貴方が再び会いに来てくれたとき”そう”ではないかと
思う心もあった。あれから3年の月日。


【貴方という存在が与える影響 後】


「辞職願い?」


 節くれだった男の手を見ながら、これを出されるのは二度目だなと渇いた思考で考えた。差し出されたそれに戸惑い、目の前の男の顔を見上げると日番谷の胸に懐かしい記憶がよぎった。昔よりも幾分老けたような男はあの頃日番谷に向けてくれた優しい笑顔を浮かべて小さく頷く。そのゆっくりとした動きも何も変らないのにただ、離れていた時間だけが長く、のしかかる。

 

 「もちろん、今すぐというわけではなくて、仕事の都合に合わせて頂いてもらって構わないのですが」

 

 日番谷は動揺している自分を確かに感じていた。誰がこの隊から去ろうともこの男だけは生涯仕えてくれるのではないだろうかと何処かで思っていたからだろうか。たとえあの日のあの場所を自分はもう手にできなくても。

 

 「理由は?」

 

と、その場で問うと男は昔のように語りはじめる、丁寧に分かりやすいように自分の内情も含めてこうでありたいと。辞めてほしくないという思いはあるのにその言葉に口も挟めずただぼんやりと聞いていた日番谷は辞めた後はどうするのかと聞いた。茶碗でも作って暮らすのかと笑って見せると男も小さく微笑み返す。 

 

 「実は転生の希望を中央に申請していたのですが、今朝許可が降り、日取りが決まったのです」

 

 え、とその言葉の意味に驚いた日番谷に男は重ねて言葉を続ける。

 

 「いつか貴方にも話さねばと思っていたのですがなにぶん小心者で話す決意が固められずこんな遅くまで何も言えずにだらだらと過ごしてきてしまいました」
 「転生するのか?現世に?」
 「・・・・・はい、それが兼ねてよりの私の希望だったので・・・。」

 

 いつのまに申請していたのだと日番谷が問うと男は貴方が、隊長に就任する少し前なのだと告げた。妻を亡くし、子を亡くし、母もなく、父もなく、乳兄弟さえいないわが身は天蓋孤独。長いときを重ねすぎて今更妻を娶る気もおきず孤独に生きていかなければいけない事に疲れたのだ、と男は笑った。

 

 「じゃあ、俺と出会った時はそれをもう決めていたのか?」

 

 何処か裏切られたような気持ちで言葉に棘が含まれる。男は少しだけうつむいた後でゆっくりと告げる。

 

 「貴方に・・・・出会えてよかった。こんな事を言えば何を大げさなと思われるかもしれないが、貴方が私の部屋に尋ねてくれるのが嬉しかった。なんでもない話に耳を傾け興味を示してくれるのが嬉しかった。貴方は私の孤独を癒してくれた」

 

 でも、それは自分も同じなんだと、言いたかったけれど何も口に出せなかった。言葉は喉でつっかえて吐き出されることはなかった。

 

 「だけど、覚えているでしょうか。私が上官を殴ってしまった時の事を。あの時私は初めて自分の気持ちに気付いた。貴方の存在がいつのまにか私の中で大きなものになっていたのだと気付いた。息子のように感じていたのだと。だけど、私はこの生に終わりを決めた人間なのに孤独を癒されたいと思う気持ちはとても、浅ましく。無邪気に慕ってくれる貴方にとても顔向けできないと思った。苦痛から逃れるために貴方を利用した私はもう、貴方には会えないと思った」

 

 申し訳ない事をした、と男は頭を下げた。そんなことはないと言いたかったけれどやはり言葉は喉を通らず渇いた息だけが漏れるだけだ。聞きたい事も話したい事も沢山あった。それなのに何も口に出来ない自分がもどかしくて眉根を寄せた。自分を”利用した”とあえてこの男が言うのならそれでも構わなかったと、言えばいい。そんなものはどうだっていい。ただこうやって謝られることが、頭を下げられることこそが悔しくてならないのだと。それなのに、ようやく口をついて出た言葉はそのどれでもなく、

