最後の約束

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 ずっとこの成り行きを審判を勤めた十番隊副隊長の横で静かに見守っていた。

『わかってもらいましょう、私達の気持ちを。』

 と、ただそう一言告げて、無謀ともいえるこの計画を立てた副隊長には驚きと共に頭が下がる。

 こんな大掛かりな事を企てて咎められやしないかとついこぼした言葉に、隣にいた副隊長はやけに確信めいてはっきりとそれは大丈夫でしょう、と笑った。

 一体何が大丈夫なのか。

 けれど結局この計画に一枚噛んだのは自分の思いを後押しした、はっきりと告げられたあの言葉によるところが大きい。

 そして何の根拠もなかったその言葉が本当だったのだと、この試合をずっと見ていて気付いた。

 

 隊長が茶化したのは最初に戦った副隊長だけで、他の隊員に対してはいっそ真摯と言っていいほどに、向けられる感情と向き合っている。

 この様子を予想していたらしい副隊長はもしかしたら、自分だけまともに相手にされないことを分かっていたのかもしれない。

 それがどういう意味を孕んでいるのかは分かるようで分からなかった。

 ただ知るのは、私よりもよほど多くあの人のことを、副隊長は知っているのだ、ということだけだ。

 

 あの人の思いを知りたくないといったら、嘘だ。聞きたいことは山とある。緘口令に影をひそめた仇討ちの話。それが誰であるとか。その者との関りや虚との関係。

 そのどれもが、真意も曖昧なままただ目の前にたゆたっている。

 けれど何処かで思う。それを解き明かすことよりも先に、伝えねばならない想いがある。

 

 それが大事なことだと。

 

 

 本当は、隊長の元で、少し話ができるだけでよかった。噤まれた言葉の代わりに、自分の思いを話す機会を与えられれば。

 けれど突飛ともいえる副隊長の計画に乗ったのは、帰還を遂げて喜ぶと共に、隊員達の中に芽生えたあの人への少しの蟠りが見えたせいかもしれない。誰も彼もが優しさゆえに、聞く事ができないでいるのだ。此度の討伐の事を。そこにある隊首との関係性を。

 

 

 志願者がいなければ、流れていくだろうと思ったこの計画を、十番隊員へひそかに話すと思いのほか名乗り出た者は多かった。それに少し驚き、けれどそれ以上に隊員達の気持ちを同じ視点で見ている自分がいた。

 この試合であの人に向けられた隊員達の思いと言葉は全て自分の中にもある。

 戦いに置いていかれた、ただそれだけで見っともなく矜持が揺らぐことを恥には思わない。

 咲き誇る才能に魅せられた。

 あの人の後ろに立てることが、死神になって初めて抱いた誇りだったのだから。

 

 だからこそ。

 今、あの人と剣をまじわなければいけないのだろう。それを副隊長はわかっていたのだろう。仕事と割り切り、ただ目の前を過ぎていくものだけに目を向けるのは容易い。気持ちを押し殺すのは慣れている。あるいは何もみようとはせずただ追いすがるだけならば。

 けれど、思う。

 そうして、諦観を決め、関ることを望まなければ。

 何もしようとはせず、弱い言葉を吐くだけならば。

 あの人と私たちの間にあるこの距離は、もうずっと開かれたままだ。

 そうすれば、もしまた先の戦いのようなものがあの人の中に芽生えたなら。

 あの人は再び一人で戦いに行く事を躊躇いはしないだろう。決して。そんな気がする。

 

 伝えるならば今の他にない。

 ここを逃せばこの言葉を言える日も、聞いてもらえる日も二度と訪れはしないだろう。そうしてしまえばただ日常に甘える日がずっと続いていくに違いない。開かれた距離をもどかしく想いながら紡がれる思いは決して声にはならない。この機を逃せば。

 

 だから

 思いと言葉を乗せ、今剣を握る。

 

 

 私達は、貴方の為に剣がふるえます。と、

 

 

 その覚悟が決して揺るがないことを、

 あの人に伝えるために。

 

 

 

 それを知って、

 それでもあの人が一人でゆくと決めたのならば、もうそれでかまわないのだと、気付いた。

 

 

 これから先の、知ることのない未来の中でさえ、

きっとこの真実だけは失われることはないというものをあの人にひとつ、既に与えられていたのだから。

 

 

これから先、

何が起ころうとも

揺らぐことのない思いは、真実。

 

 

 

いつでもこの人は、私達の中で、

 

 

”護廷十三隊十番隊隊長”

 

 

という存在であり続けるということを。

 

 

 

 

 

「三席。」

 隣で、十番隊副隊長に呼ばれ顔を上げるといくつかの視線が注がれていることに気付く。あれだけいた人数も今は皆試合を終え、最後の試合を待っている。その全ての黒星は隊長があげている。道場を見渡せば力尽きた隊員が横たわっている。稽古のときでさえあの人がこれほど隊員を打ち据えたことはない。圧倒的な力量の差。こちらに注がれている隊員たちの視線は、期待と不安の間を揺れているようにも見えた。ただ、隊長と副隊長だけが強い目でこちらを向く。

 

「三席。準備はいい?」

「ええ。いつでも。」

 

 静かに立ち上がる。

 開始線まで歩を進め、竹刀を握り、試合の開始を告げる声を待った。圧倒的な強さ。これだけの人数を相手にしてもあの人の力は有り余っているのが分かる。中には四席や五席に身を置く戦いに長けた者もいたのに。目の前にいる、子供のなりをしたこの人の力は未だに底が知れない。その才能に心底心を奪われ続けている。この人に出会ってからずっと。

 

 目の前で向けられる隊長の強い目を静かに見返していると、不意に好戦的な気持ちが沸くのに気付く。

 

