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最後の約束 |
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あの日の記憶から続く、夢の中にいたのかもしれない。
私邸に戻ると、視線の先にある窓から、夜の色に差し込む月明かりが床に落ちていた。 綺麗だ。 ふいにそう思って、明かりも灯さぬまま歩を進めた。やけに強い月の光だった。その光が差し込むベッドに倒れこむように身を預ける。委ねる体が僅かに沈み、その心地よさにこのまま瞼を閉じてしまおうかと刹那思った。けれど、日番谷は一度だけちらりと扉に視線を送った。小さな息を吐き、ベッドに腰をかけるように上半身だけ起こす。 「入らないのか?」 大きな声ではないはずなのに、その声は不思議な強さで、部屋に響いた。その声が向けられた先にある扉が、少しだけためらいがちに開かれる。 日番谷は、そこに現れた人物に僅かに笑みを落とした。夜に溶ける死覇装。肩でゆれる金糸の髪だけが薄ぼんやりと、浮きだっていた。 「気付かれておいででしたか、」 ゆっくりと歩を進めたその姿がやがて強い月明かりに照らされた。その顔が、執務室で見せるものよりも柔らかい笑顔だと気付いて日番谷は瞳も逸らせないまま、名を呼ぶ。 松本。 あまりに柔らかく舌をなでるその音に日番谷は自分自身で驚いた。どこかでこんな風に名を呼んだことがあるような気がする。けれどそれが何処であったのか思い出せない。 名を呼ばれた乱菊は、日番谷から少し離れた場所で止まると、静かな視線を日番谷に向けた。 やがて、頭を僅かに下げる。乱菊の肩からさらりと髪が落ちていった。 「・・・何のつもりだ。」 再び顔を上げた乱菊と視線が合った。その瞳からはなんの感情も読み取れないような気がした。ただ与えられた行為だけがひどく丁寧で、そんな乱菊を見るのは初めてな事に気がついた。 「そういう気分だったんです。ありませんか、そういうこと。」 乱菊の表情は変わらずに穏やかで、それに諦めに似たため息が零れる。 「驚かれませんね、ここに私が来たこと。」 「・・・・・お前のことだから、」 「・・・・・・・・。」 「来るだろう、と思ってた。」 荻堂の言葉を思い出す。あの時言葉を語る彼がさ迷わせた視線の先には確かに十番隊副隊長である乱菊の姿があった。あの時、僅かにあった視線は決して思い違いではないはずで。 「やだなぁ、口止めしてたのに。荻堂八席ですね。余計なことを言ったのは。」 日番谷は僅かに息をこぼして笑う。その姿に目を細めた乱菊はゆっくりと息を吐き出した。声は今までよりもずっと深い色を宿して響いた。 「今日は、申し訳ありませんでした。」 「・・・・・。」 「けれど、あれが私達の正直な気持ちです。咎めもせず全員の剣を受けてくださったことを感謝します。けど、隊長一つだけよろしいですか?」 「なんだ、」 その時いたずらっ子のように目に光が宿る乱菊がいた。 「私だけあの扱い。ひどくありません?」 竹刀を交えてさえいないなんて。 続けられた言葉に、日番谷は今度こそ声を出して笑った。 「・・・お前が。隙ばっか見せて、打ってこいと言ってたからだろう。」 「確かに、それは図りましたが、私はせめて竹刀を交えて隊長に文句言ってから、負けるつもりでしたよ。」 「どうせ、碌なこと言うつもりはなかったんだろ。」 「碌なことないとは、心外です。残業を減らしてくださいと真っ当な訴えです。」 「お前は定時で帰ることのが多いだろうが。」 「隊長、そういうのは屁理屈って言うんですよ。」 可笑しそうに日番谷は嗚呼と声をこぼす。一度天井を仰いだ視線が少しだけ生真面目に細められた。