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最後の約束 |
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-27- |
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慣れ親しんだ柄の根を握ると長身の斬魄刀は弧を描くように小さな背中に背負われた。頑なに握り続けられた木の棒は幾度の打ち合いでボロボロになり、今は日番谷の足元で無造作に転がっている。代わりに背負う長身の斬魄刀がひやりとした冷たさで背中に触れると日番谷は強い眼差しで伏せていた瞼を開ける。振り返れば今いた場所には歓声も奇声も聞こえない代わりに、少しのざわめきと数人の隊士が残されているばかりだった。僅かな戯れの余韻に浸るように口々に今終わったばかりの日番谷と十番隊五席の打ち合いを語りながら、けれど、元の配置に戻っていく彼らの姿は何処か凛と佇んで、厳しいまでの色を瞳の奥に隠している。日番谷は鶴峰山に面した門に門番として佇みながら、昔日(せきじつ)の色に飲み込まれていく彼らの姿を眺めては心の中から沸いてくる感情をどうしようもなく持て余していた。
「惜しかったな。」
不意に日番谷の隣で声が響いて俯いていた顔を日番谷は上げた。そこには名前も知らない十番隊の隊士が、門戸に背をもたれさせて日の沈む鶴峰山を見上げている。硬質な霊質。練り上げられた気。柔らかな男の雰囲気に包まれてはいるけれど隠されたところに、鍛え抜かれた鋭さを日番谷は感じる。日番谷は男の言葉が自分に向けられたものなのだということに気付いて、少しだけ肩をすくめた。
「まだまだです。」
さっきの立ち合いの事を言っているのだろうと思って日番谷は苦笑した。実際には、完敗だったと言ってもいいのではないのだろうか。十番隊の五席を相手に決定打はひとつも打てなかった。それを謙遜と取ったのか男は日番谷をみて微笑んだが、そのことについては何も触れなかった。 「正直驚いた。学院を出たばかりだときいていたけど、君は戦いに慣れた気配がする。実戦の経験があるのか?」 「・・・いくつか。」 「刀を握っているときのほうがきっと強いんだろう。そんな気がする。こんなときでなければ、君と一度戦ってみたかった。」
日番谷は男の言葉そのものよりも、その先に臨むもののない男の心情に驚いて、言葉をつぐんだ。もてあましていく感情。どれだけの言葉を費やしてもぬぐうことのできない彼らの覚悟が見え隠れする。自分の言葉に耳をかすのは。己の拙さに微笑むのは。日番谷の知りようもない戦の繰り返しの果てに淘汰されていった心が、ただ優しく寄り添っているからに過ぎない。
届かない。
日番谷はそれを見せ付けられたようで歯がゆさに唇をかみ締めた。 自分の言葉など幼すぎて彼らの心まで届かない。 男の心の奥底で揺らがない強さを知って。いつか手合わせしましょう。とは、とても言えなかった。
見張りとして佇んだ門の前から、束の間の黄昏から夜の気配に移り変わっていく鶴峰山を日番谷は厳しい眦で見上げた。遥かな頂に蠢く霊圧の波を感じる。それがきっと空紋なのだろう。送り続けられる斥候に僅かな緊張が走っても、この駐屯地の穏やかさは失われないままだ。それでもきっと皆が気付いている。この凪が刹那なものであるということを。
またいつ始まるかわからない戦の気配は、けれどすぐ傍まで来ていた。
□
「冬獅郎。」
日の落ちた風景にゆるゆると満ちていく夜の静けさの中で隣の男の柔らかな声に誘われて、日番谷は、はっと息を飲み込んだ。男が自分の名を知っていたことに驚いたのではなかった。門戸の前で男の方をむくことはせず、ただ一点、鶴峰山の中腹に目を凝らした。男の瞳が自分と同じ場所を追っていることは気配で知れた。 歯を食いしめる。 そうしていなければ体が震えるのをとめられなかった。ざわりと血が沸く。言い知れぬ殺気が押し寄せてくる気配がそこにはあった。
「冬獅郎。」
もう一度日番谷の名を呼ぶ男の声は先ほどよりも強く、なだめるような響きを伴った。日番谷はこらえ切れずに鶴峰山を見上げながら、背中に背負う斬魄刀の柄を握った。 息が競りあがる。 体が硬直していく。 熱をもつ。 けれど、刀は抜刀されることはなく、握り締めた右手から伝わる震えで、鞘のなかに納まったままの刀身がカタカタと音を立てた。
「・・・落ち着いて。大丈夫だ。合図を出したら、君は瞬歩でこの場を離れろ。隊長を呼んできてくれ。できるね?」
スラリと滑らかな仕草で男は抜刀した。 何の躊躇いもなく。 そして日番谷に向かって安心させるように笑うのだった。
「俺も戦います。」
けれど、日番谷が搾り出すように答えた言葉よりも男の手が日番谷の体を押しのけて後ろへ追いやるほうが早かった。
「下がれ!」
男の容赦のない手のひらの力がどん、と日番谷の背中に伝わると、日番谷の体は抗いようもなく鶴峰山に背を向けて退いていた。その瞬間ずしりとした重い殺気が体を引き裂くように日番谷の霊圧にざわりと触れた。たった今立っていた地面にビシリと、亀裂が走る。それを横目で確認し、崩れ落ちそうな膝を気力で踏みとどまる。それと同時に闇夜の中から何か大きな物体がぞんざいに駐屯地へ投げ込まれた。 それは日番谷の足元の硬い地面を弾み、コロコロと転がっていく。やがて動きをとめ地に横たわったその黒い物体を見たとき、日番谷は驚愕に目を見開き、何かに弾かれたように抜刀した。それは間違えようもなく昼間鶴峰山に斥候に送り出された十番隊員の姿だった。 振り返った日番谷の視界に現れたもの。 闇に溶け込んでいた沢山の虚の姿がそこにはあった。
『・・・・醜く地を這え、死神め。我らが引導を渡してやろう。』
集団の中央に佇んでいた虚のくぐもった声が響き渡るのと男の斬魄刀を解放する声が聞こえたのはほぼ同時だった。爆音のような音が耳を劈き、巻き上がった砂塵に包まれた虚から不気味な笑い声が聞こえてきた。引き裂かれた唇がにやりとほくそ笑む姿と男が刀を切り結んでいる姿が砂塵の中から現れるとそのすぐ隣にいた別の虚が打ち合っている男の姿に今まさに横から刀を振り下ろそうとしているのがみえた。それを皮切りに日番谷は地を蹴った。僅か、数歩。手前にいたその虚に向かって刀を振り下ろす。
敵襲だ!!
