最後の約束

-24-

 

 

 透明な海の底みたいな夜に映える星空を見上げていると、はらはらと雪が落ちてくるように、星の光が顔に降り注いできた。底冷えする夜はこんなふうに澄んだ空を作る。目を閉じたくはない。このまま眠りにつくにはもったいないくらいの綺麗さだ。野営地で、赤々と燃える焚き火を囲んで食事を交わす十番隊員たちを遠くにみながら、草地に腰を下ろしていると時折見知らぬ十番隊員が隣に腰を下ろして、話しかけてきた。一人、話終えて去っていくと、また一人、現れる。手に食べ物を持ってきて、ただ渡して去っていくものもいる。君、名前は?ここまでくるのは大変だっただろう。うちの隊長はいい人だったろう。あっちへ行ってみんなと食べよう。どの人のどの話も取り留めなくて、他愛ないものばかりだった。返事を求めているのかも、分からないそれらのものをゆっくりと語らいながら、一人去ってはまた一人現れ、また去っていったと思えば、また一人訪れる。それを繰り返してまた一人去っていったときのことだった。

 

「ここの連中は六番隊と違って煩いやつばかりだろう。」

 

 霊圧は絶えず傍にあったから驚きはしなかった。ただ、声をかけられるとは思っていなかったから少なからず逡巡した。その人はそのままどかり、と腰を下ろす。はじめて面を交わした昼間、一日中太陽の光を浴びて風に吹かれた草木みたいな香りが身を包んだように、夜の空気の冷たさに体温を奪われて白くなった肌がふいにぬくもりに触れるのを感じた。

 

「退屈かい?」

「・・・いえ、」

 

 それは、本当で。日番谷は退屈さを感じるほど、時間をもてあましてはいなかった。今は焚き火の炎の傍で語り合い、酒を飲み、何かを食べ、ここまで届くような声で、笑うあの十番隊の人々が何でもないように傍に腰を下ろして話しかけてきたからだ。その人たちの輪に入って、六番隊から派遣された二人の姿もあった。一緒になって笑っている。だから、退屈さを感じていたわけではない。ただ、ここは何処なのだろうか、と考えていた。前線地。戦場と呼ぶには、あまりにも目の前の光景は穏やかだ。

 

「俺、こんな大きな戦の最中はもっと静かなのかと、思っていました。」

「ふふ。六番隊は規律を重んじるからね。十番隊はさぞかし奇異に見えるだろう。でも、こんなのは僕らは当たり前さ。歌を歌ったり、話をしたり、笑い合ったり」

「貴方が一番笑ってます。」

「ははは、確かにそうだなぁ。僕が一番よく笑ってる。」

男もまた他愛ない事を話し、また聞いてきた。生まれた場所のこと。一番古い記憶の話。初めて瀞霊廷へ足を踏み入れた日のこと。斬魄刀の名。

「こんな話を知っているかい?斬魄刀は僕ら死神の魂を半分に割ったその片割れだという。だから僕らの命はふたつでひとつ。」

「二つで、一つ?」

「遠い異国の古い物語の中の一節に死神の事を謡ったものがある。死神は元々半分の魂で生まれてくるんだというんだ。生き通しの命は生まれ変わる行程で、二つにわかれて一つは人の体へ、一つは斬魄刀へ宿る。」

「・・・。」

「迷信深いが、なかなか興味深いだろう。もともと欠けた命で生まれてくるものがいるというのは。」

日番谷は、不意に思い出した。初めて刀の名を聞いた日の、遠い記憶。口から音として名を言ったときの心地よさを今でも覚えている。耳慣れぬ名を口にしていても、不思議と心は懐かしかった。自分はずっと、それを知っていたような。長い夢の中でそれを忘れていただけのような。

君の刀を、と男に言われて日番谷は脇に置いたままだった氷輪丸を見た。逡巡したのち、差し出された男の手に斬魄刀を乗せる。そのときキィンと刀から音がなるのを聞いた。その音は、本当は音として空気を振るわせたものではなく、この心にだけ届く斬魄刀の声だ。その声が、男の手に触れた瞬間、心地いい、と喜んだのだった。日番谷は驚いた。氷輪丸が、自分以外の者に触れられて喜んだことなど、なかったからだ。男の節くれだった指はそんなことも知らず長身の斬魄刀に指先を置き、いい刀だ、と言った。

 

「君は、強くなるだろう。」

「・・・・何故、そんなことがわかるんですか。」

「君の刀が言ってる。君は強くなる、と。そうか、君は氷雪系か。それならきっと僕の故郷を気に入る。一年の大半は雪に覆われた土地だからね。」

「斬魄刀の声が聞こえるんですか?」

 