過ぎていく想い。こんな風に与えられることを考えもしなかった。 「松本、・・ありがとう。」 それは虫鳴りのように小さく響く声だったけれど、乱菊の耳には確かに届いた。乱菊は離れていた日番谷との距離を詰めるように数歩歩いた。見下ろした先に翡翠の双眸がある。その目がしっかりと自分を見ていることを確認して、腰に携えた灰猫に触れた。 キィン、 鞘走る音はまるで鈴の音のように夜の大気の中を響く。月明かりに照らされた抜き身の斬魄刀は妖しさを携えとても美しく見えた。なめかな動きで切っ先が弧を描き、白い指先の上に静かに置かれる。さ、と膝を折ると、すぐ近くに日番谷の翡翠の目があった。
「隊長。私の剣は、十番隊隊長としての貴方ではなく、ただ日番谷冬獅郎という貴方に。」
隊員達が剣を捧げていた中でただ一人その光景を端から見ていた乱菊のことは日番谷も気付いていた。今ここで捧げられる斬魄刀に視線を落とす。不思議と心に静けさが満ちた。それがごく当たり前のことのように日番谷は灰猫に指先を落とす。刀身のひやりとした感触が肌をつたった。どこかでこれを知っていたような気がする。こうして剣を捧げられることを知っていた気がする。それは口にだせばとても傲慢な思いなのに、胸によぎるのは確かにそれなのだ。信頼。寄せられるそれを、疑うことなどなかった。そして、今言うべきことは一つで、迷う理由などきっとなかった。 「・・・・その証をもって収めよ。」 日番谷から紡がれた言葉はただひとことで、けれど乱菊にはそれで充分だった。一度、斬魄刀を腕に抱きこむような仕草をし、乱菊は誓いと共に、再びキィンと刀身を鞘に収めた。 向けられている双眸をしっかりと見据えていると気まずそうに視線を逸らされた後で、けれど、言葉は紡がれる。 「それで、何から聞きたい?」 乱菊は日番谷の言葉に一瞬驚いた後で、続いて笑顔がこぼれるのを隠さないまま深く息を吐いた。聞きたいことなど沢山ある。けれど、一番知りたいと願うものをまず一つ口にしてみようか。いつの日か聞いたことのある言葉だけれど。乱菊はその答えをまだ知らない。乱菊は、唇が自然と上がるのを感じながら、言葉を紡いだ。
「そうですね。では、何故貴方が十番隊長になったのかを。」
夜はまだ始まったばかりだ。
□
まるで古い御伽噺を話しているかのようだった。静かに紡がれる声は自分のもののそれではないような。あかりも灯されない室内に、気だるげに床に胡坐をかきながら、日番谷はベッドに肘をついて、時々瞼を伏せた。眩い月の光。異様な明るさを残した部屋の中で、乱菊も同じように床に腰を下ろしながら、時折ベッドに顔を寄せた。二人の間に置かれた酒に手を伸ばしても、唇に触れる程度で、それが減ることはなかった。 話を聞いていた乱菊が日番谷の語る言葉に、何かを言うことはなかった。ただ静かに紡がれる言葉に耳を欹て、時折寄せていたベッドに顔を伏せた。日番谷の声で語られるかつての十番隊の姿。その一人一人が今こうして鮮やかに目の前に溢れる。護廷十三隊のほとんどが大虚討伐に借り出されていた中で、同じ時間に違う場所で戦場に散った彼らの話は歴史に消されていった物語だった。やがて、日番谷は硬い決意を話すように強い声を放った。
「俺はずっと、あの人を死に追いやった人を探している。」
思いもしなかった告白に乱菊は思わず息を飲んだ。包み隠さず話される言葉は乱菊の思いを越えて日番谷の中で続けられる。
