最後の約束

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 袖を通した死覇装の襟をただすと、日番谷は斬魄刀を握り締めて朝露の晴れぬ地を歩き出した。焚き火の跡は黒々とした墨を残して、昨日この場所にいた人たちの、話し声も、笑い声も、笑顔も伝えてはこない。白み始めた空は時期に日が昇る。眠たげに見張りについた何人かの十番隊員だけが活動した場所は何処か寂しくて、今だ眠りの中にいるのかもしれない昨日言葉を交わした人たちの事を思い出した。もう、会うことはないのだ。自分は今から戦地を離れ、再び瀞霊廷へ戻る。野営地の中心で共に伝令使として使わされた六番隊の二人が既に身支度を整えて日番谷を待っていた。たゆまない歩みで傍へ寄る日番谷に、今日はいい天気だなぁと他愛なく笑い、少し困ったようにまた戦いになるのだろうか、と首をすくめた。見上げると雲ひとつない空。それを振り仰いで日番谷たちは歩き出す。気をつけてお戻りくださいと、笑う門番の十番隊員に見送られて、走り出した。

 

 与えられたのは、伝令という任務だ。

 瀞霊廷へ戻り六番隊の隊長である朽木白哉の元で、いくつかの報告と任務完了の旨を伝えて、この仕事は終わる。もしかしたら、朽木白哉は書を手渡したときの十番隊の隊長の事を訪ねるかもしれない。そのとき、自分は何を伝えるのだろう。笑って、了解した事を?

 

 また、あの静かな場所へ戻れば、十番隊のことなど忘れて通常任務を執り行なうんだろう。日々の喧騒の中で、自分の知らないうちに終わった戦の話を何処かで聞くのかもしれない。あの男は死ぬのか。それで、本当に全てが終わっていくのだろうか。

 

 虚の執拗な追撃に苦しんだ行きの道で十番隊の駐屯地はずっと遠くに思えた。走り続けながら、後ろで攻撃をしかけられるたび、仲間がまた一人減るのではないかと不安で、振りかえりそうになった。そのたびに殿の男は日番谷に言った。振り返るなと。前を向いて走れと。

 今、自分は攻撃など受けていない。静かな地を走っている。それなのに、振り返りそうになる。何度も。何度も。昨日のあの場所を。

 

 

―いい人生だったよ。

 

 

 あれが男と交わした最後の言葉だった。

 

 

 

 日番谷は失速した。

 追いついてきた後ろを走っていた六番隊の男が不思議そうに歩みを止めた。瀞霊廷へはまだ遠く、流魂街の街並みだけが目の前に続く。 

 

「・・・冬獅郎?どうした?」

「・・・・・・・。」

「冬獅郎?」

「戻れません。」

 

 そのとき、日番谷は自分の喉から出てきた声の強さに自分自身で驚いた。想いは、聞き返された言葉を、同じ言葉でもって告げた。

 

「このまま瀞霊廷へ戻ることは俺にはできません。」

 

 振り返った。

 日の昇り始めた空に鶴峰山がそびえたっていた。何、と呼ぶほどの関係を、何も持っていない。けれど、自分はあの男の心を知った。それは、何も知らないところで男が生を終えて、その報告を誰かの言葉で聞かされたときに、少しばかり胸が痛むのと同時に、悔いを残しはしないだろうか。自分も何かできたのでは、と男の最後の言葉を思い出しはしないだろうか。背中に背負う斬魄刀の気配を不意に強く感じる。戦える力を今ここに自分は持っている。そう、確かにもっているのだ。

 

「俺を置いて行ってください。十番隊へ戻ります。」

 

 引き止められた声には振り返らずに日番谷は駆けた。元きた道を辿り走っていると斬魄刀がキィン、キィンと何度も背中で鳴るのだった。まるで日番谷の気持ちを知っているかのようにキィン、キィンと繰り返す音に、日番谷は、あぁ、そうか。お前は分かってくれるんだな、と何度もうなづいた。野営地はすぐに、見えてきた。既に日の昇った白い光に照らされて、少しのざわめきと共に十番隊長が仲間に囲まれている姿が遠く見えている。そこへ進む日番谷に気付いた男の目が揺れた。そして苦笑を滲ませて言うのだった。

 

「・・・瀞霊廷へ戻るように、言ったはずだよ。」

 

 ざわりと視線が注がれる中を分け入って日番谷は進んだ。弾んだ息を深く吐き、男の目の前に立つと、何のためらいもなく膝を折り、跪座の姿で深く二拝をとって地に額を伏せた。儀礼に則った忠従の意だった。

 

「六番隊日番谷冬獅郎。今この場を持って、護廷十三隊十番隊、紅峰討伐隊へ召抱えて下さい。」

 

 願ってしまったのだ、と日番谷は気付いた。あの時書面を受け取って、免れない死を静かに受け入れて微笑んだ男の、もうどうしようもない生というものを。いい人生だったよ。自分の中でそれが男の最後の言葉になるなんて、あんまりだと思った。

 

「何故、戻ってきたんだ。」

「昨日、貴方の心を知ったから、」

「それで死ぬなど愚か者のすることだよ。」

「死ぬために戻ってきたわけじゃありません。」

 

 顔を上げると男と目が合った。

 

「笑って死を受け入れないで下さい。諦めないで下さい。朽木隊長も貴方が生きて戻る事を願ってる。ここを生き延びるために、俺の力を使ってください。そのために戻ってきました。」

 

 昨日、男は自分の話をしたいと願い、自分は男の話を聞きたいと願った。始まりはそこで充分だと思えた。

 