 覚えのある感情。

 

 今再び芽生える、その感情に自分自身で少しだけ笑った。

 

 

 かつて、

 願った。

 

 

(あぁ、私は。)

 

 

 認められたい以上に、

 この人を超えてみたかったのだ。

 

 

 

「・・・開始!」

 

 

 

 

 乱菊の試合開始を告げる声と同時に目の前に立っていた三席の霊圧が一気に跳ね上がった。日番谷は思わず目を見開いて今だ、開始線から動くことのない部下の姿をみやる。張らせた結界は突然の圧力とその大きさに亀裂を走らせているようだった。それは力を使うために解き放たれたというよりはむしろただ知らせるためだけに解放されたもののような気がする。案の定、ただ、むき出しに力の限りに刹那上げられた霊圧はゆるゆると形を納めていった。今だ動くことのない三席はただ静かに開始線で佇んでいる。構えもせず。視界の端では何人かの隊員が結界の補強に走っているようだった。ただ、こちらを見ている乱菊だけがうろたえることなく試合を見守っている。再び三席に視線を戻すと、その目が強くこちらを見返しているのに気付く。試合開始を告げるより前に、三席に浮かんだ表情は”笑顔”だった。その答えを日番谷は今になって知る。

 

「全力を。」

 

 三席はたった一言だけでそれを告げた。むき出された霊圧はそれを受ける覚悟があるということ。それを望むということ。斬魄刀を手にしていない試合ならば、その意は単純に剣術と体術だ。今までの試合を適当にしてきたつもりはない。本気で向かってきた者には相応に返している。ただそれ以上に本気を望む部下に日番谷も挑戦的に少し笑った。

 

「・・・後悔しねぇか?」

 

 答えは知っていたのに、聞いた。日番谷の声に、三席は少し嬉しそうに目を細め、返事をするかわりに竹刀を構えると躊躇わず日番谷に打ち込んでいった。

 

 

 

 

 竹刀を交えていると、試合を見ている周りの隊員達が応援かわからない声で何かを言っているのが、ざわめきのように耳をなでていく。一人一人の言葉は聞こえないのに不思議な強さで音として届く。板張りの床を蹴る音。空中で共に竹刀を交えると、ガンと鈍い音が立て続けに響く。一際大きくその音が鳴る。あの細い腕の何処からその力が出てくるのか、気付いたら堅い床の上に叩きつけられていた。立ち上がり様、振り向く。私を見据える、隊長の姿が見える。その視線が合うか合わないかといった刹那、サッと身を消した隊長の気配がふ、と間合いの中にいた。肉眼では到底終えぬ、瞬歩。ギリ、と歯を食いしめる。ただ防ぐためだけに竹刀を捌き、再びそれが打ち払われる。かろうじて地に踏みとどまった足が瞬間震えた。硬い鋭さを伴って振り払われる竹刀は、鋭利な刃物のようだ。こうして竹刀を交えていれば、分かる。どれだけ研鑽を積もうと、この人はいまだ私がたどり着いたことのない道の先にいるということ。試合中、猛攻が続く中、何度か視線が隊長とかち合った。その視線が何かを思うようにこちらを向いて揺れて、どこか嬉しそうに細められた後で、すぐにそらされる。それが何度も続く。

 不思議と道場のざわめきは耳に入らなくなっていた。心に訪れる凪。ただ竹刀を交える音と自分の呼吸だけに意識が向いている。

 

 

(あぁ、私は)

 今、この人の元で刀を握れることを、幸せに思う。

 

 

 

 

 何処までも長く続くかと思われた試合は、我に帰ってみれば短いときだった。猛攻な打ち合いの果てに、反転する視界と共にその勝敗を悟った。 すぐに勝敗を告げた副隊長の声は、高らかに日番谷の勝利を紡いだ。

 

「勝者!日番谷!」

 

 不思議と悔しくはなかった。初めから結果をわかっていたというわけではなく、いつまでも先を行く人なのだ、という事実と、そうであってほしいという想いが先に沸いたからだった。

 どれだけ研鑽を重ねようと自分の前に立ち続ける、人。

 

 

 荒い呼吸を落ち着かせるように、床に横たわった。どんな攻撃をしたかも今は混沌としている。分かるのは、あの人の強さと自分が負けたということ。

 かすんだ視界で天井を見上げる。腕も足もしびれて動かない。声すら出すことが億劫だ。言葉を言う代わりに想いは全て刃に込めた。その想いが伝わればいいと思う。ざわめきに耳を貸すのも躊躇われる疲労の中で、不意に顔をのぞきこむように視界の中に現れた人物は予想と違わなかった。

 起き上がるのを手助けするかのように伸ばされた腕を取る。触れた手は思いのほか小さかった。喧騒の中を縫うように少しうれしそうにその人は告げる。

 

 

「お前、強くなった。」

(あぁ、敵わない。)

 

 

 強靭で強大な力。

 隊長席という死神の最果て。孤高の場所。

 

 かつてはそれを自分自身に望んだ日もある。けれど、日番谷冬獅郎という人物と出会った。彗星のように現れ、憧れたその座を容易く手にした子供。嫉妬を抱くよりも先にその才能に魅せられ、与えられる言葉にこれほどまでに喜びがわく。

 

 それを抱いている。

 憧憬の存在。

 

 それゆえに越えたくて、

 それゆえに越えられない人。

 

 

 

 だから、私は孤高の場所をもはや、欲しない。

 

 

「いえ、まだまだ貴方には勝てそうにありません、」

 

 

 それでいい。

 ひどく納得して呟いた。

 

 

 

 今はただ、貴方を守る剣と盾になることをこの胸に誓う。