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最後の約束 |
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-5- |
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――いかがお過ごしですか。
と、何でもないようにその手紙の冒頭は始まった。
――風の噂で、貴方が隊長になったのだと聞き、今書かなければいけないような気がして筆をにぎりました。
一歩足を踏み入れた執務室に今はいない人の気配を感じて日番谷は無意識に乱菊の背中を視線で追った。 隊長宛てですよ、と手渡された古ぼけた手紙は、確かに自分の名が綴られている。六番隊の席官時代の名で綴られた宛名を見て、この手紙が誰に書かれたものなのか 日番谷には名前を確かめるよりも早く知ることができた。 この手紙がずっと出されないまま、しまわれていたのだろうともカサリと乾いて焼けた封筒を見て伺い知ることができた。 鼻先に甘い匂いがくすぐった。わざとらしい明るい鼻歌は給湯室で湯を沸かしている乱菊の後ろ姿から途切れることなく聞こえる。懐かしい歌だと思った。遠い昔、西の街で流行った恋の唄。 乱菊に、誰か来ていたのか、とそう問うのは辞めた。きっと肝心な事ははぐらかすだろう、自分がはぐらかしてきたのと同じように、きっと答えない。そう思えたから。
――ここは一年の大半は雪に覆われていて、最近になってようやく暖かさを取り戻しつつあります。いつか私達の故郷の話を貴方にもしたでしょうか。
日番谷は目を閉じる。
思い描く。 手紙に綴られた風景と同じに。 その場所は凛として、その人の故郷に相応しい場所のように思える。
――今でも時々思い出します。あの人の隣にはいつでも心優しい隊員達がいて、その中には貴方の姿もあります。そんな懐かしい光景をまるで昨日の事のように思うのは私だけでしょうか。その場所は戦場の名に似つかわしくなく、とても幸福だったような気がしています。
目を暗まされるような灰色の雲はもうずっと長いこと光を遮っている。僅かな照明で照らされた手元は淡く橙色に染められて触れた生成り色の便箋の上に細い指先の影を落とした。滲んだインクの筆跡を指先でなぞる。 何でもないように、語りかけられたその手紙は遠浅で消えることのなかった遠い記憶を思い出させる。共に戦った、忘れる事のない僅かな時間を。
「隊長。お茶置きますね。」 コトン、と湯気を立ち上らせた湯飲みが目の前で音をたてて置かれた。ずっと逸らせずにいた手紙の文字列から、ゆっくりと日番谷は顔を上げる。見慣れた副官の、柔らかい笑顔がただそこにあって、思い出したように日番谷は息を吐く。 「・・・・ああ。そうだな・・・。ありがとう。松本。」 「隊長?」 そっと覗き込んだ日番谷の顔に乱菊は驚いたように名を呼んで、そうして細い指先を伸ばした。日番谷の頬をなでる。そんな事をしたのは初めてのはずなのに、当たり前のように日番谷に触れる。そして、自分でも何故こんな事を口にしたのか分からない言葉を、乱菊は吐いた。
「泣きたいの?」 「え?」
まるで今目の前で本人が語りかけてくるような鮮明な手紙の語り口。離れていた時間を忘れてしまうようないつか聞いた故郷の話。何でもないように手紙に綴られた他愛ないできごと。長い時間をかけたからこそ取り戻せた穏やかさがそこにはあった筈だ。自分と同じに。 今はもうそれぞれの道を歩いていることを寂しく思うことなどない。悲しく思うことなどない。嘆くことなどない。それはきっと幸福なことなのだから。 (ああ、そうだ。だからきっと俺は、)
泣きたいの?
泣きたい。
「松本、すぐに出陣の準備に入る。手配してくれ。」 「はい。」 「・・・松本。」 「はい?」 「ありがとう。」 「・・・・はい。」
日番谷の手で再び丁寧に折りたたまれた手紙は、汚れた封筒の中に大切にしまわれてもうきっと開かれることはないだろう。これは自分に宛てられる最初で最後の手紙。けれど、細い万年筆で綴られた僅か2枚分の無機質な文字列に確かに心を温められることもあるのだと、日番谷はこの時初めて知った。
―― いつか会いに来て下さい。きっと。
手紙の最後の言葉を口の中で反芻して、ゆっくりと目を閉じた。
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