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最後の約束 |
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-23- |
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先を行く、死覇装を着た細身の男の背中を追って走り続けて丸二日がたとうとしていた。五人いたうちの一人は途中の戦闘で討死。もう一人は夜闘の中で行方知れずになった。襟に小さく刺繍された六番隊の文様が何処かで負った刃に引き裂かれて、ほつれた鮮やかな色の糸をたなびかせている。先頭を走る男の肩は、疲労に弾んでいて、それは自分も同じだった。整わない息が、ぜぇぜぇと苦しげに耳を打つ。抜刀したまま走り続けているのは、執拗に追ってくる虚にいつでも迎え撃てるようにしていなければいけなかったからだった。ちらりと振り向いた空に弧を描く二匹の鳥の姿をした虚は嘲笑うように時折きぃきぃと鳴いては旋回を繰り返した。
「振り返るな!」
殿を走る男は伝令班の副班長だった。短く太い斬魄刀を振りかざして、威嚇の声を上げた。時折仕掛けられる攻撃の音に、日番谷が振り向きそうになるたびに、男は鋭い声で同じ言葉を繰り返す。振り返るな。走れ。立ち止まるな。 走れば走るほど。 戦地へ距離が縮まれば縮まるほど。 荒廃した土地が過ぎ去っていく。戦闘が残した焼け跡。色濃くなっていく無数の霊圧の波。そのとき、疲労にもつれていく足が、僅かな段差でつまづく。ドッ、と地面に叩きつけられた体が、まるで自分のものではないかのように重く、自由を失っていく。すると影がひらりと動き、目の前がかげる。見上げると、無数につぶれたマメのある手のひらを伸ばして殿の男が傍にしゃがみこんで日番谷の体を支えた。
「冬獅郎・・。」
交わした視線は刹那。互いの瞳に浮き出る疲労の奥に切なる何かが見える。血の味の滲む口を引き結んで、悲鳴を上げる体をそれでも日番谷は奮い立たせる。 立ち止まってはいられない。 振り返ってはいられない。
「・・・行くぞ!」 「はい!」
駆り立てられる思いを胸に再び走り始めた。脳裏に朽木白哉の姿が蘇る。あの夜、乾いた畳の匂いのする小さな部屋に敬礼の意をとって膝をついたのは自分を含めたたったの五人だった。その五人の姿が深く頭をたれて、こちらを見ようとはしない朽木白哉の言葉を聞いていた。正規の隊は動かせない、と疲労をにじませて呟いた声は、本当に今にも息が止まるのでないか思うほど、小さくかすれていた。燭台の炎のしたでともし火に染まる書面をにらみつけ、一通り読み終えた後で蝋をたらして封をする。朽木白哉の名で、綴られた正式な書面は戦地に立つ十番隊へ向けて、決して穏やかではない命令を下すものだ。その書面を、伝令使として使わされることになった五人の中の、班長を指名された男はそっと託された。そして、形式的なやりとりの後、長い長い沈黙の後で一言だけ朽木白哉は呟いた。口惜しい、と。
渇いた紙のかさりとした感触は今、日番谷の襟の奥にしまわれていた。それは本当ならば、先頭を走る班の班長である男が手に持つものでなければならなかった。けれど、それを拒んだのもまたその男だった。流魂街へ足を踏み入れてから執拗な追撃を繰り返してくる虚に、伝令使達の命を危ぶんだ男は、最後の最後に誰を生かしておくべきか、と皆に問うた。この書面を確実に十番隊隊長の元へ届けるために、誰を最後まで生かし、たどりつくかを決めよう、と。僅か、二歳半の年の差。その中で一番生まれたのが遅いというそれだけが日番谷に書面を託された理由だった。
「見えた」
「え?」 「・・・紅峰だ。」
そのとき、僅かに失速した先頭の男が、見ていたものの先を日番谷は追った。ごくり、と喉が鳴る。遥かな地に、鮮やかな紅に染まる鶴峰山。日番谷は胸の中でちくりとさした紙を着物越しに握り締めた。知っている。これは四十六室から下された命が、朽木白哉の筆跡で書かれたものだ。その意味は、十番隊へ死の宣告を告げるのだと、誰かが言った。遥かな戦地で、今も孤独に戦う十番隊へ援軍は、許可されなかった。こんな場所であっていいのだろうか。終焉を告げる地は。こんなにも綺麗で、儚いものであっていいのだろうか。
紅峰の野営地に見張りについた十番隊の隊士に迎え入れられたのはそれから間もなくのことだった。山の麓の粗末な家屋に通された。燭台の炎が隙間風に揺らめいていた。その時日番谷は、幾日も日の光をあびて、渇いた風にさらされた草地の上に立っているような、そんな錯覚をした。たゆたう熱に包まれて、立ち上る野草の香りに酔いながら、風にさらされている様。その感覚は、雛森と祖母と暮らした街の広い野原を彷彿とさせて日番谷は立ち眩む。いとしい。懐かしい。そこにたゆたっていたものの感覚。それが彼の十番隊隊長の霊圧だったことを知ったのは、そのすぐ後だ。
