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最後の約束 |
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-47- |
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――消えきらない雪が、花に見える。
パキリ、と最後の音を鳴らし崩れ落ちた氷は霊力が伴わなければいとも簡単に脆くなっていく。足元を縫い付けていたはずの塊はいつのまにか崩れ、その身に自由を与えていた。けれどシャルベーシャは動くこともなく、足元に静かに横たわった子供の姿を声もなく見下ろした。ヒビの入った仮面はあとほんの少し力が加わっていれば砕かれたに違いない。そのあとほんの少しの力を与えるよりも先に、目の前の子供は力尽きた。シャルベーシャのつめ先は容赦なく腹部を抉ったのだ。最後の一撃を繰り出せたのが不思議なほどであった。子供の右腕はこの腹を突いたからか血に汚れている。子供の右手が硬く握られているのを見下ろし、その手の中にあるものは今も熱を帯びているのかと、思いをめぐらす。 確実に体の奥から消えていった熱量に今は虚無感が襲った。 同時に永き重圧から解放されたような、少しの安堵。それを抱え、まだかろうじて息のある子供を見下ろしていただけの獅子の背中が不意にぴくりと震えた。 うなだれていたように伏せられていた顔がひどくゆっくりとした動作で上げられ、視線が何かを追うようにゆれる。そして視線をひとつのものに定めると不思議と獅子の心は静かになった。しっかりとそれを見据えたまま身じろぐことなく獅子は、それを待った。
「・・・この雪、積もるんやろなぁ。」
獅子の視線の先で、ゆっくりと歩いてきた男は、細い尾根を一歩、また一歩と登り、まるで愛でるように降るしきる雪に掌をかざし、眼を細めた。歩みは獅子へ向かっているのに、決して視線はそこに注ぐことはなく、氷の覆った山肌をいとおしげに眺めながら、男は季節外れの空気の冷たさに、白い息を吐く。その男を見て、獅子は唸るように思い出された名を呼んだ。
『・・・市丸・・・』
名を呼ばれた市丸はそのときようやく獅子のほうを見た。緩やかに歩みを止める。市丸と獅子の距離は僅か数メートルだ。浅い笑みを貼り付けた市丸の顔は思わず、身を引かせるような圧力がどこかにある。それなのに口調だけは穏やかなまま歌うような声音で告げる。
「・・・・・・なんや。僕のこと覚えてはるの?直接会うた記憶はあんまないんやけど、よう僕の名前知ってはったね、」
市丸の言うとおり獅子は直接面を交わしたことはなかった。けれど、そう、あれは自我が芽生えたばかりの頃だ。この身を作った主が、一度この男の名を呼んだのを見たことがあった。”研究室”という名の建物の中で、檻の中からこの男を見たことがある。主はひどく信頼したようにこの男を呼んだのだ。親しみを込めて、市丸と。 その声の柔らかさが何故か耳に残っていつまでもそれを覚えていた。あの時よりも幾分か成長した面差しだが霊圧は変わらない。それに、と想いめぐらせて獅子は市丸を見てひどく懐かしい気持ちになった。この男の霊圧は”主”にひどく似かよっている。 市丸はもう一度視線をさまよわせ、冷たくなった空気の中に白い息を吐き出した。雪はどこからともなく降り続け、それを追うように目が細められている。そして遠い思い出に語りかけるような言葉が聞こえてきた。
「散り際の美しい花は、潔いと言わはるけど、雪は、桜の花びらを連想させますな。」
それからひとしきり雪を眺めると市丸は再び獅子と向かい合った。
「・・・少しばかりは、驚かすつもりやってんけど、気ぃ抜けるほど落ち着いてますなぁ。僕が何でここにおるんかわかってるのん?」 「我を消すため」 迷いなく答えた声に、市丸が笑う。 「それで、もう諦めてしまいましたん?少しくらいの抵抗なら僕も楽しめますよって、期待しててんけど。ソレとやりおうて気ぃそがれたん?」 市丸がここにいる理由を獅子は既にわかっている。主の手を離れてからはずっと追われる身だったのだ。その行き着く果ては、容易く想像できる。逃げるつもりなどなかった。いや、それよりも、むしろ。 長い間市丸の視線は獅子に注がれていたが、獅子が答える意思を見せないと視線が足元に横たわる子供の姿に落ちた。それは一瞬で、けれど少しだけ険しくなった市丸の気配を獅子は気付いた。
「もうひとつだけ、聞いておきましょか。随分と長い間僕らから逃げ仰せたんに、わざわざまたこの場所に戻って、派手な”狩り”して自分の居場所教えたんは、」
『もう、終わらせたかった。』
市丸の言葉を遮るように獅子は言葉を続けた。
『繰り返される満たされぬ飢えと戦いにもう、随分と昔に飽いていた。できるのならば、強い者の手でそれを終わらせてもらいたかった。戦いのために存在した身ならば、戦いの中で、――死を。』
その瞬間、市丸の背後から津波のように霊圧が押し寄せて揺らめく霊子が獅子へ襲った。 「・・・あかんなぁ、」 市丸の手が斬魄刀の柄を握り締めた。 それを微動だにせず一瞥し、獅子は決して瞬くことなく市丸を見据える。これでいい。瞬間心の中によぎった存在だけが今は胸を焦がす。その名を胸のうちだけで呼び。獅子は目を閉じた。 「せやから君は”失敗作”ゆうんや。」
−射殺せ 神鎗
