最後の約束

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「子供みたいにはしゃぎおって。稽古は楽しかったか?」

 

 重い引き戸を開けて粗末な部屋の中へ入ると、まだ外は日は高い位置にあるのに、窓の少ないこの黴臭い部屋の中はほの暗く、目が慣れるのに、時間がかかった。キラリと部屋の奥で何かが光を反射する。それはうっすらと白く光り、じきに暗さに慣れた目が抜き身の斬魄刀を握る老人の姿を見つけた。老人のしわがれた指先がいとおしそうに刀身を撫でていた。

 

「師匠、こんな暗がりで斬魄刀を抜くのはやめてくれ。隊員が師匠の姿を見たら卒倒する。」

「ほっほっほっ」

 

 それはこの老人に長く親しんだ自分でさえ、思わず怯んでしまうような光景だった。本人はただ刀を手入れしているだけだというが、無意識のうちにもれる霊圧が刀を抜くことでさらに強まる。防衛を知らない下位の隊員は見ただけで霊圧に当てられて倒れてしまうだろう。

 

「自分の身も守れぬひよっこは死神になどならなければいい。刀を握って、弱さをひけらかすなど不幸なことじゃわい。なぁ、俄羅奢(ガラシャ)。」

 

 老人は斬魄刀の名を呼んだ。愛しそうに。

 十番隊で老人の斬魄刀の名前の逸話を知らないものはいない。噂が噂をよんでいつのまにか周知の知るところとなった。老人の斬魄刀の名。それは彼が生前殺した女の名だという。本人が噂を否定も肯定もしないでいるので、事実なんだと皆は思っている。

 

俄羅奢(ガラシャ)。

 

 もう一度呼び、刀身を触れ、お前は美しい。と、老人は少し寂しそうに笑った。キン、と鞘に収めた斬魄刀を再び帯刀して老人は伏し目がちにそれで?と聞き返した。

 

「お前はあの子をどうするつもりじゃ。」

 

 老人が指すあの子とは、さっきまで稽古をつけていた六番隊の子供だろうと、男は思った。真剣な眼差しで諦めないで下さいと言った子供。稽古をつけてやるといったら嬉しそうに応じてきた。幼さの残る笑顔で。

 

「師匠。冬獅郎は強い。師匠も稽古をつけてやったらどうだ。あれは大物になるぞ。」

「話をはぐらかすでない。」

「・・・どうするもこうするもないだろう。あいつはまだ子供だ。瀞霊廷へ帰す。」

「戦いには連れていかんのか。」

「当たり前だろう。子供が死ぬのは忍びない。」

 

 暗がりの中で、老人の気配が険しくなるのを男は感じた。その険しさはゆるゆると闇に解けて、呆れたようなため息に変わる。

 

「お前は昔からそこだけは変わらんな。その甘さで大事なものを見落とす。」

「さっきから何が言いたいんだ、お師匠。遠まわしな言い方はやめてくれ。」

 

 すると部屋のなかの空気が不意に柔らかくなった。老人の優しげな声が何でもないように響く。

 

「あの子を戦いに連れていってやれ。」

 

 それは決して命令されたものではないのに、抗いがたい声をしていた。

 

「師匠、次の戦に挑めば命の保障などない。」

「自分の意思で戻ってきた、と言っておったではないか。」

「そんなのは、」

「分かってもどってきたんじゃろうて。そんなものは。お前も言っておったではないか。あの子は強いと。見ておればわかるわい。わしが何人の死神を育てたと思おておる。わかっていてそれでもあの子は、死ぬために戻ってきたわけじゃない、と言ったんだろう。強い御子じゃ。」

「・・・でも、子供だ。」

 

 

「子供じゃない。斬魄刀を持った立派な死神だ。認めてやれ。」

 

 老人は億劫そうに息をはいた。強い眼光が二つ、男を見据えて光っていた。

 

「お前が本当にこの戦に関らせたくないと思っていたのなら、初めから言葉などかわしてはいけなかった。あの子の中にお前の想いなど残さずに、あの子の知らない所で果ててやればよかったのだ。」

「今更、・・・どうすればいい。」

「何かできたかもしれないと、思わせるくらいなら戦わせてやれ。それで何もできなくとも、よい。その答えはあの子が自分で見つける。それで果てても、きっと悔いはない。・・・それでも、あの子から戦を遠ざけたいというなら、そのくだらん優しさでこの先にずっとあの子に負わす傷を、お前は知らねばならんぞ。」

「・・・・・・・。」

 

「成さなかった後悔は、成した後悔よりも、重く深いものじゃ。」

 

 老人は眠たげに欠伸を噛み殺した。それを見て男は薄く笑った。大事な話をしていようが、くだらない話をしていようが、自分が隊長にのぼりつめてからもこの老人は一向に横柄な態度を変えない。師匠と、呼ぶようになったのはいつからだっただろうか。もう忘れてしまった。きっとこの老人がまだ先代の十番隊長に仕えていた頃であるのは確かだ。自分はまだ始解もできない子供だった。あぁ、そうだ。あの時もそうだった。この男は刀を握った自分を決して子ども扱いすることはなく、いつも一人の死神として認めてくれていた。

 

「師匠、あの子が気に入ったんだろう。」

 