異変に気付いた駐屯地で誰かの叫び声を背中に聞きながら振り下ろした日番谷の刃は向かっていった虚の硬質な腕にギィンと鈍い音を立てて打ち払われた。射抜くような瞳が日番谷を見ていた。
『・・・・子供?』
その虚の姿は女のようで男のようでもあった。狙って振り下ろされたはずの刃がまた違うものの刀で止められたのに驚いたそぶりをみせ自分の刃を止めた日番谷を見、そして日番谷の握る斬魄刀に視線をさまよわせ、打ち込まれた自身の左腕の刀跡にパリパリと張り付いていく氷に気付くとしなやかな細い体をくねらせて笑う。
『面白い、相手をしてやろう。』
ぺろりと長い舌で腕の氷をなめると、艶かしい瞳がぎょろりと鋭く光り、それと同時にはじかれたような俊敏さで高く空を飛んだ。
「敵襲だ!!!!!!」 「防衛線を張れ!!」 「突破されるな!!」
何処からか叫ばれた悲鳴のような声と共に、駐屯地に襲撃を告げる鐘の音が高らかに夜の静寂を突き破って鳴り響いた。それと同時に日番谷の脇を何人かの隊士が瞬歩ですり抜けていく気配が視界の端を捉える。日番谷は飛んだ。下降してくる虚の鋭い衝撃を刀身で受け止め力でなぎ払うとすぐに右腕の諸刃の刃が胴をめがけて弧を描く。空中で身をよじり切っ先を寸でで交わすも圧された空気の鋭さが容易く日番谷の死覇装を引き裂く。日番谷は体を傾いだ反動で虚に斬魄刀を振り下ろしたが、それは眼前で虚の硬質な腕に止められ、どちらも譲らぬ力でギリギリと膠着状態を続けた。虚の紅く血塗られたような色の目がぎろりと、日番谷を見下ろし、裂けたような口元に塗られた紅がにやりと口角を上げた。
『我が名は、イシュ・チャレ。お前は?』 「日番谷だ!」
日番谷は、心の奥底で震える感情をなぎ払うように、名を叫んだ。途端に加わる刀の圧力が増し、刀を振り払って日番谷は飛びずさる。すかさず突いた斬魄刀の切っ先は虚の喉もとの皮一枚を裂き、振り払う刃は虚の左足の肉を削ぎ落とした。短い悲鳴を口の中でかみ殺し、弾んだ息を深く吐きながら間合いとる虚は忌々しげに、強い、とそう一言呟いた。日番谷の耳に自分の弾む息がうるさく届いた。
『・・・死なせてしまうには、惜しいな。』 「・・・何を、」
『お前の魂は綺麗だ。』
そのとき、そよとも吹いていなかった空中の風がふと揺らめいた。目の前で同じ空気の揺らめきを感じた虚の目が見下ろした眼下の風景に射止められて慄いていた。日番谷がその隙を逃すはずはなかった。一気に間合いを詰めると、虚の紅い血塗られた色の瞳が日番谷を捉えるよりも早く、日番谷は整った虚の顔に醜く覆われた半顔の仮面を打ち砕いた。
パァンッ!
舞い落ちる。 雪白の月に照らされてキラキラと振り落ちる虚の残滓が日番谷の斬魄刀に触れて薄い氷を張り付かせまるで雪のように舞う。跡形もなく散った虚の残滓に手を伸ばし手のひらの中で握りつぶすと、日番谷はようやく虚が見下ろしていたものを目で追った。
「・・・十番・・・、隊長。」
月光に照らされたその姿は、まるで鬼神のようだった。怪しく青白く光る抜き身の斬魄刀を構え十の字を背中に背負う隊長は佇んでいた。風が吹く。戯れるようにひいては、寄せる。その空気の揺らめきが何であるのか、日番谷はもう知っていた。この肌に触れて纏わりついてくるものは、隊長の霊子。解放されていく隊長の霊圧。ふわりとゆれた隊長の白い羽織が月明かりに照らされて光を放っている。遠く上空から見てもそこに明らかな十の文字が見てとれる。駐屯地の混乱の真ん中で、十番隊隊長は、不思議なほど静謐な空気をまとって佇んでいた。
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