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最後の約束 |
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―リィン
声が聞こえなくなった。 かわりに雪が降る。
―リィン
さらさら。 はらはら。 ひらひら。
―リィン
降りやまぬ。
―リィン
・・・冬獅郎。
―リィン
わかっているのか。 零れ落ちる結晶はお前から削り取られていく、命。霊力。 このまま際限なく降り続けたら、お前は死んでしまう。
―リィン
あぁ、綺麗だ。 お前の命が降らす雪は、ひたむきで美しい。 さらさら、と心地よい音がする。 冬獅郎、お前の声に似て。
―リィン
―リィン
―リィン
もう、私の声など聞こえないのか。
―リィン
―リィン
こんなにもお前に呼びかけているのに。 何も答えてはくれないのか。
―リィン
お前は、死んでゆくのか。
―リィン
あの人の元へいきたいと。 友の元へいきたいと。
また私を置いてゆこうとするのか。
私などいらぬと言って。
―リィン
ひとりで、 闇の中で、 それでも私は、
いつもお前の傍にいたのに。
―我が主。
―リィン
名を。 呼んでおくれ。 お前の声で。
人は。 まだ誰も知らぬ。 まだ誰も呼ぶことのなかった。 私の真の名。
私は。 死なせたくない。 お前を。
我が主。
呼んでおくれ。
私の名は、
氷蓮華宝珠錀 ―跋難陀竜王丸。
□
荻堂は山道を駆け上りながら、真っ直ぐに続いている道の先へ目を凝らした。さらりと流れていく霊圧は主の性質をよくあらわしていると思う。彼の瞳の色に似て、冷たくて柔らかい。捕捉していたその霊圧の源は、山頂に留まったまま動くことはないようだった。山頂、というその場所に荻堂は頭の中で不意に過ぎる記憶と跳ね上がる心音を、足音に耳を凝らすことで掻き消していく。この道は二度と足を踏み入れることはないと思っていたあの日の風景と同じ。木々の気配。澄んだ空気の匂い。全てが変わらないまま目の前に広がっている。巌を駆け上がり、木の根が絡まりあう硬い地面を蹴り上げて、急な斜面を一気に登って何も思い出さぬようにただ真っ直ぐに道の先に視線をむけていく。そうやって、俯いたら捕われてしまいそうな感情を押しつぶして、走り続け山の中腹にさしかかろうとした時だった。 「?!」 (なんだ?) 思わず、立ち止まり探っていた霊圧の範囲を広める。ぶわ、と風の音のようなものが耳から離れていくと荻堂を中心に砂塵がまわった。捕捉していた日番谷の霊圧の隣で不意に何かが掻き消えていく。一瞬で。
「虚の霊圧が・・、」 思わず声に漏れたのは信じられないからだった。日番谷のすぐ傍にあった邪を帯びた大きな霊圧が跡形もなく消えた。この一瞬で。 (討ったのか、彼が) (あの弱りきった霊力で?) 釈然としない気持ちを抱えていると、捕捉していた霊圧に動きがある。それははじめその場で弱々しく水面にゆれる波紋のように揺らめき、強くなったり弱くなったりしながら輪を広げていた。 (動いた!) 言葉と共に、荻堂は再び走り出した。霊圧の源に動きがある。それはゆっくりと人の歩く速度で下山している。まっすぐに、ここに続く道を降りてきている。息が切れるのもかまわずに荻堂はかけた。過ぎてゆく思い出などもはやなかった。一歩その距離を詰めていくたび雪がちらつく。それが増えていく。白さが増していく。世界に。
やがて雪だけが覆った。
枝にかかる雪。 地面に薄く積もっていく雪。 眼前で風に揺れる雪。
雪。雪。雪。
目に映る全てに彼の霊子が宿っている。 (わからない、) 捕捉していた霊圧の源が不意にわからなくなって荻堂は視線をぐるりとをさまよわせた。取り囲まれている雪の全てに彼の霊力がある。それに惑わされ、霊圧の源が辿れない。油断をしていれば、この霊気に中てられてこの身も凍ってしまいそうな力が、荻堂を取り囲んでいる。 「・・・・日番谷・・隊長、」 たまらず、名を呼んだ。 「隊長っ日番谷隊長。」 近くにいる。 「・・・た、・・・冬、獅郎・・・」 すぐ傍にいる。 「・・冬獅郎!」 姿だけが見えないのだ。 「冬獅郎!」 この雪に目隠しされて。 「冬獅郎!」