 唐突にそれに気付き男が問うと、老人は弾かれたようにほっほっ、と笑った。

 

「ここの連中は、お前が果てるならそれと運命を共にしようと考える輩ばっかりじゃ。息がつまるわい。」

「師匠は違うのか。」

「違わない。だからじゃ。たった一人くらい、無垢の心でお前の死を惜しんでくれる者があってもいい。あの子は奇跡のようにお前の前に現れてくれた。」

 

 男は思い出していた。まだ小さな背中を小さく丸めて、自分の前に膝を折った子供の姿。今では誰もやることのなくなった古い慣習に従って、目の前の人間に忠義を示す。この刀は、貴方のためのものであると。命を、預けると。子供の声はどこにもブレがなく強く余韻を残して響いた。

 

「師匠、なんとかあんただけでも生き延びてあの子を育ててやったらどうだ。」

 

 思いつきで男が軽く語ると、老人は男が頭の中で思い描いた夢を理解したようだった。男は老人に自分にしたように隊長に育ててやってくれ、と言っているのだ。老人もまたその夢を頭の中で思い描き、笑った。

 

「まったく。お前は年寄りを働かせすぎじゃわい。それを望むならお前が生き延びて、師についてやることじゃ。わしはふがいない弟子一人で手いっぱいじゃ。」

 

 そのとき、騒がしい気配と共にがらりと部屋の扉が開いた。真新しい空気が流れ、暗い部屋の中に淡い光がゆるやかにさす。

 

「隊長、あいつなんとかしてくれ。」

 

 どたばたと騒がしい足音で、部屋に入ってきた男は唐突にわめくように泣き言を言った。耳慣れた声が肌をなでる。吠えるような話し方が、仲間内で呼ばれる彼のあだ名に相応しい虎のようだと男は思った。

 

「あいつ?」

「冬獅郎だよ。冬獅郎。あいつ六番隊で官位もらってねぇって言うからうちの官位のねぇやつらと手合わせしてみろつったら、次々倒していきやがる。十番隊の面子が丸つぶれだ。」

「お前が相手をしてやればいいじゃろう。」

「官位のねぇやつ相手に仮にも五席がいくのか??」

「ほっほっ。負けるのが怖いなら初めからそう言え。虎が聞いてあきれるわい。お前は猫で十分じゃな。」

「そ、そんなんじゃねぇ、じじい!見てろ!こてんぱんに打ちのめしてやる!」

「ほっほっほ」

 

 虎と呼ばれた男は来たときと同じ慌しさで、去っていく。それに微笑を携えながら老人が立ち上がった。楽しそうな足取りで、虎の後を追う老人はさっきまでの真剣な眼差しを緩めて、穏やかな空気の中を歩く。その背を僅かに見送って、引き止めるように男は老人の背中に言葉をかけた。

 

「師匠、最後に聞きたいことがある。師匠は何か後悔しているものがあるのか。」

 

 

―成さなかった後悔は、成した後悔よりも、重く深いものじゃ。

 

 

 老人の乾いた声がいつまでも男の耳から離れていかなかった。けれど、きっとこれが初めてではない。ふとした時に見せる老人の寂しそうな顔を見て、いつも思っていたことだ。老人は振り返らなかったが、静かに立ち止まった。そして、腰に差した斬魄刀を撫でていた。

 

「・・・昔、わしに自分を殺してくれというてきた女がおった。女は神の道をゆくもので自害を許されていなかった。わしは女の命を惜しんでそれを拒否した。結局、女は懐刀で自ら胸をつき、苦しみながら果てた。今思えば、殺してやればよかった。そうすれば、苦しむこともなく、女は自分が愛した神のもとにいけただろう。」

「・・・師匠の奥方か?」

「いいや。そんな名のあるものではない。わしはただ女の傍に仕えていただけの男じゃ。」

「・・・・・。」

「・・自分の見ていた夢なのかもしれぬ。この世界へ来る前の、古い古い記憶じゃ。女の名は、・・・忘れた。」

 

 老人は再び歩き出し、男は老人の背中を追うように光の指す外へ歩いていった。

 

 

 わぁわぁ、と歓声のような声が野営地に響いている。座り込んだり、立ち上がったり、飛び跳ねたりしている十番隊員達の真ん中に、あの子供の姿があった。さっき手渡した棒切れを握り、額の汗を腕でぬぐっていた。

 

「冬獅郎!覚悟しろ!手加減なんてしねぇからな!」

 

 彼に打ち負かされたらしい十番隊員が数名、地面に寝転がり他のものの手当てを受けていた。なるほど、これでは十番隊の面子はないな、と感心したように男は笑い、そして、今だはやしたて応援か罵声かわからない声の中心で、次の対戦者を待っている子供の姿を見た。

 

「さて、どちらが勝つか。」

 

 老人が楽しそうに笑いあの子供の前に進み出た虎を見ていた。それをみながら男もまた微笑んだ。今ださめやらぬ興奮の中、誰かの声が、始め!と試合開始を告げた。

こんな光景が明日も明後日もずっと続けばいい。声に出せば、また師匠はこの甘さを怒るかもしれないが、心の中で願うだけならかまわないだろう。男は太陽のまぶしさに目を細め、楽しげな声の中心で打ち合う二人の姿をいつまでも見ていた。