長い間お世話になりました、と告げて男は辞職願いを差し出した。太いごつごつとした節くれだった指は戸惑いを見せない。

 

 

【貴方という存在が与える影響 前】

 

 

 数多くいた隊員の中でもその男と出会った時のことは不思議と鮮明に覚えている。先の十番隊長が就任した時からずっとこの隊で働かせて頂いております、と語った男はその頃から席官もなく、ただの平の隊員で、その中でも多分一番の年長者だったと思う。死神としての時間は長かったけれど、さして特別な能力もなく、欲もない。けれど、強面とごつごつとした体には似つかわしくなく、丁寧にきっちりと仕事をする男だった。親父のような、存在だったのかもしれないと日番谷は今になって思う。まだ隊長に就任したばかりの頃、子供の容姿と学生時代から言われ続けた天才児の噂に周囲は受け入れる姿勢をみせなかった。あからさまに敵愾心を向ける者か、遠巻きに戸惑いを見せる者のどちらかだった。そんな中であの男だけはそのどちらでもなかった。それは隊長職について半月ばかりの頃だったと思う。

 ”私の部屋で、少し休憩でもしませんか”

と、男は言った。慣れない職務に疲れて一人離れの建物の影で休んでいた時の事だ。訝しる俺は隊員の顔をまだ把握していなかった。すると男は苦笑を滲ませた優しい顔で名前をなのり、ここは寒いですから私の部屋で茶でも煎じましょう。すぐそこですから。と、やはり優しい笑顔で言った。伸ばされた手を素直にとった理由は今でもよくわからない。ただ、”何か”問題が起これば切り捨てればいいか、とひどく冷たい頭で考えていた。

 ”男のひとり暮らしで、何もないところですが”

と、男は部屋に日番谷を招き入れた。座布団を用意したあとで、お茶を入れましょう、と台所に消える。見渡した部屋は本当に男の言ったように何もなく質素で、だから余計に日番谷の視線は部屋の脇にぽつんと置かれた写真立てに止まった。手に取り、眺めたそれは男の優しげな笑顔の両脇に同じような笑顔の女と、男の目元とそっくりな若い男が共に死装束を纏って手を取り合っていた。

 ”妻と息子ですよ”

と、男は日番谷に茶を差し出す。写真を置き湯飲みを手に取るとそれは重さも形もしっくりと手に馴染んで不思議な感じがした。

 ”二人共亡くなったのは随分前になるのですが、女々しくも日夜それを眺めております”

と、男は笑い不躾に何故死んだのか、と言う問いにも男は優しく答えた。そんな風に男は生きてきた年月を優しい笑顔で語ってくれた。男の部屋を出るとき夜は既に更けていて、こんな時間まで引き止めて申し訳なかったと丁寧に頭を下げた。何故か言葉に詰まり、代わりに日番谷は男に問う、躊躇いがちにまた、来てもいいかと言うといつでも、来てくださいと男は笑った。それは約束事として取り決めたわけではなかったけれど、日番谷は仕事が空いた時や男が休憩の時間を見計らって部屋に訪れた。七日連続で行く日もあれば一ヶ月顔を見ない事もあったけれど、日番谷がふらりと部屋を訪れると男は大抵部屋にいてお茶を入れてくれる。日番谷に差し出される湯飲みはいつも決まって同じもので、いつだったかその事について聞くと、

 ”それは貴方が隊長に就任した時に貴方のために私が勝手に作ったのですよ”

と、日番谷を隣室に招いた。そこは窓が小さくあまり光が差し込まない。剥き出しの地面と何か見た事もない物が置いてあった。男がこれは現世から持ち帰った”轆轤”だと告げ、その使い方を丁寧に日番谷に語る。布を被せていた樽に手をかけ、この土を練って茶碗や湯のみを作るのです、と恥かしそうに笑った。

 ”今では誰かのためにその人のためだけのその人の手の形に合った物を作るのが生きがいです、その湯飲みは貴方の為に私が勝手に作ったのですよ、いつか受け取ってもらおうと思っていたのですが、こんな形で貴方は使ってくださっています”

と、男は言った。日番谷は節くれだった男の指が繊細に土を練る様や形作る様々なものを思い浮かべた。それは、どれも美しい物に思えて

 ”いつか、”

と、言葉が口をついて出た。

 ”いつか俺にも教えてくれないか”

 けれど、男からそれを教わる事はその先訪れることはない。隊員同士が揉め事を起こし止めても聞かないのだと、その日松本は慌てた様子で言った。隊員が席官を殴っているのだと。その話を聞いた時胸騒ぎを感じた。そうして悪い事ほどよく当たる己の勘はそのときも外れることはなく、現場に向かうと野次馬の中に怒り狂ったように席官を殴りつけているあの男の姿を見つけた。いつも浩然とした男の姿は欠片もなく、理性を失ったその姿は獣の如く。仲裁に入っても男はなお殴りかかろうとして、数人で押さえ込んでようやく男は荒い呼吸を落着かせた。殴られていた当時二十席官は大げさに事の重大さを語り、日番谷にその場で男の罷免を訴えた。”黙れ”と一瞥すると腰を抜かして尻餅をつく。これほどまでに男を怒らす何をやらかしたのだろう、席官の情けなく震える姿にお前よりはよほどこの男のほうが胆が据わっていると心で悪態をついていると男は体を押さえつけていた隊員に”すまない、もう取り乱しはしないから手を離してくれ”と、丁寧に請うた。そして皆の視線が注がれる中、日番谷の顔を一瞬だけ見た男は悲しげに笑い乱れた髪はそのままに深く頭を下げると何も語ることなく、部屋を後にした。後日その話は男と同じ隊員から聞いたのだと思う。話してもいいのかと、迷う素振りを見せながら、語った。