その時、風が吹いた。 ふわりと訪れた風は信じられないほど温かく目の前の雪をさらった。視界が開け、道が見える。その視線の先に、地面に横たわる黒い塊が見えた。小さな子供のように膝を折った姿で一人力なく横たわっている。 「・・・冬獅郎!」 荻堂は駆け寄った。細い枝にひっかかって腕の布地が裂けたが目に入らなかった。映るのは小さく蹲るように横たわった子供の姿だ。その距離を一瞬で詰め、荻堂は地面に膝を折った。子供の肩に手を伸ばすとその布地は驚くほど冷たい。氷のように。息を飲み、子供の顔を覗きこむように耳を寄せるとひゅうひゅうと息を吸う音が聞こえた。けれど意識はない。消え入りそうなほど細い息だ。 「・・・・・。」 ざっと白く細い紐で荻堂は袖を結わえる。日番谷を仰向けにさせると、躊躇わずに胸元をこじ開ける。ビリッと裂ける音がして、荻堂は再び息を飲んだ。 血だ。 氷によって凝固した血が胸元から下の肌を覆っていた。その色の鮮やかさに目を見開き、荻堂の指先は震えた。 (・・くそ、こんなときに。) 歯を食いしばる。 刹那祈るように、目を閉じた。短い息を吐き、再び日番谷を見下ろす。 「・・・死なせませんよ、絶対に。」 そして荻堂は両手の掌に霊力を一瞬で集めた。日番谷の体に押し当てる。じゅ、と音をたて、短い白煙が立ち上った。体に張られた氷が溶け、鮮血が解け、液体となって脇腹に流れていく。それが荻堂の足元に忍び寄った。みるまに水に薄まった血だまりが広がり、真新しいような血の匂いが一気に鼻を麻痺させていく。 「・・・っ・・。」 霊力を流し込む。与える熱はすぐに消える。さらにぐっと霊力を流し込む。体の奥で掻き消えていく。傷口に流し込む霊力を片手にし、空いた左手を額に持っていく。親指を眉間に押し当て、右手と同時に力を流し込んだ。一瞬、日番谷の眉根がぴくりと反応する。けれど体の中で再び熱は掻き消えていく。荻堂は繰り返した。与える霊力を徐々に増やし、同じ行為を繰り返し繰り返し、与えていく。額に汗がのぼり、それすらも外気に冷えた。雪はやまない。降り続けていく。眉間に押し込んでいく霊力を再び流し込んだその時、真っ青だった日番谷の唇にうっすらと色が戻った。震えた唇が僅かに開かれる。それを見下ろし、荻堂は叫んだ。 「名を呼んでください。斬魄刀の名を呼んで!斬魄刀の霊力を取り込んでください!」 痙攣のように瞼が振るえ、ゆるく目が開かれる。 「貴方の斬魄刀の名前を呼んでください!」 半眼が空ろにさまよった。唇が開かれている。震えている。苦しげな息がそこからこぼれている。 「声に出さなくてもいい!斬魄刀の名を心の中で思い描いて!それだけでいい!名を、」 霊力を日番谷の体に流し込みながら、叫び続けた荻堂の言葉がいい終わらないその時、雪が螺旋を描いた。ひゅ、と風を切る音が聞こえ風はたちまち円を描いて雪を巻き上げていく。それが一瞬荻堂の目の前で龍の姿を形作る。 (・・・!) 目が合った。そう理解したとき、風が日番谷の体にどっと取り込まれた。砂が飛び散り、荻堂は思わず瞼を閉じる。一瞬のうちにその空気が凪いだような気がして開いた目を、荻堂は驚きでさまよわせた。
雪がやんでいる。 「・・・冬獅郎、」 慌てて子供を見下ろすと真っ白だった頬にうっすらと色が戻っていた。唇に瞼にそれは見る間に広がっていく。おさえていた腹部に霊力を押し込んだ。掻き消えずに流れていく。眉間に添えた親指からそれは繋がっていく。霊力を流し込む。体の細部にまで流れこんでいく。血が止まり、傷口が乾き、肌に色が戻っていく、細くなっていた息の音が規則的に耳を撫で始め、やがて瞼が開いた。ゆっくりとさまよった視線が荻堂に止まる。 「もう大丈夫です、もう・・・」 呟いた声に、日番谷は答えるようにゆっくりと瞼を閉じていった。もう、開かなかった。規則的な息が、穏やかなリズムでゆっくりとゆっくりと聞こえてくるだけだ。与えられるだけの霊力を流し込み、荻堂は子供の体を抱え上げて、背中に背負った。触れていた彼の血が腕に這って、肘をつたって流れていく感触がしたが、気にしなかった。血の匂いすら、今はなんら感じなかった。確かな重さで、委ねられた体をしっかりと背負い、耳のすぐ傍に子供の息を感じながら、荻堂は歩き出す。その背に、しっかりと子供の体温を感じながら、一歩一歩歩き出す。この子供を待ちわびている十番隊員達の元へ。
生きている。 生きている。
生きている。
言葉にならない思いが込み上げた。 「・・・あの戦は、僕にとっては隊長が亡くなられたあの日に終わりました・・・。けれど、貴方の中ではずっと続いていたんですね。今日までずっと。ねぇ、日番谷隊長。そうでしょう?」 答えはない。 ただ背中でもぞりと気配が動いた。それを感じながら荻堂は歩き続ける。
忘れられない言葉があった。やけに真っ直ぐで温かいその言葉を言う人は、後にも先にもあの人だけだ。あの日の言葉が迷う心の道しるべとなる。何時如何なる時も。きっとこの子供も。
―もう、大丈夫ですよ。 確信のように思って、荻堂は歩き続けた。
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