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最後の約束 |
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朽木白哉の元に先日紅峰に六番隊から派遣した補給部隊の報告書を提出した。 静かな目で文字に視線を走らせ、ふっと息を吐いた白哉に阿散井は安堵に緩む心を見たような気がして少しだけ目を張る。あぁ、この男もこんな風に纏う空気を和ませるのか。それは、端的に多くを語らないこの男の元についてから自分が身につけた感覚だ。この人は、唇に言葉をのせない代わりに、纏う空気、その表情、目。それらで気持ちを語る。言葉よりも雄弁に気持ちを語るのは目、だ。緩く伏せられる瞼の奥で揺れる瞳はいつも彼の心情を推し量るルーツとなった。阿散井は少し、躊躇いながらもその目を見る。 「今日、日番谷隊長が退院されるそうですよ。」 「・・・・そうか。」 朽木白哉の目は優しく細められた。それを確かめられればいい。浅く礼をして自席に戻ると不意に寄せられている視線を感じて顔を上げる。先ほどとは違う、そう、いつもの朽木白哉の表情で、彼は阿散井を見ていた。 「お前も。」 短い声が紡がれる。日の昇り始めた空から白い光が窓辺に差していた。朽木白哉の背中を照らす逆光に、思わず目を細める。 「何もかも捨ててしまえるのだろうな。」 それは疑問というよりも既にそう心づけている少し断定的な言い方で、相変わらずの端的な言葉に阿散井は口をつぐんだけれど、再び白哉が声を紡ぐ気配を感じて阿散井は静かに待った。 「己の立場。矜持。積み上げてきたものなど省みずに。大切だと思うもののためならば、全てを捨てるのも厭わなく、躊躇わずに走り出せるのだろう。お前も。」 ゆっくりと瞼が伏せられる。 「流魂街の民というものは皆そのようなものなのか。」 「え?」 朽木白哉の胸の奥で思い出される人は今はもう手に届かない者ばかりだ。彼らは一様に愚かしいほどに真っ直ぐだった。決して己を謀ることはなく、ひとつ大切なものを胸に抱いていた。疑うことも知らず。謀られていることも知らず。言葉に隠される矮小な感情もなかった。彼らの語る想いは、なんと真っ直ぐなことか。 その愚かさに、否応なく朽木白哉は惹かれ続けた。 「私は捨てられぬ。貴族だからかもしれぬ。大切なものよりも先に守らねばならぬ規律が見える。それゆえに、・・・・・私は間違うだろうか。」 「・・・・・俺は、」 「・・・・・・・・。」 「朽木隊長が間違うことなどない、と思います。」 「・・・・。」 「いえ、たとえ間違えても。」 「・・・・。」 「間違えたら、正せばいいんです。」 「・・・・・。」 「何度間違えても、それを繰り返せばいいんです。」 「・・・・・。」 「俺は、貴方の副官だから。」 「・・・・・。」 「貴方が間違えたときは、正してあげます。」 「そうか。」 逆光で表情は見えない。けれどその声の柔らかさに阿散井は息を飲んだ。
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日常。 変わらずにあり続けるそれは少し無防備なほど簡単に日番谷に預けられる。流れていく時間は、思いを無視していつでもとめどない。ゆえに、日番谷は進み続ける。 「隊長、少し休まれたほうが、」 「いや、大丈夫だ。」 仕事に復帰してからの日番谷は前にも増して仕事に打ち込んでいる。これまでのブランクを埋めるかのような仕事振りに苦笑を漏らすのは乱菊ばかりではない。護廷十三隊の隊長として担っている責務は多い。それをひとつひとつ片付けていきながら、時折日番谷はどこか遠い場所を思い描くように視線をさまよわせることがある。乱菊は知っている。紅峰で日番谷は一人の少女を保護していた。