「あの人の持つ能力が十番隊を壊滅させられるほどの理由を持ってたとは思わねぇ。だけど、援軍も寄越されないまま、ほとんどの隊士は紅峰で散った。何故あそこで十番隊だけが四面楚歌の中にいたのか、それに疑問を持ってたやつは俺だけじゃねぇと思う。もっともらしい理由を四十六室は言っていたけど、十番隊の中でそれを信じたやつはいなかった。・・その理由を、俺は結局最後まで知ることはなかった。十番隊の中で何人かは、故意に仕向けられた戦を誰かの思惑だと気付いていたみたいだったけど、それが誰かと知らされていた者は誰もいなかった。朽木隊長も同じようにあの人の死が、免れないように謀られているとしか思えない、と言っていたけどその黒幕を知る事はなかった。四十六室が一枚噛んだ理由は分からない。その思惑が何処にあるのか。だけど、あの人は言ってたんだ。”秘密を知った”と。」
あの日からそれだけを追い続けていた。報復を、と思わなかったといったら嘘だ。その思いに掻き立てられた日もある。けれどそれよりももっと真っ直ぐにただ知りたかった。真実を。最後にはそれだけが胸に残った。 日番谷は手に持つ杯の中で揺れる透明な酒を見下ろした。月の光が薄く映りこんでいるそれに、自分の姿が見えた。
「・・・何で俺だったんだろうな。」
あの時語られた男の声が忘れられない。その想い一つで、戦場に駆け戻った。そうしたい、と願うよりも強く、そうしなければいけないという想いだった。そしてそれを決して後悔はしなかった。あの戦地に立ったことを。 あの人に。 あの人たちに。 出会ったことを悔いはしなかった。 「あの人の思いを知ったのは、何で俺だけだったんだろう。あの人は、何で俺にだけ、」
―死を、恐れている、と。
言葉は続かなかった。 本当なら、絶対にそんな言葉を口にしない人に違いなかった。どんな戦地に立とうと、必ず生きることを望む人に違いなかった。あんな風に、笑って死を受け入れていいはずがなかった。生きていてくれればいい。どれだけ多くの人がそう願っていたのか。それを容易く奪った、”誰か”を許せなかった。 あの人は、生まれ変わったら、と言った。 生まれ変わったらまたあの土地に生まれたい、と。 「・・・あの虚に、繋ぎとめられていたあの人の魂を解放してやりたかったんだ。復讐をと願ったわけじゃない。ただ、俺はもしもう一度あの虚と戦うことができるなら、」
―生まれ変わることも消えることもできない苦痛が今も僕の部下を苦しめてる。
「あの能力に捕われたままの十番隊員達の魂を解放してやろう、と。あの人の魂を解放してやろう、と。そうして、まだ間に合うなら、もう一度・・・。」
生まれ変わって。 と。
「・・・これから先ずっと、それこそ果てなんてない時間の中で、魂を捕らえられたまま、消えることも生まれ変わることもできない苦痛にあの人たちが今も苦しめられていることに、耐えられない。・・・お前たちの中の誰かが犠牲になるかもしれないと考えただけでぞっとする。できるなら、解放を。それが無理なら、」
そこまで淀みなく告げて、日番谷はひとつ息を吐いた。
「それが無理なら、いっそ叩き潰して痛みもなく消してやりたかった。この手で。」
それが、頑なに一人で討伐に向かった理由。 自分の身を危険にさらした事をあの人が知ったら、怒るだろうか。けれど他の道を選べなかった。あの人たちが今も苦しんでいるというなら、そこから目を背けることなどできなかった。それをしてしまえば、もう決して、約束を守れない気がした。それに目をそむけて、幸せになど、と。
ふい、に。
暗闇の中で、乱菊の腕が伸びた。日番谷に触れようとしたかのように頬の辺りまで伸ばされた手がけれど肌に触れることはなく落ちていく。淡く揺れる双眸が何かを滲ませてずっとこちらを見ている。静かな息だけが聞こえ、沈黙が降りた。そして、今まで口を挟むことのなかった乱菊の声が小さく大気を揺らした。
「ずっと、十番隊を守っていたのね。」
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