 日番谷の声は驚いて上ずった。他人の斬魄刀の声を聞くことなど不可能なはずだ。

 

「正確には聞こえるんじゃなくて、感じるんだな。そのものの想いが。」

「そんなこと」

「僕はずっとずっと北のほうの流魂街の生まれでね。雪に閉ざされた街で育ったんだ。閉ざされた街には、少し理由もあって、そこで生まれたものは多かれ少なかれ、こういう能力を持って生まれる。人や物の思いを感じとることができるんだ。だが、僕はあまりその能力は強くない。目を閉じて手を触れて集中していると、ぼんやりわかってくる程度の能力さ。」

「・・・・初めて聞きました。」

「流魂街民には色んなのがいる。世界は広くて面白いぞ。」

 

 また男が笑うのをみて、何故こんな風に笑えるのだろうかと日番谷は思った。確かに、あの命令書で、死を宣告されたはずなのに、何もかもを受け入れたように、もう何も悔いなどない、とでも言うかのように、何でもないように、笑う。この穏やかさはどこから生まれてくるのだろう。もう、何もかも受け入れて、あがくものなどないのだろうか。それとも初めからこの事態を知っていてもう今更だと、諦めていたのだろうか。あの命令書をこの人に届けさせないために、四十六室に膝を折った朽木白哉などどうでもいいのだろうか。生きる夢はみないと、決めていたのだろうか。死ぬことは、怖くはないと?

 

 

「恐れてないわけじゃないさ。」

 

 

 その時日番谷は、心で思っていたものが口から言葉で出ていたのか、と驚き右手で唇に触れた。けれど触れた指先がなでる唇は硬く結ばれていて、音として漏れたわけではない。

 

「すまない。感じようと思っていなくても、その者の想いが強いとこうして触れただけでわかってしまうことがあるんだ。」

「・・・今、俺の心を?」

「君の心は他の人よりもずっと強い。想いが、いうべきか。たまにいるんだ。エネルギーそのものが高いものがね。そういう者は人の上にたつ才覚がある。君ももしかしたらいずれ隊長になるのかもしれないよ。」

 

 そんなことが本当にあるのか、と日番谷は不思議だった。けれど、男の言葉はどれも真摯で、きっと嘘ではないのだろう、と日番谷は目をつぶる。そうして、無粋な心を知られた事を日番谷は恥じた。今日という日を約束されても、明日はわからない。そんな人に、死を恐れないのかと聞くことなど、あまりに無神経なものだった。

「触れていなくても、君はずっとどうして?という顔で僕を見ていたな。」

「・・・・貴方の死が、免れないようにできていると朽木隊長が言っておられました。」

「僕が死んだほうが都合のいい人間が瀞霊廷にいるのさ。」

「もうどうしようもない、と?」

「どうしようもない。鶴峰山は大虚の影響を受けて大きな空紋ができてるんだ。空紋の傍には番人のような虚がいて、こいつが、妙な技を使う。何度か、あの空紋を塞ごうと試みたが、そいつがいるせいで、それができないんだ。仲間が何人もやられた。空紋からは次々と下級虚が出てきて、ここに十番隊の野営地があるのは、防波堤でもある。ここで虚をせき止めていないと、流魂街民が被害にあう。つまり撤退はできない、ということさ。うまくできてるだろう。そいつは何の罪もない流魂街民を人質にとっているようなものだ。その上、援軍も断わられて、四十六室まで味方につけているのが君が今日持ってきてくれた命令書ではっきりしてしまった。」

「・・・心当たりがある言い方ですね。」

「まあね。ひとつは僕のこの能力さ。僕はこの能力をずっと隠してきたんだ。古い友人にも話したことがない。・・・意図したわけじゃないが、この戦地に旅立つ前、ある男の心を読んでしまった。その男はそれに気付いて、僕が誰かにそれを告げる前に、戦地へ追いやった。秘密を知った。生かしておくわけはない、と思っていたが、まさか四十六室まで味方につけているとは思っていなかった。そうなれば僕らには何処にも退路はない。」

「・・・・・・・・・それは、」

 

 日番谷は男の話を聞いてごくりと唾を飲み込んだ。それは、任務を装って、謀られているということだ。それは、恐ろしい話なのではないか。

 

「あぁ、余計な事まで喋ってしまったね。すまない、やはり、何処か僕は死を恐れてるんだろう。いつもより自分の事を話したがる。君の傍にいて気が緩んだようだ。僕はいつもお喋りがすぎるんだと副隊長に怒られるんだよ。忘れてくれ。君は、もう何も知らなくていい。明日夜明けと共に旅立つんだ。君の知らないところでこの問題は、終わっている。それで、おしまいだ。いいね?」

 

