最後の約束

-最終話-

 

 

 いかがお過ごしですか。

 風の噂で、貴方が隊長になったのだと聞き、今書かなければいけないような気がして筆をにぎりました。

 今、私がどれほどの感情を抱いているのかわかるでしょうか。

 未だに私はそれを言葉にする術を知りません。これほどの喜びをどう伝えたらいいのでしょう。

 

 気付いたら、私が瀞霊廷を去って故郷へ戻ってから随分長いときがたちました。

 ここは一年の大半は雪に覆われていて、最近になってようやく暖かさを取り戻しつつあります。

 いつか私達の故郷の話を貴方にもしたでしょうか。

 雪に埋もれたこの小さな街で暮らしていると、今でもあの日の事を時々思い出します。

 あの人の隣にはいつでも心優しい隊員達がいて、その中には貴方の姿もあります。そんな懐かしい光景をまるで昨日の事のように思うのは私だけでしょうか。

 斬魄刀に誓いを立て、それを抱いて共に過ごした時間。その場所は、とても幸福だったような気がしています。

 

 冬獅郎。

 どうか今、こうしてあの時の思いを話す身勝手な私を許してください。

 

 あの時、最後に一人で戦いに行ってしまったあの人を貴方は今も許せないでしょう。あの人を助けに行くと言った貴方を、戦場で引きとめた私を、許せないでしょう。貴方を引き止めた私を信じられないというかのように見上げた貴方の目が忘れられません。心優しい貴方のことだから、その事でひどく辛い思いをしたのではないでしょうか。その結果、あの人の死がより深く貴方の中に枷として残った事を許してほしいとはいいません。それでも、もし今あの場所に戻れたとしても、私はきっと同じ選択をするでしょう。けれど、私は決して貴方の覚悟を軽んじて、戦いにいくことを止めたわけではありませんでした。

 

 何を今更と、勝手なことを、と罵ってくれてかまいません。貴方にはその権利があります。けれど、どうしても私は今あの人の思いを伝えなければいけないような気がしています。貴方が知りたくないと願うなら、どうぞこの手紙は破り捨ててください。

 

 

 冬獅郎。

 あの人はね、どうしても貴方を死なせたくなかったのよ。たとえ貴方の忠誠をないがしろにするような行為をしても、覚悟を踏みにじっても、貴方にだけは、どうしても生きていてほしいとあの人は願っていたの。それをひどい裏切りと思われてもかまわない。あの人は最後は一人で死ぬつもりでいました。その場所へ貴方を向かわせないことがあの人が私にした願いだった。だから、私はあの人の元へ貴方を行かせるわけにはいかなかった。死にに、行かせるわけにはいかなかった。例え理不尽だと思われても私は何度も同じ言葉を告げる。あの日の、あの場所で。死しに行ってはだめ。生きて。それがあの人の望みだからと。あの人を守りたいと覚悟を決めて剣を握った隊士にそれはとても屈辱的な行為だと、知っています。その気持ちを誰よりも理解していたのは師匠でした。師匠は最後まで、あの人の事をしょうがない弟子だと笑っていた。私もそう思います。けれど、いつも口癖のように僕は幸福だといい続けたあの人の、最後の夢を私は知ってしまった。それは貴方の中に見出したあの人の、最後の幸せ。

 

 冬獅郎。あの人はね、

 貴方の未来に、十番隊の隊長の姿を夢見ていたのよ。

 

 可笑しな夢だと、あの時に聞いていたら貴方は笑ったのかしら。

 けれど、あの人はそれがまるで自分で見てきた未来だとでもいうように貴方がいつか十番隊の隊長になる事を信じて疑わなかった。それは願いよりも強いあの人の切望だったのかもしれない。あの人の言葉に私は引き込まれた。あの人と同じ夢を、あの瞬間私も抱いたわ。

 だから、どれだけあの人の死を悲しんでも、貴方を傷つけても、あの場所に戻れば私はやはり貴方を引き止めるでしょう。斬魄刀を握ることすら困難な怪我を負っていながら、真っ直ぐに最後まであの人のために戦うと告げて駆け出した貴方の前に立ちはだかって、抱きしめて、踏みとどまらせて、あの場所でそれがどれだけひどい言葉だと知っていても、貴方は生き延びて、と告げるでしょう。

