|
糸し糸しという心 |
||
|
第一部【弐】 |
||
|
元から喧嘩は嫌いではない。剣を握るようになってからは村の何処かでいざこざが起こるときは自ら進んで争いの中に身を落とすようになった。いつしか名が馳せ、武者修行の戦いを挑まれる事も多くなった。剣はいい。命のやりとりは。己を忘れ、己を越え、己でないものなる。精神も肉体の垣根も超え、有限と無限を繰り返し、いつしか天地や雨風やそれら一切を覆う大気にすらなれる。 「君はいいね、戦う君は美しいね」 争いに身をやつす日々。傍には戦いを傍観している弓親と子供がいた。無心から意識を取り戻す頃、血振りをする姿を見て、決まって弓親はその声を落とす。傍では子供が碧玉の瞳を瞬かせもせず、じっ、とこちらを見ている。己を取り戻す瞬間。子供が安堵の溜息を零す。静寂から喧騒へ。意識が流れる。 二人、斬った。一人は長身で、一人は巨漢。一人目は喉を刺し、二人目は背中を切る。三人目、相手の肩に剣が入って、歯がこぼれ、四人目、とうとう剣がいかれる。 「危ないっ!」 悲鳴に似たそれは子供の声。真っ二つに折れた刃先が空を舞って、今日も今日とて傍観者を決め込んでいた弓親に向かって飛んでいく。振り返り、駆けようとして足を掴まれる。斬り損ねた四人目が仲間の血に濡れながらこの足をとどめる。ざっ、血の引く音を体の中で聞き、何事か吼えて、腕を振り上げた。鼓膜を劈くようなこの声は子供か。瞬きの後、振り返った先に見るものが共に暮す者の死ぬ姿とあっては笑えない。足を掴む男を殴り、それでも離されない腕に苛立ち、相手の顎を蹴り上げて、もう一度振り返り、よけろ、と告げた。こんな必死な声は自分だって知らない。それなのに、陽光を吸い取ったかのようにキラリ、と光る刃先の射るような凶器を前にして、子供の悲鳴と焦る己の心情も知らず視線を合わせた弓親が見せた表情はたった一つ、笑みだけ。ゆらり、と弓親の着物の赤い袖が揺れた。結わえられた長い黒髪がそれにあわせるように肩から落ちた。弓親がした動きはたったそれだけ。刃先は、弓親に届く前に、とさり、と乾いた音で足元に落ちた。 「背後から襲いかかるなど、卑怯な奴めっ」 「ああん?」 辿り掛けた思考を足元から届いた男の声で遮られた。気付いたらごつり、と頭突き繰り出していた。 「元はといえば、」 何かを導きそうだった。思考は一つの答へと向かっていた。それも今となっては散り散りだ。何かを解しかけたのに。 「お前が、武者修行中の身だからつって、」 元々器用なたちではない。 「一対一の一騎打ちを望んだから」 考え事をしながら戦うなど、不可能だ。 「相手をしてやろうとしたら、騙して集団で襲ってきたせいだろうがっ」 「ひぃっ」 殴る。蹴る。踏みつける。元々剣などなくとも、戦える。むしゃくしゃするままに腕を振り上げていたら、男達はボロ雑巾のようになって、ほうほうのていで逃げ出して行った。 さくり、と草を踏む音を聞いて振り返った。思い描くよりも早くそこにいるはずの人の名を呼んだ。もう何度こんな風に、嵐の去った後、静かに寄り添うように背後に立つ人の足音を聞いたか知れない。 「君はいいね、戦う君は美しいよ」 この声も。 「そうかよ」 風は凪いで、日は翳り、影は折り重なるように伸びた。子供は手を伸ばし、薄汚れたこの手を取り、今日は皆で同じ部屋に寝ようね、と告げた。その声に隣で弓親が悲鳴を飲み込む。 それは、大変だ。何が。皆を水浴びさせなきゃ。なんで。だって君ら何日お風呂に入ってないのさ。しらね。僕は嫌だからね、せめて迅太あの子だけでも水浴びさせなきゃ。めんどくせえなあ、おい、今からひとっ走りして皆を連れて来い。川行くぞ川。うん! 帰路を辿る。子供の小さな手が、この手の中にある。擦り切れ乾いて汚れたこの手の中に。