年端も行かぬ少女らしい。直接日番谷から少女の話は聞いたことがない。けれど少女は彼に大変懐いているのだと、紅峰で彼ら二人を見ていた隊員は言った。日番谷と少女。二人の間で結ばれる関係はなんであるのか誰も知らない。 日番谷が書いた手紙は、退院後すぐに送り届けられた。間を空けずよこされた返答に、再び日番谷は筆を握る。 手紙は、間を空けずに日番谷の元へ届くようになった。その宛名が、日番谷が討伐前に阿散井恋次が届けた手紙の差出人と同じことは乱菊も知っている。そこでどういうやり取りが行われているのかは知らないが、日番谷が保護していたその少女は、手紙の宛名人の元へ預けられることになったようだ。少女の身元引受人を、日番谷自ら手紙の主に頼んだらしい。 少女を直接説得に向かったのも日番谷で、あっけないほど簡単に少女は頷いたと日番谷は言っていた。紅峰で少女と共に暮らしていた人は簡単に少女を手放し、それに日番谷は閉口していたけれどぽつりと独り言を言っていたのを乱菊は聞いたことがある。人と違うものを差別するのは何処も一緒だな、と。 紅峰は流魂街56番地区。決して環境がいいとはいえない数字だ。流魂街出身の乱菊はその意味が分かる気がした。 先日少女は無事にその手紙の宛名人が暮す流魂街へ送り届けられている。 少女を送り届けたのは、十番隊の隊員で、少女は無事に送り届けたと、つい先日、報告書が乱菊に上げられていた。 隊員は一番最初に紅峰で迷子の少女を見つけた青年だ。この隊員と少女も大変仲がよかったと竹添から聞いている。 隊員は、報告書を上げたとき、乱菊を見て少し言いよどんだ。何かを話そうとして話せないでいる。そんな表情を向けられて、乱菊は何か言いたいことがあるなら言いなさいと、助け舟まで出した。 けれど結局、隊員は口をつぐんで、少女は無事に送り届けました。日番谷隊長宛に手紙を預かってます。と、それだけを言って乱菊の手に手紙を残して去っていった。 隊員が話したかった言葉がそんなものではないのは、分かっている。けれど無理に聞き出す気にはなれなかった。隊員から渡された手紙を乱菊は日番谷に渡した。 目の前で封を開ける日番谷に、少しだけ視線を落としながら、この手紙に目を通すときの彼は何故こうも穏やかに微笑むのだろうと思っていた。きっと日番谷自身も知らない。この表情は慈しんでいる。 「・・・会いに行かれなくてよかったのですか。」 少女に。 いや、手紙を宛てたその人に。 思わず漏れた声に、日番谷は顔を上げた。ゆるく伏せられる瞼がかさりと乾いた手紙を見下ろし、少し困ったように笑う。誰に。それはきっと日番谷も分かっているだろう。手紙のやりとり以外に彼は少女を引き取った人には接触していない。それが無礼にあたるだろうか、と少し気が咎めるところが彼にはあったらしい。けれど、いつも彼は文を書く、という行為だけで留まっている。その理由を乱菊は知らない。 「まぁ、・・・そのうちな。」 懐かしく細められた目は驚くほど優しかった。
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流魂街の民が面会に訪れたのもそんな頃だった。珍しいことではない。護廷十三隊は時間の限り面会を希望する流魂街の民には会うようになっている。隊によってその頻度は違うが、流魂街出身の隊長は比較的その頻度が多いようだ。その例に漏れず十番隊も流魂街の民の声を聞くことは多い。直接隊長が赴くのも十番隊では珍しいことではなかった。その気安さからか彼の外見からか十番隊に面会を希望する流魂街の民は多いようだ。全てにお目通りが敵うわけではないが、流魂街の民に割く時間は他の隊に比べたら圧倒的に十番隊は多いだろう。日番谷の元に通された老人は、まるでいとおしむように日番谷を見ていた。