 

 彼の愛した十番隊の最期を誰もが悟っていたあの駐屯地で、最後の戦いの前に出会った貴方は、何も知らずに希望を抱いて現れた光だった。私達の。あの人の。

 

 貴方は光だったの。

 

 

 冬獅郎、ひとつだけ覚えていてください。あの時、生き延びた貴方は剣の道を進み、私達はそれぞれの思いを胸に瀞霊廷を去った。道は分かたれてしまったけれど、あの時共に刀に立てた誓いが今も私達と貴方を繋いでいます。斬魄刀(これ)は、私たちの魂そのものだから。私達がこの刀を持っている以上それは失われない。そしてその誓いと等しく私達は貴方のためにも刀を握れるわ。私達の剣はいつでも彼の愛した十番隊と共に生きている。

 

 

 冬獅郎。

 あの人が抱いた、最後の幸せ。

 

 私達の光。

 

 

 貴方の幸福をあの人の斬魄刀が眠るこの地で、ずっと祈っています。

 

 いつか、会いに来て下さい。

 あの人に。あの人の思いが眠るこの地に。

 

 

 きっと。

 

 

 

 

 

 

 広い空と青葉の茂る大地が広がっていた。

 遮るものはなく、日の光が注ぐ中を風が流れ、休耕田の芦原で絶えず大葦切が囀っている。遠く連なる山々の頂に日の光を照り返す白が薄っすらと残り、麓に色濃く広がる森に囲まれた、小さな村。

 

―いつか行ってみるといい。君も気に入る。

(・・・あんたの言葉を聞いていたせいだな。)

 

 ずっと帰り着く場所はここだったのかもしれないなどど、思う。初めてたつその場所で深い郷愁に似た思いが、足を止めた。眼前に色鮮やかに広がる風景。

「好きになったよ。」

 あんたが生まれた場所を。

 日番谷は、小さく笑った。

 立ち止まった道の先で、一人の女の姿が見えた。長い黒髪がそよぐ風にさらされて、ふわりと揺れていた。真っ直ぐに迷いなく歩いてくる女の姿に日番谷は目を細めた。懐かしさだけでは語れない言葉が胸奥で溢れた。やがて目の前で立ち止まった女。日番谷は声もなくその姿を見上げ、その双眸を見つめた。琥珀色に染まるその瞳がゆっくりと瞬き自分の名を呼んだ瞬間、女の両手は日番谷の頬に伸びた。細い指先から伝わる熱の暖かさに瞼を閉ざし、日番谷は女を呼んだ。

「・・副隊長。」

 その名の持つ響きに鮮やかに蘇る思いと記憶を押しやって、謝罪の言葉を続けた日番谷に女は笑って、会いたかったと告げた。

 

+++

 

 あの時、混濁した記憶の中で、思っていたよりもずっと細く脆そうな腕に、強い力で引きとめられたのを覚えている。鮮血に染まる斬魄刀を握り、結わえた髪が乱れた女は、山頂へ続く道の前に立ちはだかって行ってくれるな、と泣いた。その涙の意味を知ることはなく、ただ遮られた腕を振りほどいた。俺はまだ戦えますと。あの人の元へ行きますと。それに重なり合うように、もう一度行ってくれるなと抱きとめられ、告げられた声に、軋んだ体と心は悲鳴を上げた。いつ世界が閉ざされたかも知ることはなく、再び目覚めた場所に現れた女から、あの人の死を告げられた。深い息を吐き、伏せた瞼を指先で押さえながら女の紡ぐ震える声を日番谷は聞いていた。許せないなどとは思わなかった。

 それを許せなかったのは女自らのほうではないかと思った。

 

+++

 

「冬獅郎。聞いて。」

 女の声を降り注ぐ日の光と共に聞きながら耳を欹てた。柔らかさと強さを滲ませた声に閉ざした瞼の裏にいくつもの風景が流れていくような気がする。何度でも立ち返った記憶。その風景。振り返った先にあるものはいつでも同じ場所だった。

