、物音も、届かなくなる。静かな、静かな世界に温かい光が注いでくる。まぶたを閉じれば、何処かにたどり着けるような気がした。ただ、優しい世界に。

 「日番谷隊長、来ていたのですか」

 背後からかけられた声に日番谷は目を開ける。変わることのない光が淡く差し込んでいた。

 「…あぁ、書簡戻してきてほしいって頼まれちまってな」

 振り返らずに答えた。あなたが?そう問われた言葉に笑いが含まれる。横を通り過ぎる幼さを残した青年に、肩をすくませながらも手にしていた書簡を手渡すと、招かれるようにふわりと揺れた男の手に促されて、椅子に腰掛けた。

 「相変わらず静かなところだな、ここは。」
 「資料室なんてどこもそんなものでしょう。」

 頷くことで答えて広い室内に視線をめぐらす。犇めき合うように置かれた書簡の数は席官時代に何度通っていたとしてもはかり知れないものがあった。

 「それにしても隊長が此処に来るとは珍しいですね。」

 温かい湯気を立ち上らせた急須を手にして青年は再び日番谷の前に姿を現した。整頓された机の上で、茶の香りが漂う。手渡された湯飲みに口をつけて苦味のある茶を舌先で転がすと、日番谷は眉間のしわを深めた。

 「すっとぼけた事言いやがって。」

 僅かな間をおいて、日番谷は視線を青年に向ける。その言葉に驚くこともせずにただ微笑む青年の姿に日番谷は小さな舌打ちを口の中で響かせた。

 「お前らなぁ…。」
 「ふふ。気づいてらっしゃいましたか。」
 「当たり前だろ。ばれたくなけりゃ、もっと上手いことやれ。」

 朝稽古や水張りの立会いには何も感じなかった。今にして思えばあれですら、そうであったのだろうとそんな風に思う。気づいたのはそれから後のことだ。十番隊舎の門をくぐってすぐに女の二人組みが慌てた様子で日番谷に声をかけた。話を聞いてみれば、南の回廊で隊員同士が言い争いをしている、止めてほしいとそんな内容だ。珍しいことだと思った。女の隊員に言われた場所に急ぐ。二人の男を見つけたが、肩を抱き合って笑い合っている様子の隊員に拍子抜けした。声をかけてみれば、仲直りをしたと間抜けな笑い顔で答えた二人の声音が重なり合った。迷惑な野郎だ、と思いながらもそうか、よかったなと踵を返す背中に声がかけられる。振り向くと、新入したばかりの隊員が代3倉庫で確認してもらいたいものがあるので来てほしい、そんな弱々しい声に断りを入れるタイミングは困り果てるように目を潤ませた隊員の姿を見て消えうせた。倉庫に行ってみればなんて事はない、単なる搬入の立会いだけで、それ以外には何もない。深いため息と共に倉庫の扉をくぐれば、待っていたかのように十番隊員が書簡を片手に佇んでいた。そう、今日既に正午を回った今だ十番隊隊首室に足を踏み入れていない。

 「何を企んでやがる。」
 「さぁ。僕からはなんとも。」
 「このまま俺を隊首室に入れないつもりか?」
 「ふふ、分かっていて付き合ってくれる隊長も人がいい。」
 「無理に行ったところでお前達はなんだかんだと足止めするんだろう」

 十番隊員全員が相手じゃ、こっちに勝ち目はねぇよ。
 その言葉にふ、と息を漏らして青年が微笑んだ。日番谷は顔をあげる。青年の顔にただ暖かな感情だけが宿った。

 「例えば、」

 机の上に乗せられていた青年の斬魄刀が答えるようにかすかに震える。撫でる様な動きを見せた青年の右手に数えられる指はなかった。

「前線で戦えなくなった僕をそれでも隊に留めてくれたように。」

 利き手を潰されました。戦場で、いつだったかの青年の静かな声を日番谷は今でも思い出せる。席官からの降格。願い出たのは他でもない青年自身。以来ずっと資料室の管理を任されてきた青年がどんな思いで過ごしてきたのかは知らない。穏やな時であったらいい。優しい時間を過ごしてきてくれたならいい。

 「隊長の優しさに惹かれてやまないのは僕だけではないという事です。」

 真っ青な空が見えた。窓辺から、差し込む白い光が床に落ちている。湯飲みの熱い茶を飲み干して、静かに立ち上がった。空になった湯飲みを受け取って微笑を絶やさないでいる青年に、答える言葉を日番谷は知っている。

 

 

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<四話>

<NOVEL>