老人の後ろには護衛だろう青年が静かに立っている。突然の来訪を詫び、何分礼節も知らぬ無知な流魂街の民ゆえお許しください、と丁寧に頭を下げる老人に、日番谷はとまどっていた。きっちりと着付けされた着物を着ていたけれど、あまり上等とはいいがたい。ただ、目が。その目だけが力強さえを称え日番谷を見ている。逡巡する日番谷にその老人はぽつりと呟いた。 「もう何代も前になるのでしょうか。隊の長を務める方というのは皆同じ強い目をするものなのですな。貴方とそっくりな目をした方を、私はひとり知っています。その方も、護廷十三隊十番隊、隊長、と私どもに名乗られました。」 老人の口から続けられた名前に日番谷は目を見開いた。言葉を飲み込み、何故、と瞳が老人に訴えかけている。何故、その名を。どれくらいのときをそうしていたのか、は、と顔を上げた日番谷は同じ部屋にいた乱菊に視線をうつした。先ほどの日番谷と同じ顔で立っている乱菊に、人払いを、とかろうじて日番谷は呟いた。乱菊は頷く。その名は今は緘口令がひかれ語られることの許されない前十番隊隊長の名前だ。老人は静かに顔を上げ、声を紡いだ。 「・・・・許しを。」 搾り出すようにそれだけを告げた。紅峰で長をしていると言った老人は、どこか遠い場所に思いを馳せるように日番谷に言葉を紡ぐ。 「・・・・我々は、弱き民を名乗るが故、与えることよりも与えられるものを望む愚かしい民でございます。守ることよりも守られることに。そしてそれを守っていてくださった方に我々は恩を報いることもできずにいた、弱き民でございます。あの方はそれでも優しく我々をお守りくださった。」 老人は一枚の紙を日番谷に手渡した。それに書かれている文字に素早く視線を走らせた日番谷は驚いて老人を見上げる。 「これは、」 「民から集めた銭の総額でございます。ここに今日訪れたのは、許しを得るために。どうか、私どもに、慰霊碑を立てることをお許しください。彼の地は愚かな民が集う村でありますけども、それをお守りくださった十番隊の方々がいた事を我々は覚えております。もう遠い昔。我々は弱きを訴えるが故に、多くの十番隊の死神をあの地で死なせました。それはもう、忘れてはならないほど多くの十番隊隊士を。 これは私どもが背負う罪になりましょう。紅峰に眠るその魂は多い。ですから、石碑を。」 よどみなくそこまで告げて老人は後ろを振り返った。ひっそりと立っていた青年が一歩日番谷の前に進み出た。 「これは村の石屋です。素晴らしい彫をします。あなた方の手は煩わせません、そのための資金も集っております。ただ、許しをおあたえください。あの地で眠る魂が安らかなるために。」 その紙に書かれた金額がとても流魂街の民に容易く集められるものではないと日番谷には分かる。ましてや紅峰は五十六番地区だ。長い時を要しただろう。日番谷は乾いた紙をいつまでも握り続けやがて老人に問うた。 「・・・失礼ですが、何故今になってそれを。」 老人は笑う。悲しそうに。 「私は雪を見たことがあります。」 「え?」 「紅峰に雪が降るのを。あの土地の環境は雪、というものが降らぬのです。それなのに、私はあの地に雪が降るのを見たのです。初めてみたのは、紅峰が戦地とかしたあの恐ろしいときでした。十番隊隊士の多くが亡くなられたあの戦で、私は確かに紅峰に降る雪を見たのです。戦場に似つかわしくない、白が。はらはらと。音を立てて降っていたのを、私は初めて見たのです。忘れえぬ光景です。」 「・・・・・・・・。」 「何故、今頃になって彼らの慰霊碑を、と疑問はごもっともでございます。理由は簡単。私どもがどこまでも愚かなのでございます。石碑を、という話は、以前にも紅峰で多く議題が執り行なわれておりました。けれど、あぁ、これを口にしていいのでしょうか。当時の十番隊長は罪科に問われていると聞き及んでおります。