「僕はいつも副隊長に言葉がすぎると怒られるんだ。でも、こんなに後悔をしたことは初めてだよ。」

「俺が自分で決めて戻ってきたことです。」

「言ったはずだ。どうしようもない、と。」

「それでも、俺は同じ言葉を言います。」

「・・・・頑固者の目だ。僕と同じ。」

 

 

「生きてください。」

 

 男の手のひらがぽん、ぽんと無造作に日番谷の頭に触れた。男は、もう何も言わなかった。

 

 

 

 

「お前、馬鹿だろう。」

 野営地の壊れた塀を直していると背後から声をかけられた。そこに佇む長身の男はじろり、と日番谷を見下ろし、面白くなさそうに、たった今日番谷が直したばかりの塀に腰を降ろした。男の姿に日番谷は見覚えがあった。昨夜十番隊長が語った人たちの中にこの男もいたはずだ。あの時、十番隊長はなんと言ったのだったか。そうだ。暴れ馬みたいな子供だったと、笑ったのだ。

男は名を名乗り、五席だと告げた後で日番谷に手を差し出した。影で俺の事を餓えた虎と呼ぶ奴もいるけど、ご自由に?そう言って少し癖のある笑い方をした。手を握り返すと骨ばった指は痛く、けれど、日番谷よりも大きなそれは大人の男の手をしている。

 

「・・飢えた虎?」

「そう、いつも腹をすかせた虎。」

 

 日番谷は、出会ったときのこの男の事を暴れ馬といった十番隊長の言葉を思い出し、そして、今は飢えた虎と仲間から呼ばれていることが少し可笑しかった。

 

「お前はまだガキで戦いをしらねぇから、馬鹿ばっかり言うんだな。この戦がどんなもんかわかってねぇんだよ。」

「・・・分かってますよ。」

「いいや。分かってねぇ。お前はくだらない理想で犬死する。」

「・・・・・。」

「隊長はな、仲間が死ぬくらいなら自分が死ねばいいと思ってる。あの人はそういう人だ。あの人の気持ちも知らねぇで、簡単にわかったようなことを言うな。」

「俺は、あの人に生きてほしいって思っただけです。」

男の目が細められる。その目は日番谷を通り越して、遠くを眺めているように見えた。その先には誰か日番谷の知らない隊員と言葉を交わしながら微笑んでいる十番隊長の姿がある。

「・・・口先だけは一人前みたいだけどな。戦場(ここ)は、始解もできねぇようなひよっこが何かできるほど甘くはねぇよ。」

「始解なら、できます。」

「それで?戦い方を知ってるつもりか?」

「・・・・・・。」

「お前にはお前の場所があるだろう。帰る場所があるってのはそれだけでいいことだぜ?悪いことは言わない。瀞霊廷へ帰んな。」

「じゃあ、あんたは?」

「あの人を置いていくなんて俺は考えられねぇ。もう、あの人にしかついていく気がしねぇしな。俺はそれでもいいんだ。でも、お前は違うぜ。」

 

 飢えた虎、と呼ばれた男が遠く見ている十番隊長へむける眼差しは、日番谷には何かに飢えた目にはとても見えなかった。男が見つめた先にいる十番隊長の姿を日番谷も振り返る。昨日日番谷が見たときと同じように、絶えず笑いの中にいる姿が戦場に似つかわしくなく、穏やかに佇んでいる。その姿を見ていて、日番谷は思った。飢えた虎は、もしかしたら、あの人に拾われたおかげで飢えなくてもすんだのかもしれない。男の澄んだ目は、優しく満ち足りていた。

 

「冬獅郎!」

 

 そのとき、十番隊長の腕が空を振り仰ぐのが見えた。遠くで呼ばれたはずの声は不思議とよく通った。手を振った十番隊長が大きな弧を描いて一本の棒切れを投げてよこす。それを片手で受けるともう一度、凛と通る十番隊長の声が、笑いながら言った。

 

「稽古をつけてやろう。」

「・・はい!」

 

 走り出ると、二人の隊士とすれ違った。一人は女で一人は老人だった。すれ違い様会釈をすると、笑って手を振った。二人の隊士は日番谷とすれ違うと入れ替わるように飢えた虎と呼ばれた男の傍に歩みよった。

 

「虎、と仲間内から恐れられとる男がなんちゅう顔しとるんじゃ。なさけない。」

「なんスか。あのガキ。ちょっと脅せばしり込みするかと思えば、何言ってもシレっとしてやがる。しゃらくせぇ。」

「なんていうか、ちょっとあんたに似てるわよね。」

「はぁ???勘弁してくださいよ。副隊長。あんなガキと何処が似てるんだ。」

「基盤は一緒って気がするわ。ただあっちが静だったら、こっちは動。」

「ほっほっほっ」

「笑うな、じじい。殺すぞ。」

「やってみろ。ひよっこ。そう言って一度だってわしに勝ったことがあったか」

「・・・くそジジイ!」

「でも、私嬉しかったわ。あの子が言った言葉。」

「隊長の気持ちも考えないで、あんなのは暴言だ。」

「でも、あの人を知りすぎてる私達には言えない言葉じゃない?笑って死を受け入れないで、なんて。あの人を思うあまりどうしても委ねてしまうものね、私たちは。」

「良くも悪くもわしらはあの人に全托してるからの、力も命も。」

「ね。だから、やっぱり嬉しかったわ。・・・・それにしても、」

十番隊長へ向けられる女の視線が柔らかく笑む。

「まったくあの人ったらここが戦場だってわかってるのかしら。稽古つけてあんなに楽しそうにして!」

 

カンッ

と棒を打ち合う音が澄んだ空に響いていた。