最後の約束

-13-

 

限りなき生命

限りなき力

限りなき光

 

生き通しの命が此処に在るというなら

 

 

 

 

 

 

――神よ。

 

 

 

 崩れかかった廃屋に吹き抜けていく生ぬるい風が瓦礫に纏わり付く土埃をさらっていく。視界を妨げる山間は圧巻という程に眼前に聳え立って、見上げた眼から空を奪う。鈍色の空は止まぬ霧雨を地上に降り注ぎ、身にまとう衣を知らず重くさせていった。いつのまにか幾年の時を重ねて着慣れた死覇装は、肌になじんでは存在を忘れていく。これは死を纏う色だ。忘れてはならない。罪の裁きを許されたたったひとつの証。それを忘れてはならない。孤高に聳え立つ紅峰の山間を見上げて竹添幸吉郎はまるで敬礼でもするかのように直立する。竹添は振り返った。視線の先にたたずむ小さな建物は粗末なものだった。屋根は朽ち、所々隙間風が吹きぶさむ。たてつけの悪い引き戸を開ければ数人が囲めるほどの囲炉裏が、もう何年も使われていないような風貌でそっと置かれている。昨日、まだ陽も落ちきらぬ夕刻。数人のお供を連れて誰よりも早く竹添はこの場所へ来た。56番地区『紅峰』。そこにまるで天を貫くように聳え立つ霊峰、鶴峰山。竹添はそのとき眼前に広がる光景に声もなく立ち尽くす。その時の感情はとても言葉には尽くしがたい。ここは豊かな街ではない。むしろ自然の猛威にさらされた厳しい土地であろう「紅峰」。けれど、なんという輝き。なんというみ光。この街につけられた名の由来は、日番谷が教えてくれた。

 

 

 いつもみられるわけじゃねぇ。天候にもよるし、空気の湿度にもよる。見られたとしてもたった数分で消えちまう儚いもんだけどな、山間に落ちる太陽の光が消える寸前だけ、土の色も葉の色も何もかも飲み込んで陽に染まるんだ。山も街も空も。

 

 紅に。

 

 

 虚が、潜みやすい土地というのは確かに存在する。生き死にが生まれやすい土地というものは確かに存在する。この場所が多くの人からそう臆されている理由はこの厳しいまでに冴え渡った美しき光が、浄土を想像させるからではないだろうか。竹添は震える膝を押さえることができなかった。明日ここから日番谷がたった一人でこの孤高の山に入山する。そう思えば思うほど、震える体を抑える術をもたなかった。結界の能力を買われて竹添は今ここに立っている。駐屯地の責任者として、沢山の同輩の思いを抱えてここに来ている。日番谷が定めた場所はやせた土地だった。街の者すらもそこに建物があったことなど誰も知らぬようなそんな場所にこの建物はひっそりと建っていた。日番谷はくずれかけた廃屋を駐屯地に指定して、後輩の隊員達に必要最低限のものだけを持ち込むようにと支持を出した。一個隊の隊長自らの出陣にしてはあまりにも粗末な旅立ちの場所。竹添は、黴臭い囲炉裏に火をくべた。その炎は小さいながらも消えることなく今もなお燃え続けて暖かい湯を沸かせている。埃の被った窓を開け空気と光を入れた。流れる古川から水を汲んで、千切れたハギレで床を磨いて歩いた。死にかけた住処はそうして少しずつ息を取り戻していったのだった。竹添は鶴峰山を見上げる。霊圧を探るように集中させているとやがて薄いベールのような絹糸一枚山肌を覆うようにかかっている姿が目に見えてくる。今にも亀裂が入りそうな薄い薄い、結界。竹添は、先伐隊が施していったくずれかけた結界と裏挺隊が重ねたその場しのぎの俄結界を、後輩とも共に強固にして歩いた。日番谷の支持通りに。この場所に逃げ込んだ件の虚が決してこの山から逃げられないように。

「竹添先輩。」

「なんだ。」

「僕ら、隊長の指示通りの場所で結界張ってますけど、いいんですかね。だってこれじゃ、この中に入った人も閉じ込めてくれ、と言わんばかりだ。出口がひとつもない。僕らが今施している結界は、術者が解くか、なんらかの障害を僕らが負って結界を維持できなくなるか、外から強い衝撃を与える事でしか、解くことができない種類の結界だ。いくら、隊長といえども一度結界の内側に入ってしまえば出ることはできないのに。」

「それがあの人の指示だ。」

「そんなの、」

「そのときが来たら結界を解くように言われてる。心配しなくていい。」

「そのとき?」

「合図は俺だけが知ってる。」

 

美しい所だ、

と、あの時日番谷は確かに竹添にそう言葉をもらした。

 

 

 美しい所だ。

 見上げても見上げても頂の見えない岩肌が空を突き破るみてぇに聳えたってる。裾野がぐるりと紅峰の街を取り囲んでいて、だからあの街は何百年もの間近隣から侵攻されずにすんだ。竹添、お前あの町の名前の由来を知ってるか?

 いつもみられるわけじゃねぇ。天候にもよるし、空気の湿度にもよる。見られたとしてもたった数分で消えちまう儚いもんだけどな、山間に落ちる太陽の光が消える寸前だけ、土の色も葉の色も何もかも飲み込んで陽に染まるんだ。山も街も空も。紅に。

 

 

 

 だから、紅峰。

 

 

竹添は、最後の結界を張って歩く。見上げた先には音もなく聳え立つ鶴峰山が雲間を突き刺したままその存在だけを知らしめる。草木は萌えて、吹き抜けていく風が頬を、足元を、なでていくたびに、葉音のさざめきが耳を覆う。霧雨に濡れた山肌はより色濃く竹添の眼に焼きついてはなれない。

「竹添先輩。予定通り隊長が出発されたと十番隊より通信です。北北西より隊長の霊圧感知しました。」

「よし。隊長をお出迎えする準備を整えろ。」

「はい!」

 

振り返った竹添の背中を、ゴォと小さな風のうねりが砂塵を撒き散らして通り過ぎた。その風の音はまるで獣の咆哮にように響いてやがて消えた。戦いは、始まろうとしている。