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最後の約束 |
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あの日、命を賭せなかったこれは贖罪。
獅子の体から引き抜いた右腕は熱い。あそこから奪い返した熱が、今、結晶となって日番谷の掌に握りこまれている。目を奪うほどの、深い蒼碧。それがどうしようもなく、熱を持っている。日番谷は、歯を食いしめる。
底からかき集められていく渾身の力は、斬魄刀に余すことなく乗せられた。これが最後の一振りになる。シャルベーシャの体を地に縫い付けて、留めておくために張った氷を維持する力もあとほんの少しだ。
シャルベーシャの咆哮が、天を穿つ。その姿を見下ろし、日番谷はいっそ憐れにさえ見える獅子のその額を覆う仮面に、最後の一振りを振り下ろした。
地響きのような音が鳴り、霊子が拡散された白 いもやが辺りを覆った。バキリ、と亀裂が走るよう亀裂が走るような音が、氷壁に走った。その歪みは一気に広がり、やがてドン、と崩れゆく。白いもやの中に包まれた日番谷と獅子の姿は、どちらも微動だにせず、亀裂音だけが回りで鳴り続けた。やがて、風に流されて晴れていくもやの中から、低い呻き声が響き、姿があらわになっていく。獅子はまるで額を捧げるかのようにしっかりと上を向いて、斬魄刀をその身に受けていた。日番谷の振り下ろした刃先はたがえることなく仮面に打ち込まれている。シャルベーシャは日番谷をしっかりと見上げ、その目を日番谷もしっかりと見下ろす。その瞬間、斬魄刀の刃先から、傷ひとつなかった獅子の半顔を覆っていた仮面に一筋の亀裂がピ、と走った。それを静かに目で追い、その亀裂の音が鳴り止んだ次の瞬間、日番谷は口の中だけで、呻いた。 (・・・畜生、) 不意に緩んだ腕から、弾じかれたように斬魄刀がすべり落ちた。空中に咲いていた氷の最後のひとひらが、跡形もなく消え行く。ゆらりと傾いだ日番谷の体がまるで滑るように獅子の脇へくず折れていく。力の抜けた指先が、なでるように獅子の体を滑り降り、とさりとやけに軽い音で日番谷の体は地面に倒れた。亀裂の入った獅子の仮面は、その割れ目を半分で留め、砕かれることなく半顔に残っていた。 血を失いすぎて、薄れていく意識の中で日番谷は視線だけで獅子を見上げた。亀裂がはいりこそすれ、死ぬほどのものではない額の衝撃に獅子のその表情は安堵しているのか、それともまた違う感情をその顔には宿しているのか、確かめる術はないまま、獅子の顔が日番谷をゆっくりと見下ろしたのを見た時、日番谷の意識は急速に途絶えていった。 (ちくしょう、)
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「竹添先輩!」 鶴峰山の麓で結界を維持し続けていた十番隊員たちは疲労を滲ませそれでも目の前の結界を維持するのに全力を費やしていた。急かし、責めるような後輩の声が何かを懇願するかのように竹添の名を呼ぶ。それには振り向かずに竹添は両手にこめる霊力を増やした。膨張する結界が目の前で膨らんで今にも破裂してしまいそうだった。内側から押し寄せてくる霊圧は留めようもなく結界を襲う。完全に解放された氷輪丸の力がこんな麓まで押し寄せてきているのだ。竹添は知らず震えていた。今この結界を解いたら、ここから流れ出る風だけで、全てが凍ってしまうのではないかとさえ思えた。竹添は山頂を見上げる。 (・・・・・合図。) この結界を解いてもいいとされる合図。後輩に告げたその言葉は、嘘だった。そんなものは初めからない。この結界がとかれるその瞬間は、日番谷が無事に姿を見せたときだけだとされている。この任務を受けたとき、目の前にいた隊長は、厳しい表情でこう告げたのだ。お前には、苦しい役回りをさせることになる、と。たとえ、戦闘が終わりを告げていたとしても、また虚の霊圧が絶えたと確認されても、日番谷が姿を見せるまでは決して結界を解くなと頑なに命されている。それは日番谷の霊圧が絶えたときも同じだ。その言葉に眉を潜めたのは命を受けたとき、隊長の隣にいた副隊長も同じだった。けれど、そこだけが重要だといわんばかりに日番谷は続けたのだ。もし、自分の霊圧が絶えたとされても決して結界を解いて、戦いにいこうとするな、と。虚を確実にここで留め、結界を維持することを最優先させろ、と。その場合は指揮を総隊長に委ね、個人の判断で戦闘に入ることは許さないと。何があっても、絶対に結界は解くな、と繰り返し念を押されている。それを思い出していた竹添の背中を急にひやりとした汗が流れた。 「竹添先輩!」 うろたえた様に呼ばれた声は一体誰のものだったか。山頂を見上げた竹添はそこから急速に萎えていく霊圧を感じて、絶句した。まさか、まさか、まさか。そう繰り返される思考に更なる声が重なる。 「竹添七席!」 振り返る竹添に違う場所で結界を張っていた十番隊員が駆け寄ってきた。 「東側の結界で何者かが外側から結界を破った痕跡があります!」 「なんだと?!」 ざわりとその場に動揺の色が走り、また違う隊士の声が辺りの動揺を色濃くする。 「・・・・た、隊長の霊圧が、」 続く言葉は飲み込まれた。 その場にいた誰もがその言葉尻をきっと感じている。結界を押し寄せていた圧迫感が、波がひいていくように緩んだ。それを肌で感じたとき呪縛のように蘇った声は、竹添の胸をえぐった。