 日番谷の心は揺れていた。せめて、もう一つだけ。男の心を知る方法はないだろうか、という想いがそれを言わせた。

 

「もう願うものもない?」

「・・・・そうだなぁ、いつか生まれ変わるとしたら僕はまたあの土地に生まれたいね、美しいところだったから。」

 

「・・・悔いもないと?」

 

 男が、少しの沈黙の後、微笑を携えた顔で急に手を伸ばした。男の指先が焚き火のほうへ指し、あそこに歌を歌っている男がいるだろう、という。日番谷の質問には答えずに、あそこにいる男はね、と話を始める。

 

「あの男は歌うことが本当に好きなんだ。厳しい鍛錬なんかさせるだろう、そうすると途中から何故か歌を歌いだしたりする。何で歌うんだ、と聞いたらそうしたら、力がわくというんだ。だったら、好きなだけ歌っていろ、といったら本当に好きなだけ歌っていて、困り果てたことがある。それから、あそこに座り込んでる、爺さんが見えるかい?」

「はい。」

「あの爺さんはあれで、ものすごい剣士なんだ。僕が隊長についてからいつも三席はあの人の場所なんだ。僕の師匠で、もうどれくらい生きてるのか本人も知らない。時々生きてるのか死んでるのかわからないくらいぴくりとも動かないでいるから、大丈夫かと心配になってそばによると急に吠えたりする。小さな頃、何度それに騙されたか知れない。根性悪っていうのはああいう人を言うんだ。それからあそこの木の陰に立ってる長身の若い男。」

「・・・はい。」

「あれは、暴れ馬みたいな子供だったんだ。手を焼いた。今でゆう戦災孤児でね、とある戦地で懐かれてしまった。僕らの斬魄刀を羨ましがって木の棒を振り回して犬や猪なんかを攻撃して歩くもんだから、そんなことをするんだったら、霊力を身につけて学院で学んで死神になって斬魄刀を手に入れて虚を退治しろと叱り飛ばしたら本当に数年後、死神になって僕の前に現れた。全く霊力がないものに、霊力が身につくことなどありえないだろう?だから元々あった力を僕は目覚めさせてしまったんだ。あれはびっくりしたなぁ。」

 

 ひとつひとつ耳を傾けていると、男から語られる人たちの話はどれも暖かく、耳をなでていく。あの男はこの間娘が生まれたばかり。あの子は、今でもピーマンが食べられない。あいつとは、初めてであった日にこんな言葉を交わした。あの人は。あいつは。あの男は。

 

「最後にあそこの黒髪の女性。十番隊副隊長。僕の奥さんさ。同じ街で生まれた、長なじみさ。いつだったか、死神になるために一緒に町を出た。僕が持ってる能力を彼女も持って生まれてきたが、歳とともに薄れていって、今じゃ普通の人と変わらない。気が強くて優しい。時々僕より彼女のほうが、ずっとずっと強いんじゃないかと、思うくらいなんだ。女性っていうのは時々恐ろしいくらい強くなるんだよ。君も覚えとくといい。」

 

 それから、少しの沈黙の後に君のさっきの質問だが、と男は戸惑うように言った。

 

「僕が生まれた場所はとてもやせた土地なんた。貧しくて、霊力のある僕らはいつも食べるものに困っていた。だけど村人はみんな優しくて、こんな能力を持っていたせいもあるだろうが、いつでもひとつしかない食べ物をわけ与えてくれる。いつか、この人たちの役に立てるようになろうと心に決めて、僕らは死神になった。学院に入学して友達と呼べるものを持った。今じゃ仲間に囲まれて、いい部下を持ってる。」

 

 日番谷はくだらない事を聞いた自分を恥じた。けれど、男はそんなそぶりも見せず、笑うのだ。僕は、幸せだよ、と。それが、答だった。これがきっと男とかわす最後の言葉になるのだろう、と日番谷はぼんやりと思っていた。自分で名を名乗りもしなかったし、また男の本名も、日番谷は知らない。さっき出会い、ここでいくつかの男の心を知っただけだ。明日には自分はここを旅立って、再び瀞霊廷へ戻るのだ。六番隊へ戻り、任を終えた事を告げ、少しばかり、胸を痛めながらも男の最後を、何かの方法で知ることになる。朽木白哉は泣くだろうか。泣くのかもしれない。でも、自分は今出会ったばかりのこの男とは、何と呼ぶほどの関係をもっていない。それで、この男との関係は終わっていく。

 

「あぁ、それともう一つ君の質問への答を僕は持ってる。」

「・・・なんですか?」

 

「僕は、いい人生だったよ。」

 

 この先、どれほどの時が立っても、この星空の下で、男と交わした幾つかの言葉を、決して忘れまい。日番谷は、核心のようにそう思って瞼を閉じた。