 

 「…俺の部下になって後悔したか?」

 

と、問うていた。そんなことはかけらも思っていません、と男は言い長い長い沈黙の後で辞職願いを受け取って頂けますかと静かに聞いた。



 日番谷はその後の彼がどんな風にどんな思いで遺された時間を過ごしたのか知らない。あの男の事を忘れるように隊長職に没頭して本当に忘れかけた頃には男は十番隊から静かに去っていた。送別会をやろうと言った面々もいたにはいたらしいが本人がそれはしないでほしいと頭を下げたため個々で花や餞別を渡すだけの静かな別れになったらしい。転生については誰にも告げていないようだった。その日取りを知りたいと日番谷が静かに思い初めたのは晩秋の暖かな風が流れていく季節であった。あの男と出会って5年が過ぎていた。けれど、それを知るのはあの男を今度こそ取り戻せない形で失うんだと同時に怖く、身動きが取れないままにまた月日は流れそんな頃にそれは届いた。

 

 「隊長、手紙が届いてます」

 

 あった日番谷は静かにそれを受け取ると封を開ける事もできないままに放心した。日付は一ヶ月も前だった。

 

 「隊長?」

 

 それは確かにあの男の筆跡で自分の名前が書かれていて、中に何が書かれているにしろ、それはきっとあの男の最期の言葉だろうと思うと覚悟なしには読めないだろうと思った。けれど、震える手で封を開けてみれば拍子抜けするほどあっさりとした文体が”あの部屋にいつか訪れて下さい。私の大切なものを残してきました”と、名前を添えて書かれているだけだ。日番谷は広げた手紙の文字を指でなぞり、あの男の名の上に両手をのせると、とたんにこみ上げてくるものがあって、不安げに覗き込んだ松本に視線を向けぬままに執務室を飛び出す。こんな風に走るくらいならもっとちゃんと、話をしておけばよかった。言葉に出来なくともあの男は受け止めてくれただろう。笑って、頷いてくれただろう。後悔はいくつもあって自分の馬鹿なプライドに吐き気がするほど嫌悪した。大事だったはずだ。自分だって、彼が与えてくれるものが。彼が。このうえなく、大事だったはずだ。離れていた時間が寂しかったのだと言いたかったはずだ。あの頃茶を飲んで語り合うだけの数十分が自分には何より幸せだったのだと、伝えたかったはずだ。伝えればよかったんだ。

 扉の前までくると今は人の気配のない家の前で乾いた空気だけが鼻先を掠めた。あの男がいなくなってどれくらいの時間が過ぎていたのだろう。走ってきた道も扉の前も男の存在した痕跡すら感じず、無機質にそこにただあるだけとなってしまったものたち。日番谷は乱れた呼吸を正さずに何事か決意をしたような表情でカラリと懐かしい扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――その時の感情はとても言葉では語り尽くせない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界に飛び込んだのは部屋一面に敷き詰め、置かれた、湯のみ、皿、茶碗。そのどれもが手にとってみれば、いや、手にとらなくとも気付いていたけれど自分の小さな手に重さも大きさも吸い込まれるようにしっくりと馴染んで落着く。どんな形のどんな色の器もまるでこの手が持つ事を求めているかのように手に取ってと、触ってと、生きているように語りかけてくる。
日番谷は彼が最後に自分に宛てた言葉を思い出し堪え切れなくて、屑折れて泣いた。

 

 ”あの部屋にいつか訪れて下さい。私の大切なものを残してきました”

 

 部屋にあったはずの家族の写真や男が使っていた日用品や着物の類は何も置かれていなかった。座布団や小さな机さえ残されていなかった。ただあるのはやたらと自分の両手にしっくりと馴染む男の作った物だけであった。そんな部屋で日番谷はただ小さな子供のように泣き喚き、馬鹿みたいだと心の中で思いながらもただ、寂しくて泣いた。あの男は死んだわけじゃない。二度とあえないわけじゃない。転生は終わりではなく始まりだ。でも、それでも。 ひとつの生き方が、終わりを迎えたのは確かだ。