「隊長。六番隊より伝令使、到着致しました。」
一人の死神の案内に従って、結跏趺坐の姿勢をとって両脇に並んだ隊士の間を突き進んで、白い羽織を着た大柄な男の前に立ったとき、日番谷は先頭の男が膝を着くのと同時に敬礼の意をとった。
「よく無事にここまで辿り着いてくれたね。」
十番隊、隊長。 その男の声は優しげに柔らかく響く。重ねられるいくつかの労いの言葉。形式的な挨拶の後、太く節くれだった男の手が伸びて”書面を。”そう呟いた。 日番谷は前へ一歩、進み出た。大切にしまわれたはずの書面はいくつかの戦闘をへて、つぶれて折れ曲がって汚れている。六番隊の文様で蝋を施された紙を見下ろし、ここに書かれている言葉を日番谷は思った。差し出された手に乗せる紙は命の重さほどもなく風に吹き飛ばされそうなほどの軽さだ。そこに書かれた命令を覆すためだけに、奔走した朽木白哉の幾夜の眠らない日も知らず。この書面をこの地に届けるために失った二人の命など、知らず。また、この命令書が下す結果失われるものの存在すらも、知らず。なんという軽さなのだろう。差し出した男の手はあまりにも無防備で、そして暖かだった。男の手が書面を握る。封印を開き、文字に目を走らせ、露ほども驚きはせず、再び折りたたんだ紙を静かにしまうとき、男はひとつ息を吐き、了解したと一言だけ告げ、そして微笑んだのだった。
「申し訳ありません。」
そのとき、何故か日番谷はどうしようもなくなってその言葉を吐き出したのだった。席のない下位の隊員は正式な場で許しを得ず発言することは咎められる。その礼節さえ忘れて、申し訳ありません。と、日番谷は二度、同じ言葉を吐き出した。それを咎めはせず、目の前の十番隊長は少しだけ笑った。
「何故君が謝るんだい?」
何故と問われて何故だろうかと考えた。誰に謝りたいのかも、何に謝りたいのかも、自分は知らない。朽木白哉のように己の力不足に悔しむ言葉さえ、言うことなどできないのに、それでも、この言葉を言わなければいけないような気がしたのは、目の前の男が何でもないように笑うからだろうか。 「・・・謝らないといけないような気がして。」 「ここには君が謝らなければいけないようなことは何も書いてないよ。」 (うそだ、) とっさに心をよぎった言葉は容易く顔に表れたのだろう。それを見て再び笑った十番隊長はそれ以上このやりとりを続けなかった。
「六番隊伝令部隊三名。ご苦労であった。明朝夜明けと共に出立するといい。」
これ以上の問答を男の笑みは許さなかった。十番隊隊士の一人の支持で伝令使達はその場から立ち去った。
僅かな席官数名を残してその場から十番隊達も撤退させられたのを家屋の影で見ていた日番谷は十番隊隊士の案内であてがわれた宿営場所を一人こっそりと離れ、再びあの家屋の傍にいた。気配を抑え森に面した窓の外に腰を下ろす。かすかだが部屋の中の声が聞こえる。それは片手で足りるほどの人数の声で時折、あの十番隊長の声も混ざっていた。どの人の声も、少しも深刻さはなく、日番谷には驚くほどの軽やかさで耳に届く。
「四十六室は、援軍は許さないと言ってきた。」 「ほっほっほ。嫌われたもんじゃ。我らも。」 「どう考えても、この人数でここに踏みとどまれ、と言われたら・・」 「確実に死ぬんじゃないスか。」 「ここで果てることにさほどの意味はない。だが四十六室はここで虚の流れを止めていることが大虚討伐にとって重要だと考えてるようだ。その為の、・・・死に兵であるという。」 「つまりは、大虚討伐が完了するまでここで耐えろってことよね。不可能だわ。命令に背いて撤退することは?」 「総隊長の命であるならば、ある程度のものは現場の指揮にゆだねられるから、反故されることもあるんだ。だけど、四十六室の命に背けば軍令違反に反した罪で、隊士は処断される。どうやら、逃げ場はないようになってるらしいね。」 「この戦は、初めから我らの利など、なかったわい。」 「何か、他の意図を感じたりもするけど?」 「俺らが死ぬことで得するやつらがいる、っていう事すかね。」 「心当たりはある。だがそれは今考えるのはやめよう。この命令書で真意ははっきりした。四十六室は我らの全滅をお望みだ。」 「戦って死ぬか、処断されるか選べ、か。どっちにしろ、死ぬのよね。」 「君達にだけはもうひとつの選択肢を僕は与えられるよ。」 「・・・・それって、」 「そんな選択肢はいらないわ。」 「俺も必要ないです」 「わしも弟子に逃げ道を確保されるほど、落ちぶれてはおらんぞ。」 「・・・やれやれ。何で僕の隊に集う隊士はこうも頑固者なんだろうか。」 「みんな、貴方に似るのよ!」 「違いねぇ!」 「ほっほっほ」
それ以上、聞いていられなくて日番谷は立ち上がった。山間に沈む茜色の光は、広い空を西日に染めて、じきに消えてなくなる。長い夜を迎えようとしていた。
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