最後の約束

-8-

 

 小雨になり始めた白道門の前に黒が、集いだす。見知った顔の死神もいれば、まだあどけなさを残した新入隊員らしき姿もある。何かを指示しているように声を張り上げているのはきっと席官だろう。その立ち姿は凛として、人の上に立つ者としての力強さを感じる。その張り詰めたような空気感は四番隊の席官のそれとはまた違う。前線で刀を握る強さがそこにはある。治癒者には決して身に付かない、張り詰めた、力。卯の花は四番隊の回廊から白道門を見下ろして、視線をさまよわせた。そこに集い始めた死神たちの中にまだ主は、いない。それを補佐する者の姿も。

 ふい、とさまよわせた視線の直後。懐に抱いた薬の渇いた包み紙がひとつ、ぽとりと足元に落ちた。卯ノ花は長い髪を左手で持ち上げ足元の包みをそっと拾い上げる。白道門を背中に、十三番隊の詰所へ歩いた。

 

 

「起きて、いたのですか。」

 下位の十三番隊員の案内で通された浮竹の部屋にいつもならひかれたままでいる布団が部屋の隅に置かれている。そこに眠る主の姿は机の前にあったが、仕事をしていたわけではないらしい。卯ノ花の声にそっと顔をあげた浮竹は、息を吐くように微笑んで、ぱたりと読みかけの本を閉じた。

「今日はいつもより体の調子がよかったからな。読みかけの本の続きを読んでいたんだ。」

「あまり、無理はしませんよう。」

 定期健診はいつもきまって卯ノ花がこの部屋へ訪れる。浮竹はぐったりと血の気のない顔で横たわっているときもあれば、こんな風になんでもないように笑顔で迎え入れてくれることもある。卯ノ花は手招かれた場所へ静かに腰を下ろし、そっと薬の包み紙を取り出し、浮竹の前にそれを並べた。ひとつ、ふたつ、みっつ。

「・・・・・人の声がするな。」

 開かれてはいない襖の向こう側を見透かすように浮竹は外の音に耳を欹てて言った。この場所は穏やかに外界から隔たれてひっそりと存在している。卯ノ花には人の声は聞こえなかったが、通りすがりに見た白道門の死神たちの姿を思い浮かべた。

「人の気配が沢山だ。何かあるのか。」

 ひやり、と冷たい何かが卯ノ花の心の中でたゆたった。それに思いを馳せるように、そっと瞼を伏せる。冷たさはやがてぬくもりとなり、消えていく。気付かれないように、そっと呼気を吐き、卯ノ花は薬の包みから指先を離した。色とりどりの包み紙にしたのは朝と昼と夜で飲む薬の種類が違うからだ。ひとつ間違えれば体の弱いこの男は発作を起こすかもしれない。だから、定期健診といっても決してこの場所へ来る事を卯ノ花は他の誰にも譲らない。渇いた畳の上に赤、青、黄、の包み紙。卯ノ花はそれを見下ろして、静かに告げる。

「出征です。」

「出征?こんな時期に何処の隊が・・・」

「十番隊です。」

 一瞬息を飲むような音が聞こえたような気がした。あの幼い隊長をことさら気にかけているのは、他の十二の隊長の中でも浮竹だ、と卯ノ花はよく知っている。それを見てきた。一瞬落ちた沈黙はすぐに霧散し、浮竹の明るい声が続く。

「まぁ、冬獅郎なら大抵のことは大丈夫だろう。あそこは副官も席官も優秀ぞろいだからな。」

「・・・・・。」

「卯ノ花?」

 卯ノ花は顔を上げなかったが、小さな声でもう随分と古い、浮竹も知る友の名を呟いた。もう何十年もその名を誰も口にすることはなかったであろう名前を卯の花はそのとき確かに口にした。浮竹はひやりと背中を冷たい何かでなぞられたような感覚を味わった。その名を語る哀しさを浮竹も知っている。卯ノ花も知っているだろう。それは、今はいない盟友の名だ。

「どういうことだ・・・。」

「こんな時期に貴方には酷な話かもしれませんね。」

「卯ノ花、意味が分からない。ちゃんと説明してくれ。今回の出征に関係があるのか?」

「気づいたらあの人を知る人はもう護廷十三隊には、私達隊長席の幾人しかいません。かつてのあの人の部下はその殆どがいなくなってしまいましたから。」

「・・・・・・。」

「こんな季節でしたよ、あの人が私達の前からいなくなってしまったのも。」

 そこでようやく浮竹は今朝方、静けさが深まったあの墓地に不釣合いな子供の姿を見た事を思い出した。片手に紫の花。海燕に供えてくれた一輪は確かに彼に手向けられたものだが、日番谷が本当は違う誰かに花を手向けに来たのだと、あの時気づいていたはずだ。では、誰に?

 まるで、その答を指し示すように静かな卯ノ花の声が届く。

「鶴峰山。十番隊の今回の出征先です。」

「・・・・・。」

「あの人の最後の場所です。」

 その時、浮竹は青白い両手で顔を覆った。ふさりと長い銀髪がその横顔をなでる。卯ノ花の語る言葉の一つ一つが浮竹の頭の中で一つの道筋を辿り始めた。決して繋がる筈のない存在があの墓場で会った子供の姿と重なる。

「分からない。何故冬獅郎なんだ。」

「・・・・。」

「卯ノ花。」

「あの子は、あの戦いの生き残りのひとりです。」

「そんなことあるわけが、」

「本当です。」

「・・・・・。」

「私が治療しました。」

 道はこの時ようやく繋がって、その哀しさに浮竹は今度こそ本当に息を飲んでうなだれた。ごめんなさい、と卯の花は浮竹の背中にそっと手を伸ばした。

「京楽だろう?」

「・・・。」

「俺には黙っていろと、君に言ったんだな?」

「・・・・はい。」

「・・・・・・・俺は肝心な所をいつも知らない。間抜けな男だな。」

「・・・あなたを思っての事ですよ。」

「卯ノ花、」

「・・・はい。」

「ありがとう。話してくれて。」

 卯ノ花は今度こそしっかりと顔を上げて浮竹の目を見た。その揺れる瞳をじっと見据える。死神として生き続けた長き時、焦がれる思いに卯ノ花は決して走り出したりはしない。駆け出したりはしない。浮竹もしないだろう。

 それが、私達の戦い方でしょう、と強い眼差しが語った。

 

 

 

 

 

浮竹、

もし生きていてくれたら、そう思うことはないか。

 

 浮竹はふいに日番谷の言葉を思い出す。それはあの時と同じ鮮明さで鼓膜に蘇る。外のざわめきはしだいに強まってこの部屋にもかすかに届いて出征時間の近さを教えた。浮竹は立ち上がる。押し開いた襖から曇り空がのぞく。雲間から差し込む一筋の光は流れていく雲に細くなり消えていく。

(・・・・本気だっただろう)

 やがて何処か遠くの方で出征を知らせる角笛の音が鳴り響き、その柔らかい音は途切れることなくいつまでもいつまでも浮竹の耳をなでた。

 

 

本気だっただろう?冬獅郎。

 

 

 

 十三番隊舎を後にした卯ノ花は、四番隊に続く回廊を辿っていたとき、一度だけそこから見える白道門を振り返った。意を決したように向かった四番隊舎で、出迎えた勇音の名を一度だけ呼ぶ。

「卯ノ花隊長、お帰りなさいませ」

「勇音」

「はい」

「一人、現世から呼び戻してほしい隊員がいます」

「え?」

「荻堂八席を」

 

 遠く。

 人のざわめきは、まるで生まれて消えることのない風のように、耳の傍でたゆたっていた。