「・・・どれほどのときがたっても私はあの日々を忘れない。辛いことも幸せだったことも決して忘れられない。失ったものを強く抱いて生きている。何度もあの日を振り返り、何度もあの日を思い出して、・・・・そして、何度もあの人を守るために走った貴方に感謝するわ。」

 閉ざした瞼を上げれば琥珀色の双眸が揺らめいた。あの時、振りほどいた腕と同じ強さで女は日番谷の背中に腕をまわして、抱きしめる。女の風にそよぐ黒髪が頬にかかるのを感じながら日番谷は一度だけ女の腕に手を伸ばした。

「冬獅郎。そうしてこれからは、思い出を抱くよりももっと多くの、これからの話をしましょう。時間を費やしてくだらない事や他愛ない話を沢山しましょう。貴方が何を知り、何を望み、何に喜びを抱くのか。私が何を知り、何を望み、何に喜びを抱くのか、そんな話を沢山しましょう。意味があることも、そうじゃないことも、ゆっくりと話しましょう。時間はあるのだから。」

 

 最後に女が紡いだ言葉に日番谷は同じ思いを抱いて頷いた。

 

「あなたが話す他愛ない言葉の中に、私はきっと幸せを抱くことができるわ。」

 

 

+++

 

 

 あの人の斬魄刀が眠るという地は少し小高い丘の上にあった。そこに埋められた白い石に刻まれた名前に目を細め、日番谷は立ち尽くした。鮮やかな青葉と、大地を彩る小さな花が咲き、日の光が等しく降り注ぐその場所に、日の光をさらう暖かな風が流れていった。振り返れば街並みから、人の声が絶えず届く。いつのまにかここへ案内をした女の姿はなかった。その地で一人立ち、やがて日番谷はその石の前で声もなく膝を折った。何故それをしたのかはわからなかった。けれどそのままゆっくりと深く二拝をとり、両手をつき、柔らかな土に額を伏せた。

 

「・・・・隊長。」

―忠誠を誓います。己の剣を貴方だけに捧げます。

 

 死神としての死覇装を着ていない。捧げる剣すら今はこの両手に抱いてはいない。返される言葉はないと知りながら、けれどあの時と同じ気持ちを抱き地に伏せる。捧げるのは、たった一つ変わらぬ、

心。

 

 

 

 

 あぁ、あの人は、もういないのだ。

 

 

 唐突にその想いが胸に溢れた。

 

 ただ静かな気配で目の前にある白い石に。

 そこに刻まれたあの人の名に。

 呼びかけた思いに返される声のないことに。

 

 それを知る。

 長い間分かっていたことなのに、今この場所に立って初めてそれを本当に理解した気がする。

「・・・っ。」

 我慢はしなかった。

 ここに来たときからそれを自分自身に許そうと思っていた。

 一筋、頬にそれがつたうと、涙はとまらなかった。

 

 

 長い間その地へ踏みとどまり、日が沈む前、一度だけ霊力で雪を降らせた。あの人が故郷に積もる雪が好きだったことを思い出したからだった。

静かなあの人への手向けだった。やがて西日が消えゆくとき、あの人の霊圧によく似た暖かな風が、薄く積もり始めた雪をさらっていった。

 

 

+++

 

 

 女の家へ訪れて、女が告げた言葉の通りに他愛ない話を繰り返した。時折女の元へ預けた少女が言葉を挟み、それに笑いながらいつまでも言葉は絶えることはなかった。やがて話し疲れた少女が眠りに誘われていくのを見届けた女は、まるでその時を待っていたかのように言葉を告げた。柔らかく細められた目が穏やかに少女を見下ろしていた。この子を私の元に連れてきてくれてありがとう。女の声は優しく冷たい夜の空気の中に溶けていった。

 言葉を交わしながら、女は時折かつての十番隊員達の話をした。日番谷の知ることのなかった彼らの動向。ある者は地に根を生やし、家庭を持ったと。ある者は、子供達を相手に剣術を教えていると。そしてある者は長い長い旅に出たのだと。女の目がどこか遠い場所を見ているかのようにゆれる。その瞳とかち合ったとき、まるで叱られた子供のように、困った顔で女は肩をすくめて笑った。そして大切な秘密ごとを打ち明けるかのように小さな声が大気を揺らす。

「冬獅郎、貴方は笑うかしら。私は今でも、生まれ変わったあの人の元で剣を取る日を夢に見ることがあるの。」

 馬鹿でしょう?