紅峰の民は彼らの石碑をたてることで咎が降りかかるのでは、と恐れたのです。当時紅峰には多くの黒尽くめの人間が調査に訪れておりました。彼らは十番隊から脱走した隊士の行方を追っていたようです。隊士を匿っていた民もおりました。けれど、ほとんどのものは罰を恐れる弱き精神しかもっておりませんでした。私もその一人でしょう。石碑ひとつ建てる決意すら持てぬまま、ただ忘れようと。あのおそろしい戦も、それで亡くなられた死神も。全てを忘れようと。・・そう、何処までも愚かしい。」 そ こで、言葉の詰まった老人に後ろに佇んでいた青年が始めて口を割った。流魂街の民にしては身なりのいい青年は表情を変えないまま日番谷を見る。険ののないその目は日番谷をひきつけた。 「この方の御子は、当時隊士を匿われた罪に問われていたのを、護廷十三隊の隊長の取り計らいで、不問にされています。名は知りませんが、六番隊隊長、と。」 老人の目が余計な事を言うでない、というかのように青年を制した。再び前を向く青年はもう日番谷を見ないまま口を閉ざしている。 「先日。私は再び紅峰に降る雪を見ました。」 「・・・・。」 「紅峰に再び虚が現れました。それで失われた民の命もあります。そして、あの地を再びお守りくださったのは護廷十三隊の十番隊隊長、と。・・・そう、貴方だ。その時、私は二度目の雪を見たのです。紅峰に降る雪を・・・、」 「・・・・・・・。」 「雪を、」 「・・・。」 「あぁ、何故、私は忘れようとしていたのか。あれほど守ってくださったあの方たちを。与えられる安寧にただ身を委ねる弱さ。感謝の言葉一つ与えられず。あの方たちの死の上に安々と己の身を置いて許されるはずがない。あの方たちは我々の為に命を落としたというのに。そしてまた同じ十番隊隊長という貴方にただ守られる。雪だけが。そうあの時降る雪がそれを私に思い出させた。」 日番谷は知らぬうちに老人に手を伸ばしていた。かけられる言葉など何も浮かんではこなかった。日番谷の記憶に繋がるその戦は、知らぬところで民の中にも残っている。あの日の風景が。あの日共に戦った彼らの姿が。今もここに。知ることのなかった人の心の中に。あの人たちの存在が、今も。
「顔を、上げてください。」 手にとった老人の両手は驚くほどに細く骨ばっていた。よくみれば、擦り切れて痛々しい手だ。それを包み込むように握り日番谷は目を伏せる。 「そんな風に身を貶めないで下さい。俺は知っています。瀞霊廷から補給部隊も届けられることのなかった十番隊です。食料を。怪我人が休めれる場所を。貴方達だけが十番隊にそれを与えた。自分たちの食べるものを削って、兵糧をさくことがあの土地でどれだけ難しいことか知っています。」 「・・・・・・・・・・貴方も。」 あの戦に。 日番谷は老人の声に頷いた。 「慰霊碑を。」 「はい。」 「彼らが安らかに眠れるように。」 「はい。」 長い長い沈黙が訪れた。老人の吐き出した息は長い枷から放たれたような安堵の色を宿した。握っている手に熱がこもる。やがて老人は顔を上げる。その瞳が強く日番谷を射抜く。揺らめく老人の目は淡い飴色をしていた。 「全ての紅峰の民がそれを納得しているわけではありません。けれど私はそれを迷わないでしょう。ですから、名を。名を、お教えください。私どもは誰も知らぬのです。石碑に彫らねばならぬ彼らの名を。それを、お教えください。どうか。一人でも多く、その名が刻めるように。」 日番谷は深く頷いた。
応接室を退室する老人と青年の背中を見送り、日番谷は歩き出す。その背に乱菊は、隊長、と声をかけた。日番谷は振り返らなかった。ただまっすぐに止まることなく歩き続ける。とめどない時間を流れるように。
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