流れる川の水面に日が照り返してその眩しさに思わず目を細めた。しばらくそれを眺め、巌の上で、胡坐を組んでいた足を解いて、立ち上がる。手の中には二本の太刀があった。先日男達に襲われた際に長く使っていた長刀が使い物にならなくなった後、子供が何処かの古戦場から拾い持ち帰ってきたものだ。共に暮す家屋には他にも子供が持ち帰ってきた古い刀が数本置かれている。その中から、まだ、かろうじて使えそうだ、と選んだ代物が今手の中にある二本の刀だった。そのうちの一本を鞘から引き抜き、川辺を振り返った。一人の男が、陽気に洗濯をしている姿が見えた。 「弓親」 その背中に、呼ぶ。聞こえていた小さな鼻歌が数秒遅れで止まった。だが、弓親は振り返らなかった。そのまま水の音をたてながら、昨夜寝ションベンをした陣太の下帯を洗い続け、何、と一言聞き返した。 抜き身の刀を投げる。それは、さくり、と乾いた音を立て弓親のすぐ傍の土に突き刺さった。その音にも、びくりとも揺れなかった弓親の体は、自分の真隣にある刀のをゆっくりと見上げ、ようやく手の動きを止めて、こちらを振りかえった。 「何なの、一体」 「お前、戦えるだろう」 思いは躊躇わず声となった。単刀直入。前触れのないそれは質問というよりは確認事項のように淡々としていた。その単純ぶりに目の前の男は瞑目し、小さく呼気を零す。言葉にも弓親は動じない。たっぷりとこちらの真意を窺うように視線を向けて、一呼吸後、小さく笑っただけだった。 「どうしてそう思うのさ」 戦いの最中。折れた刃を着物の袖振り払った弓親の姿にそれを思った。あの、降りかかる凶器を前にしたときの一瞬の恍惚。上手く隠したつもりなのだろうが、こちとら生まれついての獣。見せた牙はこの身で感じて知っている。そしてそれは集団で襲い掛かるといった人を騙し、名を上げようとする先日の馬鹿な男達とは比べるようもないほど、鋭いものだ。お前はこれまで己に見せていたような、降りかかる暴力にただおびえ、庇護を必要とする弱者ではない。自らの足で立ち、刃を振り払り、剣を握り戦える人間だ。 「何で黙ってた」 「戦える、とは言っていない」 「戦えない、とも言っていない。お前は剣を握れるはずだ、何で隠す」 お前は戦える。剣を握り、それに慣れ、人を殺せる人間だろう。いや、そういう人間のはずだ、と告げた声に目の前の男は呆れたように笑う。 「もし、そうだとしたら、キミはどうするんだい」 たっぷりと時間をかけ、弓親が告げた言葉はそれだった。笑みは消えない。鯉口を切り、手の中に在った刀をすらり、と抜き放つ。笑みが僅かにかげる。どうするか。そんなものは決まっている。空に太陽。森に木。当たり前にあるそれらと同じように、強さを追い求める己は明白なのだ。 「そこの剣をとれ」 「……」 「俺は強い奴に興味がある。自分の限界を試してみてえからだ。こちとら、口ばっかりの武者修行を名乗る奴らばかりを相手にして、肩透かしを食らってばかりで、面白くない事ばかりだったからな」 こきりこきりと首をならして、弓親を見た。なんら感情をうかがわせることのない目がこちらを見ていた。屈伸をして、両手を伸ばして、剣を構える。 「俺と戦え、弓親」 笑いたい気分、というものがあるなら今だ。まだ見ぬ、まだ知らぬ、戦いの前に高揚し、興奮し、どうしようもなくなる瞬間。滾り始める血の感覚を、それらに全身を染められる感触を存分に味わってどうしようもなく、笑いたいような、気分になるのは。 一呼吸後。耳に届いたのはころころと転がる鈴のような弓親の笑い声。弓親は剣を構える己を見据えひとしきり笑った後、ゆっくりと柔らかく告げた。 「君とだけはごめんだよ。僕が、君の戦う姿をゆっくりと見ていられないじゃないか」 告げて弓親は振り返り、残りの洗濯物を洗い出した。それに拍子抜けし、あっけにとられ、おい、構えろ、俺と戦え。繰り返すも耳に届くのはもはや、水音だけで、何故戦えない人間を装っていたのかも、弓親は答えなかった。やがて、再び小さく鼻歌が聞こえ、己の声はむなしく風に途切れその馬鹿馬鹿しさに蒼穹を仰いだ。
|