 ”あの人、アドバイスしただけなんですよ。そのやり方だと何かあったときに対応できないから配置を三つに分けて各三人ずつで行動した方がいいって”

それは現世での任務だったのだという。席官のやり方に思うところがあって、意見を述べた男に逆切れした当時の二十席官は皆の前で男を罵倒した。

 ”お前は何年たっても平のままの能無しだとか、それはもうひどい言いようですよ。私らからみたらよっぽどアンタのが器が小さい男だと言いたかったですけどねぇ。”

ありとあらゆる罵倒を浴びながらそれでも、男は怒らなかったのだと言った。けれど。

 ”あの、それで、コレは全くでたらめな話なんですが”

 躊躇っているので言っていいと先を促す。

 ”・・・・・はい。・・・それで、知ってるんだぞ。俺は。お前の部屋に日番谷隊長が何度も行ってるのをこの目で見たんだ。お前は、・・・・日番谷隊長と寝て席官に上がろうとしているんだろうって・・・”

 それ以降席官の口から出た言葉は卑猥な言葉の連続で、とうとう男は怒り殴ってしまったのだと、言った。すいません、誰もそんなこと信じちゃいないんですが、すいません。と何度も頭を下げる隊員の姿を見ながら日番谷は何故かなるほどと納得する思いだった。と、同時に何も語らずに去った男の事を考えると悲しくてやりきれない。そんな気持ちをかかえたまま執務室に戻れば見計らっていたように松本の手から男の筆跡で書かれた辞職願いを渡された。

 ”馬鹿野郎っ”

 男に向かって言った言葉なのか自分に向かって言った言葉なのかわからない。渡された辞職願いに視線を走らせることなく握りつぶし日番谷は男の部屋に向かった。扉は閉ざされたままで、部屋の奥に男の気配はあるのに身動きする気配はない。日番谷は開けられる事のない扉の前でただ立ち尽くし、男の名を呼んだ後で苦しげに言葉を吐き出す。

 ”俺を馬鹿にするな。”

  俺を侮辱した部下の職は奪わずに俺の誇りを守ろうとしたお前を辞めさせろというのか。お前はそんな決断を俺にさせるのか。そんな間抜けな隊長に誰がついてくるのだ、と告げたその声は自分の耳にも苦しげに響いて、駄々をこねる子供のようだと思いながらも、そう思われても構わないと、心から思った。考えてみればこの場所に来るときは何時だって自分は隊長という権威を脱ぎ捨てていて、そうして、ただの人として意味のない話を語り、聞き、何かしら養われる気持ちで部屋を出た。この男が自分に与えてくれたものは、けれんみのない豊かなモノであった筈だ。子供のようだと、しょうがないやつだと思われたってかまわない。扉の向こうから返事はなくただ沈黙を守りとおす男に日番谷はそれ以上何も言うことはなく扉の前に男の書いた辞職願いを置いて帰った。

  後日執務室の前で布に包まれた小さな湯飲みを見つけたのは松本だった。なんでしょう、と松本はそれを日番谷に差しだし日番谷は小さな手で布を剥いでいく、中にあったのは日番谷の手に確かに馴染む男の元にあった持ちなれた湯飲みでそれ以外に中には何もなかった。日番谷の手の大きさにしっくりと収まる湯飲みに松本は無邪気に凄いですねと感嘆の声を上げ、けれど日番谷はやりきれなくて瞼を閉じる。

 ”隊長?”

  何故あの男がこれを自分に渡したのかは分からない。もう、部屋に来るな、関わりあいたくないという意思表示だったのだろうか。もう、前のように会うことはできないけれどコレは貴方の傍に、という意味なのだろうか。真意は男から語られることはなく、そこではじめて自分はあの男とあの暖かいあの部屋で過ごす時間を失ったのだと理解した。湯飲みを握りしめたままただ時間は過ぎて、どうして、なんでだよ、と何度も何度も心の中で言った。
   のちに何事もなかったかのように仕事に戻った男は以前と変らずあの優しげな笑顔を浮かべて暖かく周りを包みながら丁寧に仕事をこなし新人の面倒もよく見たが席官に上がる気もないようで平の隊員のまま自分よりもうんと年下の連中の下で不満なく働いた。あの日以降男は廊下ですれ違えば、丁寧に頭を下げ挨拶こそすれ昔のように日番谷に語りかけることはない。例の日番谷を稚児扱いした席官は数ヶ月後には殉職して今はいない。怒涛の毎日の中で十番隊の隊員も移籍や殉職でかわるがわる人がかわり、けれどあの男だけが変らずに平の隊員のまま任務で命を落とす事もなく十番隊に居続けた。

 

 

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<後編>

<NOVEL>