最後の約束

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彼は、ひとつだけ聞いた。

 

 

「行ってしまいましたね。」

「ええ。」

 三席の声を背中で聞いた乱菊は静かに瞼を閉じた。

 あの日、十番隊の間でその話が出回ったのは日番谷が隊首会から戻るよりも先だった。情報の出所は知れない。隊長格あるいはそれに値する代行者のみの会議で行われた話が、そう簡単に出回っていいものか、乱菊の耳にそれが届く頃には、詮索好きの新人や移隊して日の浅い席官の間で話は尾を広げて広まったいた。山本総隊長に、彼は一度だけ苦しそうに呟いたそうだ。

 

―その虚は、俺に任せてほしい。

 

「乱菊サン、これでよかったのでしょうか。本当にこれでよかったのでしょうか。例えあの時隊長が私達に頭を下げようとも、私は何故もっと強くあの人と共に戦いに行くと言えなかったのかと今でも心が悲鳴をあげるのです。」

 

 件の虚の、先伐隊に出た部隊が全滅した事を知ったのは、彼と共に出た遠征先から帰還した夜の日だった。やけに静かだった事を覚えている。淡い蝋燭の陽に照らされた日番谷の顔が地獄蝶から伝達される機会じみた声を何の表情も変わらずに見ていた。悲しいとも苦しいともその表情からは分からなかった。深く眉間を寄せたあの顔が真剣だったことは覚えている。あのとき日番谷は一つだけ聞いた。少しだけ優しさを滲ませたあの声で。

 

 

お前は、失いたくねぇ人はいるか

 

 

と。

 

 

 

 隊首会で日番谷が、虚討伐を名乗り出たのは、その翌朝のことだった。

 日番谷の言葉に隊員達の反対は嵐のよう。こんな風に荒れた十番隊を後にも先にも乱菊は見たことがない。

 

――せめて、一人でいくというその理由をお聞かせ願いたい!

 

 誰の言葉かも分からない叫びが会議を静まらせたとき、それまで押し黙ったままだった日番谷は静かにその頭をたれた。その唇を紡いだ。

 

――お前達の言い分はよくわかってるつもりだ。すまないと思ってる。でも、どうしても今回はお前達を連れていくとは言えない。その理由も、お前達には言えない。納得ができないというだろうが、俺が言えるのはここまでだ。頼む、お前らは残ってくれ。頼む。

 

 

 自分よりも一段と低い身長、幼い面持ち、高く大人になりきらない声音。どこからみても子供のようなのに、その瞳に宿るモノだけが大人と分類される人たちの何倍もの悲しみを宿しているように見えたのは私だけだっただろうか。

 

彼の深みを見たような気がしたのは。

 

「何故隊長は、私達を連れていってはくれないのでしょうか。たとえその力が件の虚に及ばずとも、私は身を盾にする覚悟があるのに。あの人のためならばそれすらも厭わないのに。」

 

 瞳の奥で揺らいだ彼の何かはその心をどんな風に波立たせたのか、それは知らない。虚との繋がりも、それも知らない。最後のところであと一歩、たった一歩日番谷の心を知るには足りない何かが私達を隔てている。それなのに、一つだけ理解してしまうのはあの日日番谷の言葉を聞いたからだろうか。あんな風に揺らめいた目をはじめてみたからだろうか。大切そうに微笑んだ。お前は、失いたくねぇ人はいるか、と。

 

理解してしまう。

 

「それは、隊長のために死ねるってこと?」

「本望です。あなただってそうでしょう、乱菊サン。」

 

 

だからこそ、

 

 

「そうね。」

 

 

だからこそ、

隊長は私達を連れていってはくれない、と。

 

 

 霧がかった雲が動き出す。風が静かに頬の髪をさらって雨の匂いをしっとりと運ぶ。乱菊はざわついた十番隊の隊員たちを振り返り、解散の旨を伝えた。走り去っていく足音を背中にもう一度だけ振り返る。日番谷の姿が消えた白道門だけが静かに聳え立っていた。