―個人の判断で戦闘に入ることは許さない。
(隊長。貴方という人は、なんと酷な命令を、) だから、あんなにも苦しげに詫びたのか。この事態を想定してそれでも助けに走ることは許さないといったのだ。苦しい役回りをさせることになる。あの時の日番谷の言葉が今になって竹添の肩に重くのしかかっていた。 「・・・・・は、解くな。」 呻くような竹添の声にそこにいる誰もが目を見張った。
「結界は解くな!」
「竹添七席!」 そのときだった。 その場の緊迫した雰囲気にはそぐわない間延びしたようなひどく落ち着いた声が、混乱していこうとするその空気を遮るように響いた。 「まぁ、それが賢明な判断でしょうねぇ。」 その不思議な緩やかさに、誰もがその声の主を探して振り返った。そして皆の視線がいっせいにその男へ注がれる。男は同じ死神の死覇装を纏い、腰に斬魄刀を携え、声の緩やかさと同じ柔らかな雰囲気をまとってゆっくりとした足取りで竹添のほうに歩いてゆく。その襟に四番隊の刺繍か小さく施されていた。 「貴方は・・・」 誰もがその男を見て、ひどく驚いた。何故ここにいるのかわからない、という顔を皆一様にその男に向け、その答えを推し量ろうと食い入るように男を見ている。その視線に答える気はないのか、その男は竹添の前まで歩いてくると山頂を見上げたまま、柔らかな声を再び紡ぐ。 「四番隊卯ノ花隊長の命により現世の任を退いて、鶴峰山入りしました。もう少し早く来れるはずだったのですが、引継ぎに手間取ってしまい、遅くなって申し訳ない。一ヶ月駐在していたものですから、まさかこちらでこんな事態になっているとは知らず。」 「あなたは・・・、」 「竹添七席。ここの指揮はあなたに一任されて?」 「え、ええ。そうです。ですが、あなたはどうして、」 「僕は正式な、任を受けてきたわけではありません。ここに来ることは卯ノ花隊長の許可を得ていますが、・・・竹添七席、僕を結界の中へ入れていただけますか?」 「え?」 再びざわめきが訪れた。それをやはり気にする様子はなく竹添の前にいる男は山頂をずっと眺めている。その男の周りの空気が揺らめいていることに、竹添はそのとき初めて気付いた。男の霊子が日番谷の霊圧を探るためにめまぐるしく流れている。 「個人的な感情よりも、命が優先されるのは四番隊にとっては当たり前のものですが、それは誇りよりも尊ぶべきものが命でなくては僕らの仕事は勤まらないからです。彼が個人的な感情で討伐に踏み切ったのは目に見えてますし、本来なら隊長という責任ある立場で許されることじゃありません。・・・と、まぁ、僕が彼にいうべきだったんでしょうけどねぇ。彼の気持ちも僕は理解してます。四番隊としてあるまじきことではありますが、僕も個人的な感情でここにいる一人ですから、」 「それは一体どういう、」 「僕にはこの討伐にかかわる理由が彼と等しくあります。あの戦いの生き残りは彼だけじゃありませんから。」 追って疑問の色を浮かべた竹添に続けて声を重ねると同時に男は腰に帯びた斬魄刀をスラリと抜く。 「・・・あぁ、やっと霊圧を補足できた。説明している暇はなさそうなので、行かせて頂きますよ。結界はできればこのまま張っておいてください。あれが逃げるとやっかいです。貴方がたは助けにいこうとはしないことで。アレの特殊能力は初めてだと深くかかりやすい。あの手の能力に多勢も無意味です。幸い僕は何度か戦闘の経験がある分、逃れるコツも知っています。約束します。貴方達の隊長は必ず僕が助けます。あの時、生き残った彼が死ぬなんて、胸糞わるくて、みたくありませんから。」 そして、男は誰が口を挟む間もなく斬魄刀を静かに引きおろし、結界に亀裂を走らせると、滑り込ませるようにその間を縫って鶴峰山に足を踏み入れた。
「――荻堂八席!」
誰かの声が男を引き止めるように呼んだが、男は振り返ることなく山の中へ姿を消していった。そのとき、なす術もなくその背を見送り、立ち尽くしていた竹添の頬にひらり、と冷たい何かが触れた。
左頬に残る冷たさに思わず手を添える。指先に小さな雫がついた。その冷たさは後から後から降り注いで肌に冷たい感触を残す。
「・・・・雨?雲もないのに。」
手をかざし、空を見上げる。広げられた竹添の手のひらにそれはひらひらと舞い落ちる。
「違う、雪だ。」
手の中で溶けていく結晶を見下ろし、竹添は呟いた。
「・・・雪だ。」
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