 

 

 


 あの男が最後の最後まで自分に与えてくれたものは、残してくれたものはただひたすらに優しさだけだったと理解した。

 

 

 

 その後日番谷は男の部屋に置かれていたものを自室に移動させ、男の残した轆轤も無駄に引き取ったあとはあの部屋には一度も足を踏み入れていない。時々あの部屋の近くを通り過ぎるとまだ男がいるような気がして視線をさまよわせたけれど長い月日がたつうちにそれもいつしかなくなった。そして男がいなくなって、その寂しさに泣いた日の記憶も薄れはじめた頃、それは唐突に思い至った。

 

 「あら?隊長何してらっしゃるんですか?」

 

 乱菊の素っ頓狂な声音に日番谷は顔を上げた。日番谷の椅子に座った足の間でゆっくりと回っていた轆轤の上の土がべちゃりと濡れた音を出して崩れる。

 

 「松本ッ!てめぇどうしてくれんだ!今良い感じだったのに!」

 

 それは切とした訴えだったので乱菊は面くらい、なんです?これ、と日番谷の足の間で回っている轆轤とその上で見るも無残にひしゃげた土の塊を指さした。日番谷はフンと鼻を鳴らしながら轆轤を止め崩れた土を練り直し始める。

 

 「茶碗作ろうと思って今朝から土こねてんだ。邪魔すんなよ」

 

 乱菊は”執務室に来ないから何をしてるんだと気になって隊長の部屋まで来てみれば”と呆れ気味にため息をついて日番谷の部屋をぐるりと視線をさまよわせた後でもう一度深くため息を吐く。一体どれくらいの時間土をこねていたのか知らないが飛び散った土が床や壁に乾いて張り付いている。轆轤の置かれた日番谷の周りだけはシートが引かれていたけれどそのシートを難なくと超えて土は床に落ちているのだから引いている意味がない。けれど、轆轤を回して必死で日番谷の言う”茶碗”(とても茶碗には見えないが)を作ろうとしている姿をみるとそれも口にするのは憚られ乱菊はしばらく土と格闘している日番谷の姿を見ていた。

 

「…なんか。おもしろそうですね。私にもやらせて下さいよ。」
「は?」

と、日番谷が聞き返したところで轆轤の上の土が無残にべちゃりと屑折れて日番谷と乱菊は目を見開いた。

「まーつーもーとー!!」
「ごめ、ごめんなさい!でも、ほら、今度はもっといいのできますよ!」

 

 乱菊は必死で謝り日番谷は不貞腐れたように椅子から立ち上がると、

 

「もういい。やりたいんだろ?座れよ」

 

と促す。一瞬きょとんとした乱菊は次の瞬間には”ようし”といって袖をまくって轆轤をまたいで椅子に座った。綺麗な指先で土をこね始める。

 

「隊長」
「なんだ」
「なんで、またこんな事を?」
「別に。意味なんてねぇよ」
「隊長」
「今度はなんだ」
「ずっと前から気になってたんですけど、そこの戸棚に置いてある陶器…。」
「……。」
「なんだか、暖かくてステキですよね」
「…そうだな」
「作り手の、」
「…」
「贈り主への愛情を感じますね」
「…そうだな。…とても、」
「…。」


「こんな風には作れねぇな」


 乱菊がこの陶器の作り手が誰なのか知っていたのかはわからない。ただ”ステキですね”、と繰返す言葉に日番谷は同じように”ああ、そうだな”と繰り返し、そうしてどちらからともなく黙った。結局乱菊も思うように土を形造れず最後には半べそになりながらもういい、と怒り出した後は茶碗を作ることは諦め二人で渇いた土を洗い流し、部屋を片付け、最後は二人で戸棚の中に置かれていた湯飲みで茶を啜った。

 

 

(完)

<前編>

<NOVEL>