 そう続けられた女の声に日番谷は一瞬驚き、けれどすぐにその気配を和らげて、微笑む。

(嗚呼、それは。)

 見つめ返される目にきっと自分も同じものがあるのだと想いながら日番谷は言葉を紡ぐ。

 

 

「俺も、同じ夢を見ていました。」

 

 

 

 何度も。

 

 

 

+++

 

 

 

 

 カン、

 と、弾かれた音が大気に響く。日番谷はいとも簡単に打ち払われる棒をきつく握り返して男を見上げた。

「どうした、冬獅郎。もう終わりか。」

 柔らかな声で笑う隊長の姿が白い光に照らされていた。子供のようにむきになって踏み出すと、振り上げた腕が再び打ち払われて、弾んだ息と共に地に転がった。そのまま深く息を吐き、畜生、と口の中で響かせて仰向けになったまま腕を投げ出す。カラン、と掌から棒が落ちていった。

「まだまだだな。」

 楽しそうにそう告げて覗き込んだ隊長の姿が目の前にあった。そのままふわりと隣に腰かけた気配がしたが日番谷は息を弾ませたまま、目の前に広がる青空に流れ行く雲に視線を向ける。ただの稽古と知っていても軽くあしらわれることが悔しくてならない。その想いが顔に表れたのか、目の前で隊長が可笑しそうに笑っていた。

 背中で踏み潰した青葉が風にそよぎその香りが鼻先を掠めて、日番谷は瞼を閉じる。駐屯地の中に絶えず届く人の声に耳を欹てながら、戦いの最中にいるとは思えない彼らの明るい声音にひとつ、息を吐く。一対一の稽古をつけてくれたことをまず感謝するべきだったか。今更ながらそれに気付き、日番谷は口を開きかけると、声が言葉を紡ぐよりも先に隊長の声が上から落ちてきた。

「君と打ち合ってよくわかったよ。君の剣は僕と同じだ。」

「同じ?」

 一体何が同じなのかと思わず問い返した声に、隊長はスラリ、と腰に携えていた斬魄刀を抜き、その刀身を日に晒した。ただ優しい日の光と、染み入る青さの空が広がる。日番谷は隊長の言葉を待った。やがて青葉を翻す青嵐の風が吹きぬけ、隊長は告げた。

 

「誰かを守るために抱いた剣だ」

 守るため。

 

 日番谷は目の前で満足そうにしている隊長の姿を見上げ告げられた言葉を心の中で繰り返した。守るための剣。それは心の奥底に沈む自分しか知らない強い思いを言い当てられたような気分だった。まるで示し合わせたかのように日番谷は身を起こし、隊長の横ですらりと氷輪丸を抜き放った。光を照り返す二本の斬魄刀が風にさらされている。それを静かに見ながら、日番谷は声を紡いだ。

 

「守れるでしょうか。」

 これが貴方と同じ守るための剣だというなら、自分でもまだ何かを守れるだろうか。傷つけるだけではなく、大切なものを守りたいように守れるそんな剣でいられるだろうか。

 

 隊長は穏やかな気配を漂わせ、まるでそれが当たり前だとでも言わんばかりに笑い、一言だけ告げた。

 

「守れるさ。」

 

 あまりにもはっきりと告げられた声に日番谷は笑った。守りたいと願うもの。守りたいと願う人。これまで抱えてきたもの。これから抱えていくもの。それに刹那思いを馳せ、けれど日番谷は隣で柔らかな目を向ける隊長を見上げる。優しく細められる目を見返しながら、今はただ目の前で笑うこの人が守りたいと願うものの為に、この剣を抱こうと思った。

 

 

 

 

 

(完結)

 

 

 

 

 

 長い長い十番隊の話がようやく終着点を迎えました。ここまで読んでくださった方お疲れさまでした。本当にありがとうございました。

 

中村