パン、 と弾けたような音がすると、あっけないほど簡単に獅子の頭部は雪と共に散った。のけぞった体が、背中から地面に崩れてゆく。どさりと重たい音をたてたそれはやがてさらさらと跡形もなく消えていった。 「・・・足掻いて生きてきたんやない。最初から死にたかったんやな。」 市丸はそのまま抜き身の斬魄刀を手に持ち、横たわったままの子供のところまで歩み寄った。うっすらと白く積もりはじめた雪がさくりと音を立てる。足元に小さくなった子供を冷たく見下ろし、市丸は切っ先を喉元へ、カチリとつきつけた。
「・・・・・・なあ、日番谷はん。」 声は穏やかなのに、突き立てる切っ先に容赦はない。ぷつりと薄い皮が破れ、小さな丸い血が首に滲む。 「なんでこんなところまで一人で来はったん?」 あとほんの少しこの切っ先を押し込むだけで忽ち血は溢れ息は耐えるだろう。けれどこの脆く無防備な喉を通る細くなった息は、決してともし火を消すまいとするかのように脆弱な命を繋いでいる。必死に。
「死なはったら?」
蔑むような冷たい声が、やけにはっきりと日番谷に投げかけられた。 「ここでもう死なはったら?」 日番谷の胸が浅く呼吸を繰り返すたびに僅かに動き、細くなった気管から吸い込む息はひゅうひゅうとか細く、鳴り続けている。意識から手放された彼の霊圧は、それでも、凛としていて、冷たく、雪の結晶を形作り、どこまでもひたむきな白さで、市丸に降り注いでくる。はらはら、と。やむこともなく。散る花びらのように。
―苛立った。 掻き消してやりたい。跡形もなく。
突如芽生える感情に、けれど市丸は笑みを浮かべる。
「もう満足やろう?したいようにしたやろう?どこかの副隊長さんはな、仇討ちがすんだら、今わの際はもう想い残すこともないゆうてやけにすっきりした顔して潔う死なはった。諦めずに”生”に追いすがるんは辛いやろう。あの人みたいに、もう想い残すもんはないいうて、」 ―花は、 「諦めて、潔う散らはったらええ。」 ―潔く散るから美しい、という。
この雪ように?
その瞬間、ふわりと雪が風に舞い上がった。空気が圧縮される。抑えをなくした市丸の霊力が無防備に横たわったままの子供に圧し掛かる。その喉元に突きつけられた冷たい切っ先が僅かに食い込んだ。プツリと切れた肌からすぐに赤い血が一筋の細い線となって首の後ろへ流れていく。その時、僅かに身をよじった子供が、ぐっと胸を詰まらせた。苦しげに呻くと、とろりと口の端から血がこぼれていく。市丸はその時になってようやく日番谷の腹の傷に視線を落とし、目を細めた。裂けた死覇装から想像される傷の深さよりも、流れ出る血の量が少ないような気がして、喉に突きつけていた切っ先を、さくりと地面に指す。音もなく膝を着き、裂かれた布地から指を差し込んだ。 「・・・・・・・・・・・。」 冷たい。 熱を失った肌と表現するには冷たすぎる感触が指の腹に触れる。そして、それは硬質な感触を残す。傷口に張り付いているのは紛れもない氷、だ。それが傷口を覆い、血を止めている。戦いの最中か。もしくは薄れ行く意識の中で、子供は体に氷を張ったのだろうか。
生きるために。 市丸は、死覇装に差し入れていた指を引き抜いた。その冷たさを確かめるように指を見る。抑圧されていた空気が、不意に緩んだ。 「醜く、しがみついても」 再びのけぞった子供がごそりと血を吐き出す。市丸は手のひらを日番谷の背中に差し込んだ。誰かに体を寄りかからせているというにはあまりにも重くぐったりと手のひらに預けられる体重。ぐっと力を込めて、体を持ち上げると突き出された胸から鮮血の匂いがし、ぐったりと首がしなだれていく。その首をもう片方の手のひらで支え上げ、市丸は日番谷の体を俯かせる。背中を軽く押しただけで、胸につまっていた血が、くぐもった声と共に吐き出されていった。横たわった体から再びひゅうひゅうと呼吸が鳴る。それを見下ろし、市丸は子供の顎に流れた血を指先ですくった。 「君は生きたいん?」
醜く、しがみついても 散る、を潔しとせず。
日番谷君は、お前に似ているよ。 その時藍染の言葉を思い出した。日番谷は市丸の言葉には答えない。きっと聞こえてはいないだろう。市丸に届くのは、ただ肩を揺らせてひゅうひゅうと苦しげに胸を鳴らす呼吸の音だけだ。それを見下ろし、なぁ?と市丸は呼びかける。君、生きたいん?その時、熱を失った子供の閉じられた瞼が奮え、青ざめた唇が不意に動いた。 「・・松、本?」 その聞きなれた名前に市丸は息を飲んだ。子供の声は乾いてはいたけれど、死にかけているとは信じられないくらいに明瞭に、その名を呼ぶ。 「松本?」 まるで、すぐそこにいる人を呼ぶみたいに。 はっきりとした意識が戻ってるわけではない。子供の瞼は閉じられたままだ。夢と現の狭間で子供は幻を見ているのかもしれない。その声が呼んだ名が市丸の知る人物だったことに、市丸は驚いていた。 「・・・松本、」 市丸は子供の脇に刺したままだった斬魄刀の柄を握る。そのまま持ち上げ、切っ先についた土を指先で払うと、滑らかな仕草で斬魄刀を鞘に収めた。ぐったりと横たわった子供の背の下へ片手を差し入れる。それを持ち上げると、投げ出されたままだった冷たく白い日番谷の腕を市丸は、掴んだ。市丸は日番谷の体を背負い、背中に無防備に預けられる重さをやけに冷たく感じながら、歩き出す。
目の前に降り注ぐ消えきらない雪が、 花のようだった。
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